01. 2013年7月12日 16:53:06
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Bpress>日本再生>世界の中の日本 [世界の中の日本] ネット選挙解禁:衆愚制から双方向民主主義へ 候補者の中身が分からないは昔々のお話に 2013年07月12日(Fri) 伊東 乾 今回の参院選で「ネット選挙」が解禁という文字は見かけます。だからといって、何か大きく選挙戦が変わった印象があるかというと・・・と言うより本稿を執筆している7月7日時点ではほとんどないのでは、というのが正直なところです。 実のところ、現状で「ネット選挙解禁」の1つの狙いは「不法行為」とされ得るものを減らしておくというような、とても後ろ向きな部分にあるようにも思うのです。 これだけ日本社会に普及してしまったインターネット。そこに一定以上の選挙関連情報は放っておいても流れて不思議ではない。選挙が終わったあとで公職選挙法に抵触する、と立件されるようなものは減らしておいた方が無難・・・といった面も、一方にはあるように思います。 しかしインターネットが本当に政治、特に選挙のツールとして生きるとしたら、旧来のメディアとの本質的な違いはいったい何だろうか・・・? 例えばポスターと、新聞と、あるいはテレビの政見放送と、インターネットとが根本的に違うところは何か? 間違いなく指摘できる1つの特徴は「双方向性」にあると思うのです。 マルチキャストの民主主義 分かりやすい例で考えましょう。テレビでは公職選挙法の規定に基づいて政見放送が流されます。これは、放送局・電波塔からいわば「放射状」に、一方向的に情報が流され、視聴者はもっぱらそれを受信するだけ。単一の情報発信源から広大な視聴者層に情報を伝達するので、これを「ブロードキャスト」<広く投げかける>と呼ぶわけです。 これに対して、例えばニコニコ動画のようなインターネット放送はどうでしょうか? もちろん発信源が情報コンテンツを流すところは変わりません。しかし、普通のテレビであれば視聴者はもっぱら受け身で見るだけですが、ニコ動やニコ生ではみんなの意見がそのまま(無検閲で!)画面に反映されます。 これは一対多の「ブロードキャスト」と好対照をなすものと言えるでしょう。多対多の「マルチキャスト的状態」<多数の人が多数の人に向けて投げかける状況>が作られているといってよいと思います。 こういう状況は、旧来のテレビ政権放送では絶対にあり得ない、インターネットならではの可能性と思います。誤解のないよう急いで記しておきますが、むろん政見放送をネットテレビで、勝手な書き込みが可能な状況で行うべきだとか、そんなことを言っているわけではありません。 今もポスターはがしなどの報道を目にしました。選挙の現実には足の引っ張り合い的な側面もないわけではない。性善説で選挙管理委員会は務まりません。選挙妨害になり得るような場を極力排除して、ネットの双方向性が生きる可能性を考えるのが賢明だと思うのです。 そこで、あえて「双方向性」という言葉を「対話の可能性」、もっと言えば「質問ができる内容」くらいまで平易に噛み砕いてみると、その先の見通しが開けるような気がするのです。鍵となるのは「公約」です。 つまり「公約」を巡って候補者と有権者とが、インターネットの双方向性を生かして「対話」できる可能性が開かれるなら、旧来メディアの限界を超えて、民主主義・・・これはスイス〜元来の原点である古代ギリシャ・ポリス世界で行われるような直接民主制の理想形により近いものとして・・・の深化や発展に寄与する、本質的な進展が「ネット選挙」によって得られるのではないか、そんなふうに思うのです。 東京都選挙区の実例から この観点に立って、現実の選挙ポスターの記載を一定の範囲で分析してみたいと思います。私は東京都に住んでいますので、参議院東京都選挙区を対象としてみます。 選管のホームページによれば東京都選挙区は改選議席数5に対して、以下の20人の候補者が立候補しているとのことです。以下お名前だけを記します。 大河原雅子 釈量子 中松義郎 松本実 丸子安子 山口那津男 武見敬三 小倉淳 丸川珠代 吉良佳子 又吉光雄 桐島ローランド マック赤坂 鈴木寛 鈴木信行 森純 犬丸勝子 山本太郎 中村高志 西野貞吉 この中で、7月7日時点、都内20カ所の掲示板で確認して、ポスターが添付されていたのは以下の10候補でした。以下、候補者名と、ポスター面に印刷された主要な文字を可能な限りそのまま記します。以下は東京都文京区の東京大学総合教育研究施設前に設置された選挙ポスター掲示板から、私自身がメモを取りました。 大河原雅子候補 「共に生きる社会へ」 釈量子候補 「国防強化、消費増税中止、生涯現役社会」 山口那津男候補 「『日本再建』」をやりぬく」 武見敬三候補 「東京から日本を取り戻す“活力ある健康長寿社会”」 小倉淳候補 「こんな参議院は、いらない」「政治の改革を遅らせるしがらみ、なれあい・・・」「維新の原点に立ち返り、橋下徹の改革を参議院でも実現します」「原点回帰「維新改革」「アナウンサーの仕事で大切なのは、実は人の話を聞くことなんです」「『発信力』×『聞く力』」 丸川珠代候補 「『働く誇り、日本の笑顔』比例代表では『自民党比例候補者名』か『自民党』とお書きください」 吉良佳子候補 「改憲・増税ストップ 再稼動やめ原発ゼロ 人間らしく働ける世界を」 桐島ローランド候補 「信じられる未来へ」 鈴木寛候補 「党派を超えて協力し対話し 法案成立国会No.1」「教育予算を9%増やし高校・大学生の学費負担を軽減」「学校耐震化93%に引き上げ」「学校ボランティアを647万人に」「医療予算を14%増やし外科医・産科医、小児科医増加」 山本太郎候補 「本当のこと言って何か不都合でも?」 さて、これらはみな、ポスターに印刷された文言をできるだけ忠実に写してきたものですが、皆さんご覧になっていかがでしょうか? ネット選挙の時代、ここに記された内容を巡って、双方向的な議論が成立するものがどれくらいあると思われますか? ここでは冷静な第三者的視点に立って、ポスター文言を字句通りに検討したいと思います。ほとんどの候補がイメージ優先のキャッチフレーズ、いわばスローガンを大きな文字でポスター面に印刷していますが、率直なところ、スローガンというのは放射状の情報発信に適したもので、たった一言のキャッチフレーズから、有権者と候補者の間で双方向性の対話が深まるとはなかなか期待できません。 そもそもポスターに「公約」が記されていない候補がとても多いと思います。民主主義的な選挙は元来、実行可能な公約を掲げ、それを支持する有権者が投票して候補者を議院に送り込み、政策を実現させていくはずのものです。 が、現状の日本は悪い意味での「イメージ選挙」に流れやすく、「ブーム」によって票が大きく流れ、民主党が大勝ちした次の選挙では自民圧勝というような選挙結果の迷走が続きます。 選挙ポスターには、公約でもなければ選挙の本質とも関係のない文言が縷々続くものもあれば、明快に公約内容が記されているものもあります。 あえて政党名は記しませんが、上記10候補の中で単なるモットーという範囲を超えて公約と呼び得る実現可能な具体的内容が記されているのは吉良候補と鈴木寛候補のポスターくらいのものではないでしょうか? さらにその公約に実現可能な具体的数値目標まで記されているという点では、鈴木寛候補のポスターがずば抜けて「ネット選挙以降」の双方向的な議論に堪えるものになっていると思いました。 具体的な政策課題について数値まで挙げてこれを実現する、と公約を提示するなら、それを巡って現実的な対話、ネット上での質疑応答などいくらでも可能でしょう。 どうかここで誤解しないで頂きたいのは、私が鈴木寛候補のポスターの文言をえこひいきして、特定の候補をよいといっているとかそんなレベルの話ではないということです。 私が言っているのは、選挙で有権者に告知する情報として、実現可能な政策公約を達成目標の具体的数値まで含めて記すことは、今後のネットワーク型選挙、双方向的民主主義の充実を考えるとき、あらゆる政治家に求められる必須の基礎条件だという、ただそれだけのことです。 私の住む東京都選挙区に関して見るなら、そのような選挙ポスターは鈴木寛候補のもの以外には見当たらなかった。正直とても残念で、本当はもっと、と言うよりすべての候補に、具体的な公約ある選挙選を戦ってもらうのが民主的な選挙の大原則だと思います。 重ねて補っておきますが、鈴木寛候補は人物も知っています。が、いまここでは同候補のポスターが優れているなどと言いたいわけではありません。むろんポスターの文言を巡って鈴木寛候補と話をしたことなどもありません。 ただ、想像がつくのは、私と同年輩で慶応義塾大学助教授から転出して参議院議員になった鈴木寛さんは、情報社会学者として選挙の諸問題に徹底的に通じており、「ネット選挙」に対しても根本的な対策が立てられる数少ない人物として党派を超えて認められる人で(彼自身のポスターにすら、自分の所属する政党名を書いて、などとは記さず「党派を超えて協力し対話し」、実際に法案を成立させていくことを強調していることには、大いに注目する必要があります)、たぶんこれは、今後高度にネットワーク情報社会化が進む日本で、新世代の選挙選に求められる原点の1の1から、きちんと考えて決意した上でのポスターだろう、という推察です。 正直、あらゆる候補が、これくらい明確に公約やその達成見通しを記してくれれば、どれほど日本の選挙は成熟の進んだ民主主義になることかと思います。そういう、一般的な観点から分析して、必要な情報が過不足なく示される、選挙告知の「発信」があればこそ、ネットワーク双方向性の「対話」に道が開かれ、瞬間視聴率を争うテレビタレントのような放言ではなく、中長期的に日本の社会経済を立て直し、成長に導くまつりごとに道が開かれていくと思います。 ここでの分析は、個別政党の主義主張を巡る賛否では全くないこと、どうかそれに誤解のないようにと思います。 実行・完遂が可能=「フィージブル」な公約を数値目標と共に示して立候補し、議席を得たあかつきには確かにそれを推進してゆく、それが、うそのない選挙の王道だと思いますし、ネット選挙がその本道に日本の民主主義を戻して行く牽引力になってほしい、と改めて強く思う、そういうことをこの分析を通じてお伝えできればと思います。 鈴木寛候補のポスターに記されている程度の情報が、あらゆる立候補者のポスターやネットコンテンツに、政見・公約として明記してあれば、有権者が投票候補を選ぶうえで、どんなに分かりやすいかと思います。 と言うより、この程度の情報が最低限あって、初めてネットワーク民主主義が成立し、意味ある対話が可能になる、すべての政治家が本来クリアしなければならない最低限の情報が、ここで確認できることを指摘しているのにほかなりません。 もっと明確に言うなら、単にイメージ的なスローガンが並ぶだけだったり、当選後の施策と無関係な文言が滔滔と語られても、それを巡ってどのように有意義な会話が有権者と候補の間で成立するか、正直私には想像することができません。 従来の放射状ブロードキャスティング型・マスメディア選挙であれば、イメージ選挙でも何とかしのげたのかもしれません。当選すれば勝ち、バッチなければただの人、という現実もあるでしょう。 しかし、選挙を含む政治へのマルチキャスト型ネットワークの浸透が進めば進むほど、看板一枚だけの選対では通用しなくなり、本当の実力を持つ政治家の見分けが、有権者全般にとってつけやすくなっていくと思います。 いま私は、自分の住む東京都選挙区について、具体的なポスター面印刷の文字を参照して考察してみたわけですが、これは日本全国どの選挙区についても全く同じことです。 政治家が有効に機能するか否かは、具体的で実現可能(フィージブル)な政策案を明確に掲げ、それを確実に実行するかどうかで、元来は判断されるべきものです。 つまり、実現可能性の低いモットーを連呼するとか、そもそも具体的に政策を示さず、イメージ先行で内容が確定しないキャッチフレーズ先行といったパブリシティは、代議制の大原則に照らして、本当に民主主義の選挙として成立しているのか、正直疑わしいと言わざるを得ません。 今回の参院選が本当に「ネット選挙解禁」第1回目であるとするなら、ネットの双方向的な議論の応酬で、有権者の厳しい問いかけにきちんと答えられる候補者は誰であるか、具体的な課題に対して、実現可能な政策目標を明確に掲げている、政治家として当たり前の基礎を大切にしている候補が誰か、という観点で、ご自身の選挙区候補者を見直してはいかがでしょうか? 腰を落ち着けて見直すなら、こうした見分けはむしろつけやすくなっていると思います。何よりインターネットという媒体上では、そうした判別がより容易かもしれません。 イメージやブームに流れるのでなく、ご自身の1票が確実に民主主義の力として功を奏する、そんな「ネット選挙以降」中長期の展開があれば何より、と思っています。 JBpress>日本再生>ずばり勝負 [ずばり勝負] ねじれ国会の方がマシ? 盛り上がらない参院選 原発再稼働、憲法改正・・・国民がシラケていても政策は決まる〜笠原敏彦氏 2013年07月12日(Fri) JBpress マット安川 米ブッシュ政権や英ブレアー政権、英王室から紛争地帯まで取材されてきた、毎日新聞編集委員・笠原敏彦さんが初登場。いちジャーナリストとしての見識や体験、外から見た日本などをお聞きしました。 欧米人の日本観はこの10年でガラリと変わった 「マット安川のずばり勝負」ゲスト:笠原敏彦/前田せいめい撮影 笠原 敏彦(かさはら・としひこ)氏 毎日新聞編集編成局編集委員。1985年毎日新聞社に入社。97年10月〜2002年9月ロンドン特派員、2005年4月〜08年3月ワシントン特派員、2009年4月〜12年3月欧州総局長(ロンドン)を務めるなど海外経験豊富。英国、米国の政治・外交やアフガン戦争、コソボ紛争、イラク戦争などを取材。(撮影:前田せいめい、以下同) 笠原 ロンドンに5年、ワシントンに3年、さらにロンドンに3年駐在して、去年の4月に帰ってきました。海外から戻ってくると日本の変化がよく分かります。 例えば、週末に自宅近くの公園で見る風景が変わりました。2008年にワシントンから帰ってきたときに気づいたのは、日がな一日、小さい子供を遊ばせている若い夫婦が増えたことです。 それまで日本のお父さんといえば、平日は仕事帰りに居酒屋で憂さを晴らして、休日は家族を連れてドライブにでも行くイメージでしたから、ちょっと意外でした。 驚いたのは、去年の春に帰ってきたときです。公園にテントを張る人まで現れて、やっぱり子供を遊ばせながらテントの中で本を読んだりしている。休日を家族と近場の公園で過ごすというのは、ロンドンやワシントンでもよく見る光景です。 僕はこれを非常にいい変化だと思います。経済なんてどうなるか分からないんですから、お金ではないコアバリューを持つべきですし、それが家族との関係であればけっこうなことです。 結婚しないカップルでも同性同士でもいいんですけど、そういうしっかりした人間関係に生活の重心が置かれると、社会全体が非常に打たれ強くなると思います。 変わったといえば、欧米の人たちの日本観もこの10年で大きく変化しています。 イギリス人に関して言えば、第2次世界大戦の記憶があるせいか日本をよく思っていませんでした。僕が最初にロンドンに行ったころは、新幹線が常に定刻で走るとか、ラッシュアワーの混雑がものすごいとか、かなりステレオタイプな日本観が一般的だったと思います。 しかし、帰国するころにはガラリと好転していました。アニメやマンガ、ポップカルチャーのイメージが強くなった。ビジネスマンのお昼時、テイクアウトの一番人気は日本食でしたしね。 ひとつ印象的だったのは、サッカーのワールドカップで日本が活躍したとき、本田(圭佑)選手が髪を金色に染めていることにみんなが敏感に反応していたこと。日本人の印象は、そんなことで大きく変わるんです。 半年前と異なるマニフェスト。ねじれ状態維持の方がまだ安心? 本当に選挙中なのかと思ってしまうくらい、今度の参議院選挙は盛り上がりに欠けます。 ひとつの理由は参議院の役割が分かりにくいことでしょう。昔なら衆議院のカーボンコピー、今はねじれの元凶。どっちにしても参議院なんて要らないんじゃないかという声が、そのうちまた出てきます。 「マット安川のずばり勝負」スタジオ風景/マット安川、笠原敏彦、加藤知華/前田せいめい撮影 もうひとつはマニフェストの問題です。去年の暮れに衆議院選挙をやったばっかりなのに、また各党が選挙公約を出す。しかも両者が矛盾していたりします。 分かりやすいのは自民党です。去年は脱原発依存を叫びながら、わずか半年後には原発再稼働路線に舵を切っています。去年の約束と半年後の約束と、どっちを重視するというのか。そこに何の原則もないんですよ。 世界中を見渡してもこんな選挙をやってる国はほかにないでしょう。選挙に関心を持とうとしてもシラけてしまうのはそのためじゃないかと思います。 もちろんシラけている場合ではありません。選挙後、安倍(晋三総理)さんはエネルギー政策も憲法問題も決めようとしています。 加えて、自民・公明が勝てば3年間は選挙がない。3年もあればけっこういろいろやれますよね。参院選には目の前にぶら下がっている問題以上のことが、つまりは日本の進路がかかっているということです。 参議院を衆議院のカーボンコピー、つまり自公連立状態にするのか、それよりはねじれた状態のほうがまだ安心できるか・・・。今回の争点はそれくらい単純化して考えたほうがいいと思います。 GDPの2倍の借金を抱える国で、アベノミクスが成功するのか アベノミクスに関する議論を見ていると、リーマン・ショック後のエリザベス女王の台詞を思い出します。 イングランド銀行でエコノミストたちを前に、「こういうことが起きるって、どうしてあなたたち専門家に分からなかったの」・・・まったく同感です。 経済政策をめぐっては、いまだにこうすればいいああすればいいといろいろなことが言われて、それが選挙の争点になったりします。でも、よくよく突き詰めて考えたら、結果は見えているんじゃないかと。 日本はGDPの2倍も借金を抱えています。ほかにはどこにもないそんな国が、どんどんお金を刷ってそれを市場に回してですね、それで経済がうまくいくなんてことがあるのかどうか? ややこしい経済理論はいろいろあるにしても、最後に行き着くのは、そんなきわめてシンプルな問いだと思います。 などと言いながら、人間が貪欲で臆病である限り、バブルが生まれて弾けることの繰り返しは終わらないとも思います。これはイギリスの有名な経済学者の受け売りですが(笑) グローバル化の時代に国内目線でしか語らない党首たち 公示日の各党党首の演説を聴いて、非常に違和感を覚えたのは、彼らが国際情勢にまったく触れないことです。 例えばアベノミクスについては、各党とも経済・景気は最大の課題だからとかなりの時間を割いているんですけど、そこにグローバルな視点がない。 円安株高になったと言いますけど、アメリカのバーナンキFRB(連邦準備制度理事会)議長が金融緩和を早めにやめるかもしれないと言っただけで、日本市場は大きくぶれた。今の時代、国内で何をやっても海外の影響から逃れられないんです。 「マット安川のずばり勝負」マット安川、笠原敏彦/前田せいめい撮影 格差社会だってそう。グローバリゼーションの中で格差を作らないというのは、僕は無理だと思うんです。日本人が食っていくには、日本企業が海外市場で儲けないといけないわけですからね。 でもそういう認識があれば、拡大した格差をどう縮めればいいかを考えられる。避けられないけれど放置はしない、国内の政治が対処していくという方針が必要だと思います。 外交・安保の問題にしたって、中国や韓国との摩擦をどう避けるかといったきわめてネガティブな話しか出てきません。 ブラジルやトルコではデモが、エジプトではクーデターが起きています。日本は海外への輸出で稼いでいるんですから、こういう国々の経済がおかしくなったら影響は小さくないでしょう。 政治家には国民を教育する義務があると思います。今の世界情勢を前提に進路を示すべきなのに、国内問題に終始しているというのは視野が狭すぎる。日本の進路を誤る原因にならなければいいんですが。 日本に2大政党制は無理。ヨーロッパと同じ連立制でいこう アメリカ、イギリスの政党っていうのは、まさにレプリゼンタティブ(代表者、代理人)です。 イギリスだと中流階級、上流階級という基盤があって、その代表として保守党が、労働者階級を代表する存在として労働党がある。アメリカならリベラルな人、保守的な人という社会を支える確固たる基盤があって、民主党と共和党があるわけです。 なんだかんだでかなり均質的な日本社会に、2大政党制は無理だと思います。この仕組みは2つの大政党がそれぞれ3割くらい、何があっても投票するんだという支持者を抱えていないと成り立ちません。 日本にはそうした基盤がないからこそ、選挙のたびに一方に風が吹いて地滑り的な勝利を収めたりということになるんです。 日本の進むべき道は、いろんな考えを持つ政党同士が組んで政策を生み出していく連立性だと思います。 自民党と公明党は考え方が違うんだから組むのはおかしいと言う人がいますが、ヨーロッパでも似たようなことは珍しくありません。ベルギーでは総選挙の後、連立する政党の組み合わせで揉めて、政権ができるまでに1年半もかかったくらいです。 「マット安川のずばり勝負」マット安川/前田せいめい撮影 マット安川(本名:安川昌之)
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