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小沢一郎は、天命がつくった貴重な日本政治の「有精卵」である!(前)
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2013年7月 9日 15:14 NET IBNEWS
日本一新の会代表、元参議院議員 平野 貞夫 氏
来る7月21日の参議院選挙をにらんで、今、1冊の本「真説!小沢一郎謀殺事件」(ビジネス社)が大変に話題になっている。著者であり、小沢一郎氏の「懐刀」、「知恵袋」と言われる平野貞夫元参議院議員にきいた。
<冷戦の終結でパンドラの箱が開いた!>
――「真説!小沢一郎謀殺事件」が話題になっています。この本を書かれたお気持ちをお聞かせ下さい。
平野貞夫氏(以下、平野) ここに書かれてあることはすべて事実です。しかし、私が読者に知ってほしかったのは謀殺の経緯でも、内容でもありません。「デモクラシー」(民主主義)そのものが、従来のように機能しなくなっている現実を訴えたかったのです。
小沢一郎氏は、「戦後の民主主義の誤った内容を正したい」という気持ちを第1回の当選以来、今まで一貫して持ち続けている言わば「端倪すべからざる政治家」であり、天命がつくった貴重な日本政治の「有精卵」なのです。
――政治家には、正しい「歴史認識」と「国家観」が必要と言われます。小沢一郎氏の歴史認識をどのように感じておられますか。
平野 小沢一郎氏の歴史認識は大きく2つに分けられます。1つは、東西冷戦構造が終焉したこと、もう1つは、資本主義が変質したことです。
平成元年(1989年)12月2日、マルタ会談で米ソ冷戦が終結しました。その時、小沢一郎氏は「冷戦の終結はパンドラの箱が開いたと同じことだと思う」と呟き、「これから、資本主義の暴走が始まる。米ソの戦争はなくなったが、富の偏りによる地域紛争や民族と宗教の対立が激化する。戦後政治の惰性で生きてきた日本は、自立して世界のなかで活動するために、これからどうするか」と言っています。この時点で、このような歴史認識(グローバリズム)をした政治家はほとんどいなかったと記憶しています。
あれから、25年経ちましたが、小沢一郎氏が心配した通りの世の中になってしまっていることがとても残念です。
――当時の状況をもう少し詳しくお話いただけますか。
平野 当時は、重化学工業社会から情報化社会への移行という第三次産業革命が行なわれ、右肩上がりの日本の経済成長は終わり、高齢化社会にも突入しました。そこで、これまでの高度経済成長時代の官主導の「利権政治」を改革しなければ、この前例のない状況を乗り切れないと考えたわけです。
この時、小沢一郎氏が考えた、誰もが共に生きていける「共生」という理念は、小沢氏が所属政党名は変わっても一貫として、最も大事にしているものです。
この理念が、「政治の自己改革」と「国民の意識改革」の上に成り立っていきます。
<人間が自然に生かされていた縄文時代!>
――「共生」について、少し解説をいただけますか。
平野 「人類は、人間による自然支配という西洋的価値観から、人間は自然の一部であるという東洋的価値観への転換を迫られている。東洋的価値観、特に古代縄文においては、人間はまったく自然と"共生"していた。人間が自然を支配するのではなく自然に生かされていた」は、小沢一郎氏の原点、著書「日本改造計画」の一節です。
この本が出たのが20年前です。しかし、真の民主主義の実現に政治生命を懸ける小沢氏は、現在まで揺らぐことなく、「自立」と「共生」を新しい国づくりの理念として、大義の旗を振り続けています。
最近、サンデル教授(ハーバード大学)が、「米国自由主義は功利主義(ユーティリタリアニズム)と自由至上主義(リバタリアニズム)の2本の柱だけでは駄目で、共同主義(コミュニタリアニズム)が重要である」と言っているのに通じています。
共同体主義とは、共同体において個人が「役割を果たす」ことを重視し、共通の価値である「徳」を大切にします。損得や好みとは別に「為すべきこと」があるのではないか、それを集団において共通のものにしていく必要があるのではないか、という考え方です。
小沢氏も政治家人生において「道」(サンデル教授の言う「徳」)を常に意識しています。
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小沢一郎は、天命がつくった貴重な日本政治の「有精卵」である!(中)
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2013年7月10日 07:00
<定数480議席で、与党398議席の現実!>
――「デモクラシー」(民主主義)が機能しなくなったとよく言われます。どういうことでしょうか。
平野貞夫氏(以下、平野) 資本主義は変質して、崩壊へ向かっています。卑近な例で言えば、デフレが15年も続けば、もうそれは従来の"デフレ"という概念では説明できません。デフレやインフレという言葉で経済状況を表現できなくさえなっているのです。
私は、衆議院事務局・参議院議員を通じて、今まで50年近く、国内外の「議会制民主主義」を見てきました。その上で、すでに「民主主義は正常に機能しなくなった」と断言できます。
議会制民主主義には2つの拮抗した政党勢力が必要と考えられてきました。今、日本の衆議院では、自民党は、その補完勢力を含めると、定数480議席の内398議席を占めます。これは問題なのです。
<1%の権力者が99%の資産・資源を独占!>
しかし、私が申し上げたいのはこの先の問題です。では、議会制民主主義に2つの拮抗した政党勢力が揃えば現代でも、正常に機能するのかというと、そうではないのです。
「議会制民主主義」が正しく機能するためには、「資本主義」の経済構造が健全であることが絶対条件なのです。例えば、資源(石油等エネルギー)に余裕があること、たとえ排他的な競争をしても世界各国に余力があり、地球の環境がおかしくならないことなど、いくつかの条件を満たしていなければいけません。現在においては、このような条件のどれ1つとっても満たすことができていません。
今、日本でもアメリカでも、ヨーロッパでも、1%の権力者が99%の資産や資源を握っています。この傾向は、特に、20年、30年前から顕著にみられるようになってきました。
民主主義では、人間の平等の基準を「機会均等」におきますが、現在は"一定"の「結果平等」(basicincome)にしなければ、社会は機能しません。そのために、小沢氏は、政策的にはセーフティネット「国民1人ひとりの命と暮らしが守られる安心、安定した社会保障の構築」をとても重視しているのです。
<新しい「社会秩序」の構築が急がれる!>
しかし、この現実を無視して、あたかも"機能している"ように見せている権力者、官僚、TVや大新聞が問題なのです。現在、行われている選挙でも、その影を大きく落しています。
冷戦終了後、「ポスト冷戦」という言葉ができました。そして、世界経済そのものが「資本主義市場経済」へ取り込まれて、一本化されていきました。しかし、2008年のリーマン・ショックは、ポスト冷戦のもとで世界を支配したマネーゲーム資本主義の敗北を示すものになりました。世界は、「ポスト・ポスト冷戦」の時代に入り、「デモクラシーが正義」から離れ、新たに人間が生きていく「社会秩序」を構築していかなければならない時期が来ています。
小沢氏が25年前に、この「歴史認識」をできていたことは、まさに慧眼と言えます。因みに、「アベノミクス」は、相変わらず「ポスト冷戦」の経済構造を基盤としており、その意味で砂上の楼閣とも言えるのです。
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小沢一郎は、天命がつくった貴重な日本政治の「有精卵」である!(後)
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2013年7月11日 07:00
<欧州のヒポクラテスと日本の縄文時代!>
――「デモクラシー」に変わる新しい「社会秩序」について説明いただけますか。
平野貞夫氏(以下、平野) 今、世界の先進国で、「デモクラシーが正義」という考えを見直そうとする動きが起きています。ヨーロッパでは、医者、哲学者、思想家であるヒポクラテスの考え方、日本で言えば縄文時代のものの考え方などが注目されています。
現代社会には、国際問題、地球環境問題など政治の対象となる問題はたくさんあります。しかし、小沢氏もよく言うのですが、政治の役割、政治家が考えなければならないのは、「どうやってみんなが豊かに幸せに、そして安全に暮らせるようにするか」、つまり「国民の生活が第一」に尽きるということだと思います。
<吉田元首相「憲政の夢」の最後の継承者!>
――改革者であり続けることは大変だと思います。小沢一郎氏のそのDNA、エネルギーはどこからきていると思われますか。
平野 それは難しい問題です。おそらく、先天的なものと後天的なものがあると思います。
私は、小沢一郎氏の「ゆるぎなさ」と「一貫性」という政治的遺伝子は、父親の小沢佐重喜氏から受け継いだものと考えています。佐重喜氏は私もよく存じ上げているのですが、小学校もろくに出ていないにもかかわらず、車引きや新聞配達をしながら弁護士になり、そこから政界(建設大臣、運輸大臣、郵政大臣等を歴任)に転じた立志伝中の人物です。そして同時に、ゆるぎなき信念・信条の人でした。
しかし、後天的に、もう一つ忘れてならないのは、小沢一郎氏は吉田茂元首相の最後の継承者であるこということです。小沢一郎氏は、父親が尊敬してやまなかった吉田元首相が果たしえなかった憲政の夢「政権交代のあるデモクラシー」を受け継いでいます。私は、吉田元首相には大変にお世話になっているのですが、日本に議会制民主政治を定着・発展させることを重要な政治テーマにしていました。
2人には面白いエピソードが残っています。吉田元首相は、第二次吉田内閣が成立したとき、「デモクラシーの実現には政権交代が必要で、その為には社会党を育成しなければならない」と発言、当時の社会党に「よけいなお世話だ」と言われているのです。
一方、小沢氏は、自民党の幹事長時代、政権交代を行いやすくする衆議院選挙制度の改革「政治改革大綱」の実現を自民党の衆参両議員に要請して、「自民党が政権から下りるような改革は必要ない」と反対されています。この「政治改革大綱」の主旨は、非自民・細川連立政権で成立します。
このことで、小沢一郎氏は嫌われ、忌諱されることになります。しかし、私は、この小沢一郎的なものは、これからの日本の主流・本流、世界でも主流になっていくものと確信しています。
<国際社会で生きていく若者に万次郎の智慧!>
――最後に今後の著作活動に関してお聞かせ頂けますか。
平野 今、2つアイデアを温めています。1つは、私は、高知の出身で、郷里の偉人に「ジョン万次郎」がいます。財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター(CIE)財団(小沢一郎会長)で私は現在、評議員をしています。このジョン万次郎が幕末から明治維新まで何をやり、何を悩んだのかを、やさしく中学生向けに書いてみたいと思っております。これからの国際社会で生きていく若者に彼の貴重な智慧を届けたいのです。坂本竜馬も、後藤象二郎も、万次郎にデモクラシーの原点を教わっています。
もう1つは、日本の議会制民主主義が機能していた時代の政治家、私が仕えた前尾繁三郎氏、園田直氏や同時代に生きた保利茂氏、水田三喜男氏、椎名悦三郎氏等の直接的人間像を書いてみたいと思っています。後に続く、若い政治家の方達に役に立つ智慧を届けられるのではないかと思うからです。
――本日はありがとうございました。
(了)
【金木 亮憲】
■日本一新の会について
平野貞夫氏が代表を務める、2010年6月発足の任意団体。「日本一新」とは2000年の総選挙で、当時の自由党党首小沢一郎氏が提唱した運動である。その後、民主党で「共生社会の実現論」に継承され、「国民の生活が第一」という政治目標になり、09年の政権交代を成功させた。現在は、「生活の党」の理念に継承されている。
<プロフィール>
平野貞夫氏
1935年、高知県生まれ。法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士。衆議院事務局に入局。園田直衆院副議長秘書、前尾繁三郎衆議院議長秘書、委員部長等を歴任。92年衆議院事務局を退職して参議院議員に当選。以降、自民党、新生党、新進党、自由党、民主党と一貫して小沢一郎氏と行動をともにし、小沢氏の「知恵袋」、「懐刀」と呼ばれている。『平成政治20年史』、『小沢一郎完全無罪「特高検察」の犯した7つの大罪』他著書多数。現日本一新の会代表。
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