03. 2013年7月14日 04:06:56
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慎太郎の「横田めぐみさんなんか非常に日本的な美人だが、何やってるか分からない。強引に結婚させられて、子ども まで生まされた。今、誰か偉い人のおめかけさんになっているに違いない」は「老害の醜さ」ではない。それは、高齢者に失礼だ。慎太郎の発言の醜さは、歳を取ったからではない。今までも、人を足蹴にする発言するなど、散々繰り返して来たが、世の中は、それを「本音」とか称して、喝采をしてきた結果である。例えば、「ああいう人ってのは人格あるのかね」とは、1999年、重い障害のある人たちの治療にあたる病院 を視察した際の記者会見での発言である。「男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉 経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人 間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるっての は、地球にとって非常に悪しき弊害」ともというのもある。こんなのを探って行けば、枚挙にいとまがない。 http://matome.naver.jp/m/odai/2129161684892120001 先日も、朝日新聞のインタビューで日 本は軍事国家になるべきだと述べた。橋下はそ れに対して、「『軍事国家』の言葉について『石 原代表は作家だからそういう言葉を使われている が、表現の仕方は注意しなければならない。解釈 の幅が広いので言い方によっては誤解を生む。丁 寧に説明しなきゃいけない』と苦言を呈してる。 http://blog.livedoor.jp/hanadadesu1958/lite/archives/25372627.html 慎太郎とは、元々こういう人間性である。 殆どテレビを観ないのだが、今日は日曜日だと 思って久しぶりに「笑点」を観ようと思ってテレ ビを付けたら今日は土曜日、ブログを書きながら 適当にチャンネルを変えていたら、道徳教育のこ とをやっていた。まだ、文部科学省も学校現場 も、道徳の教育化に向けて試行錯誤のようであ る。その内容について、あれこれ言うつもりはな い。 ただ、足りないと思ったことがある。それは、正 しい日本語である。正しいと言っても、言葉の意 味が間違っているというものではなく、尊敬語、 謙譲語、丁寧語の使い分けである。尊敬語、謙譲 語、丁寧語は、人間関係を踏まえて、日本社会で そつなく生きるために必要な語法である。 これを正しく使うためには、先ず、他者に敬意を 払うということが大前提である。そして、尊敬す べき相手とは誰か、自分がへりくだるとは、どの ような場合なのか、丁寧語はどのような時に使う のか。これは、日本人として身に付ける人間関係 を理解することにもなるので、道徳の意味もある と思う。恥ずかしながら、斯く言う私も、これら の使い分けは極めて怪しいのである。 【尊敬語】 動作・存在の主体を高め、その人に話し手が敬意 を表すもの。 【謙譲語】 動作(存在)の主体を低め、動作の客体または聞 き手に話し手が敬意を表すもの。 【丁寧語】 動作・存在を、話し手が聞き手に敬意を表して 言ったり、上品に言ったりするもの。 以前、ブログ「日本精神を読み解くhttp://blog.livedoor.jp/hanadadesu1958/lite/archives/29339933.html 」で、日本精神の要諦は日本語で あると書いた。何故ならば、人間は言葉に依って 物事を考えるのである。概念は言葉に依って成立 する。それは、単に思考だけでなく、込み上げて くる感情すらも言葉で自覚するのである。さら に、目に見えるもの、耳に聞こえるものも言葉と して把握するのである。だから、言葉としてない ものは存在しない。 そして、「日本は適度に、大陸から離れていたこと により、元寇という例外を除き、外からの脅威に 曝されることはなかった。また、中国や、朝鮮か らの様々な影響もあったが、日本は、それを上手 く日本化して取り入れていったのである。漢字を 仮名文字にしたのも然り、また、仏教をかんなが らの道と習合させ、独自の日本仏教に昇華させた のもそうである。明治時代は「和魂洋才」であっ たが、平安時代は「和魂漢才」であった。「和 魂」が成立したのも、日本は日本語という独自の 言語を持っていたからだと思う。海外の先端の技 術や、思想、文化なども、日本に入れるために は、日本語に変換しなければならないのである。 今、世界に200近くの国があるが、その中で固有の 言語を持っているのはどのぐらいあるのだろう か。また、日本語は日本だけしか公用語として使 われていないので、日本精神は日本でしか存在し 得ないのである。各国はそれぞれ独自な文化を有 しているだろうが、それを精神の極みまで高めら れている国は何ヵ国ぐらいなのだろうか。特に、 日本の場合、建国からほとんど外国の侵略、支配 を受けたことがないので、日本精神を熟成させる には十分な時間があったのだろう。」とも書いた。 昨今、政治家の発言が問題になることが多い。最 近は、批判されると、素直に過ちを認めて謝罪を せずに、マスコミは前後の文脈を無視してると か、マスコミは「誤報」だとか、挙げ句の果て は、「日本人は読解力不足」だとか、どう考えて も開き直りとしか思えないような対応をする者も いる。 また、「本音」ブームなのか、知らないが「本 音」ならば、何を言っても構わない。聞く方も、 毒舌が格好が良いのか知らないが、聞くに耐えな い発言に喝采を送ったりする風潮もある。「反日 を殺せ」、「日本から出て行け」、「韓国人を射 殺しろ」、「ソウルを火の海にしろ」などのヘイ トスピーチもそうだろうし、あるいは、 石原慎太郎共同代表は街頭演説で、横田めぐみさ んについて「非常に日本的な美人だから、強引に 結婚させられて子どもまで産まされた。誰か偉い 人のお妾さんになっているに違いない」と述べた そうだが、「本音」なのかどうかは知らないが、 大衆に向かってこんな無神経な発言がよくも出来 ると唖然としてしまった。 正しい語法とともに、言って良い事と、悪い事の 判断を教えるのも必要な道徳心だと思う。 なお、人間学の大家でもある田中角榮は、 言って良い事、悪い事 言って良い時、悪い時 言って良い人、悪い人 を説いたとか。 自らの舌禍で苦慮している政治家も、自分の言い たいことだけ吐くのではなく、言われた側の立場 も考えて、言い方を配慮するだけで、世の中の反 応もの変わっていたのかも知れない。丸い玉子も 切りよで四角、ものも言いよで角が立つ。問題に なっている政治家も、田中角榮の教えと共に、私 が提唱する道徳でも受けてみたらどうだろうか。 なお、以前、「政治家にとっての『言葉』を読み解く http://blog.livedoor.jp/hanadadesu1958/lite/archives/27375035.html」を書いたこともある。 |