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★「田中良紹氏の視点ー(2013/07/13)」★ :本音言いまっせー!
急に訪れた猛暑にフーテン老人は息も絶え絶えである。
若い頃のように身体が環境の変化に即応できない。
目が覚めた時に疲れを感じることなどなかったのに、目の疲れ、
筋肉の疲れを感じてしまう。早く暑さに身体を順応させようと
昼間は戸外で本を読むことにした。
場所は洗足池や東工大や近所の神社の木陰と決めている。
しかし少しでも風があると救われるが、風がないとじっとりと汗ばみ、
虫に食われるおまけがつく。
そうしたなかで『「日米関係」とは何だったのか』(草思社)、
『満州事変とは何だったのか』(草思社)、『沈黙のファイルー瀬島隆三
とは何だったのか』(新潮文庫)などを読んだ。
日本政府の「歴史認識」が海外から問われている時だから、
我々も「歴史認識」を磨いていく必要がある。
その中でマイケル・シャラー著『「日米関係」とは何だったのか』に
ついては、慰安婦問題と尖閣問題を巡るブログで二度ほど引用させて
もらった。しかしそれ以外にもフーテンには興味ある事実が書かれて
いるので、暑さにあえぎながらそれを紹介する事にする。
戦後民主教育を受けてきたフーテンの世代としてはこうした事実に
新鮮さを感ずる事をご理解願いたい。
占領下の日本に君臨したGHQのマッカーサー司令長官は、
1944年つまり太平洋戦争中にアメリカ大統領選挙で共和党候補の
指名を得ようとした事がある。従って48年の大統領選挙でも
候補の指名を得る野心を抱いていた。
マッカーサーにとって日本占領はまさにそのための政治的舞台だった。
日本軍国主義を徹底的に解体し日本を民主化する様子をアメリカ国民に
見せつける事がマッカーサーの目標である。
従って軍国主義者の公職追放と戦争を支えた財閥の解体が絶対に
必要であった。ところが公職追放のリスト作りを命じられたのは
わずか20人の若い士官で、250万人分の調査が必要であった。
ドイツと違い間接統治が行われた日本では日本人官僚がGHQの
手足となって働く。当然ながら250万人の調査は日本の官僚に
託され、証拠を隠滅する事は容易な状況だったとシャラーは書いている。
軍と警察の上層部は8割が追放処分となり、次いで長老政治家が対象と
なった。しかし官僚や産業界からの追放は少数に終わる。シャラーは
書いていないが、フーテンが以前調べたところでは司法界はまるで
対象にされていない。特高警察などが厳しく追及されたのに思想検察は
生き残るのである。
戦時中に反戦を唱えていた政治家・石橋湛山は追放され、その一方で
官僚と司法の世界は見逃された。こうした公職追放のちぐはぐさは
意図的というより、民主主義に対するアメリカと日本の制度の違いに
よるとフーテンは考える。国民主権の考えに立てば、税金で雇われる
官僚は国民の代表である政治家に従うのが当然である。
国家の決定に責任を負うのは政治家で官僚ではない。
司法の世界もアメリカでは試験に合格するだけではしかるべき役職に
就く事が出来ない。選挙で選ばれる必要がある。
しかしそうしたアメリカの考えとは裏腹に、明治以来の日本政治を
主導してきたのは官僚である。自由民権運動を源流とする政党政治は
官僚政治との戦いに連戦連敗を重ねてきた。
そうした日本の事情をアメリカが理解できる筈はなく、それが政治家に
厳しく官僚に甘い処分を生み出した。そしてそれがそのまま戦後の
政治と官僚の力関係に影響しているとフーテンは考える。
ともかく公職追放は意図したものとは異なる結果を生み出した。
次に財閥解体もマッカーサーは意図を裏切られる事になる。
1947年にソ連との関係が悪化して冷戦が始まると、アメリカが
直面した現実は日本とドイツの経済が絶望的とも言えるほど壊滅状態に
あったことである。
戦争直後のアメリカには敗戦国が戦時中支配していた国より
経済的優位に立つことを許さないという考えがあった。
つまり日本は東南アジア諸国以下の経済力にする事が目標とされた。
ところが「ソ連封じ込め戦略」が策定されると、そうした考えは
一掃された。アメリカは日本とドイツを「二つの工場」にする事で、
ソ連の政治的圧力を跳ね返そうと考えたのである。
マッカーサーが意図した財閥解体とは正反対の目標が掲げられた。
日本は経済復興が第一の目標となり、戦後賠償は停止され、日本を
輸出主導の国にすることが奨励された。
日本経済の立て直しに大ナタを振るったドッジは、日本に戦前の
軍需省をモデルにした通産省の設置を奨め、それが輸出主導経済を
現実のものにする。後にアメリカを苦しめる通産省はアメリカの
アイデアなのである。
日本が輸出国として再建されるためには東南アジアが重要だと
アメリカは考える。東南アジアは日本にとって原料の輸入先であり、
また製品の輸出先にもなる。東南アジアがソ連の影響下に置かれれば、
日本はソ連から致命的な圧力をかけられることになる。
そこでアメリカは日本の「大東亜共栄圏」構想を復活させ、
「日本をその中心に戻さなければならない」と言うようになる。
アメリカがベトナム戦争を戦ったのも日本のためであったとアメリカ
は言う。それなのに日本は平和憲法を盾に協力的でなかったと
アメリカは不満を募らせる。
そしてそこに共産主義化した中国の存在がクローズアップされてくる、
というところで今回はここまで。
戦後民主主義世代の「歴史認識」再発見はいかがでしょうか。
お許しを頂ければまた続けます。
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