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2013年7月 8日 神州の泉
投票率が極端に低い状態で実現する政治状況は、多くの民意から乖離する。昨年12月の衆院選で起きたその恐ろしい状況がまた出てくる可能性が高い。
このあいだの記事で「沈黙の螺旋(らせん)」を扱った。これは「沈黙の艦隊」とは関係ない。
「沈黙の螺旋」理論とは、マスコミが少数意見の人々に対し、趨勢はこの多数意見ですよと繰り返すこと(同調圧力)によって少数意見者を萎縮させ、そのことによって多数意見と称されるものがますます勢いを増して「デフレ・スパイラル」のような螺旋(らせん)構造を持つことをいう。
民主主義国家で、頭のよい権力層はマスコミを使ってこの理論を応用し体制に反対する少数意見を淘汰する事例は後を絶たない。日本では小泉政権の構造改革や郵政民営化にこの理論は応用されている。
既得権益層の傀儡政府とマスコミの協働による政治誘導の実態を知るには、19世紀フランスの社会学者、アレクシ・ド・トクヴィルが唱えた多数決民主主義の危険な側面を知る必要がある。
中野剛志氏や柴山桂太氏らが面白いことを言っていた。トクヴィルは、多数決民主主義は少数意見を排除して専制体制を作る危険があるという。
トクヴィルはアメリカン・デモクラシーを研究して、民意が多数派意見として直接政治に反映すると危険な専制的状況が生じるという。一人の人間が権力を揮う独裁政治も、直接民主制で多数派意見が政治に反映された場合でも、実行される政治は専制色を帯びる。
だから、一般大衆と最高権力層の間には何段階かのクッション、フィルター機能をはたす中間層を設ける必要があるという。じつにまっとうな社会学・政治学であり、これはフランス革命の最終進化形国家と言われる人造国家のアメリカでさえも、現実にはこれを統治構造に取り入れている。
トックヴィルは語る。一人の独裁者のもとに支配される人民は平等である。一方、民主主義も平等である。独裁政治と民主主義政治は「平等」という媒介変数で等式が成り立つ。だから、民主主義的な平等は政治の最適選択を誤ってしまえば、それはそのまま全体主義、独裁体制、専制体制に変質する。
この意味で、“決められる政治”とか“官邸主導体制”などというフレーズをトップの政治家が使うときは非常に危険なのである。我が国は小泉政権以降、多数者の民主政治を凝らした専制政治が横行しているのだ。
トクヴィルは民主主義は結局のところ独裁であるから、支配層と被支配層(一般大衆)の間に中間層を設ける必要があると言った。
アメリカ、フランス、イギリス、ドイツなど民主主義国家の本家本元といわれる国々は、このことを骨の髄まで知っている。欧米諸国のエリート層はトクヴィルの民主主義理論を統治に応用し、中間層という安全装置を設けている。
ヨーロッパは、このクッションにあたる中間層にギルド(職業別組合)とか教会、都市などを設けた。
アメリカは、市民団体、様々なコミュニティ、教会(プロテスタント、カトリック、ユダヤ教など)、これら中間層のフィルター機能によって、かろうじて多数決民主主義の暴政が制御されている。
フランス革命を正義の人類革命だと思い込んでいる日本の人々が考える戦後民主主義は、アメリカに付け込まれる隙を作っているのだ。彼らにはトクヴィルを再考してもらいたい。
この観点から1990年代から起きてきた日本の構造改革をみると、支配層と一般大衆の間にあったさまざまな調整システム、安定化システムなどの中間組織を片っ端から壊すことに傾注していたことが見える。それは小泉構造改革後に破壊的なほど先鋭化した。
ただ、アメリカに関して言えば、2001年の9・11直後に制定された愛国者法(Patriot Act)によって、これら地域のコミュニティや共同体が事実上、手足を縛られて無力化されている。
つまり、アメリカは対テロ防止を名目に中間組織が無力化されることによって、多国籍企業による完全な専制政治が実現している。これは多国籍企業&軍需産業と政府中枢が結託してコーポラティズムが築かれていることを意味する。
トクヴィルの理論で、中間組織を取り払った民主主義が全体主義や専制政治を生むという理説は、1989年の日米構造協議から色濃くなっている。日本がアメリカの要望に応じ、譲っていくたびに日本の中間組織が壊されてきたことに気づいただろうか。
アンシャンレジーム(旧体制)の要素を全て取り去って民主主義国家を創ったはずの人造国家アメリカでさえ、教会やコミュニティなどの中間組織を統治構造に取り入れ、そのために教会派閥は政治に対して大きな力を持っている。だからアメリカは日本の国力を殺ぐ最も効果的な方法は日本固有の中間組織を崩壊させることだと考えている。
この視点から年次改革要望書や小泉・竹中構造改革が何を目指していたのかよく見えてくる。アメリカの要望で破壊されたものは護送船団方式、談合、系列企業、株の持ち合い、郵政事業など、日本独特の中間システムなのである。小泉政権が抵抗勢力と位置付けたものこそ、日本型の中間システムなのである。
これらに悪のレッテルを貼って駆逐したことによって、トクヴィルのいう多数派の専制政治が横行するようになっている。農協や共済がアメリカに敵視されていることもこの文脈にある。
アメリカが攻撃している日本型中間組織は、フリードマン主義から見れば無駄が多い。しかし、この無駄こそが専制政治の危険を除去し、日本の政治を安定させていたことに気づかなければならない。もう一つは、この無駄こそが外国資本の収奪行為に対する防波堤となっていたことがある。
だからこそアメリカは日本の市場構造にケチを付けまくったのである。TPPは日本の多様性や安定システムを根こそぎ破壊する最悪の黒船なのだ。
安倍政権は日本を取り戻すと言っているが、TPPに向けて構造改革の総仕上げを目指している。トクヴィルのいう中間層の意味をよく考えると、TPPが何を狙っているかが鮮明に見えてくる。中野剛志氏が先陣を切ってTPPに先鋭的な斬りこみを行ったのは、彼がトクヴィルをよく理解していることも大きい。
今次参議院選挙の国民の態度は、熱狂とは正反対の興ざめ感覚に落ちいっている。これでは投票率が下がり、自民党の思う壺になる。そこで冒頭の民主主義は危険な専制政治を生むというトクヴィルの警鐘に戻るが、今回選挙でも、TPPに反対する候補者を多数参議院に送らなければ、自民党が独裁化して暴政の嵐になる。
自民党支持が多数派であるというマスコミの流布は嘘である。これに騙されて投票に行かなければマスコミのウソが本当になり、民主主義の多数決原理で、まさにトクヴィルの言う“民主的専制”が実現されてしまうのである。
投票率が異常すぎるほど低くても、その範囲で多数派と少数派に別れる現実は、多数派が多数決原理を盾にとって少数派を排除してしまうことに変わりはない。
だが、ここで言う“多数派”とは「沈黙の螺旋理論」によって変換された“政府側(支配者側)の少数意見”なのであって、大多数の国民意志は反映されない。
つまり、選挙という民主主義最大の手続きを経ることによって、支配者側は堂々と有害な政策を実行することができる。恐ろしいのは、これを民意の名の下で実行することにある。
具体的には、参議院は安倍自民党のイエスマンだらけになるということである。だからこそ、選挙は棄権せずに抵抗勢力を一人でも参議院に送り込む必要がある。
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