http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/514.html
Tweet |
総長就任は「奇跡の逆転満塁ホームラン」だった Photo:Kyodo
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2882
週刊文春 2013年7月11日号
6月23日、吉永祐介元検事総長が肺炎のため亡くなった。81歳だった。
「上からやれなきゃダメだね」
病気のため、長く自宅療養を続けていた吉永氏と会話らしい会話ができたのは、2010年1月16日が最後だった。この前日、陸山会事件で小沢一郎代議士の元秘書、石川知裕代議士(当時)が逮捕されていた。私がロッキード事件を引き合いに捜査の感想を聞くと、吉永氏はそう語ったのだ。当時、すでに言葉を繋ぐことも難しい状態だったが、「ロッキード」という言葉には、はっきり反応するのが不思議だった。
吉永氏の読み通り、「上=小沢氏」を逮捕できなかっただけでなく、捜査の不始末が次々に発覚。その後の特捜検察の体たらくはご存知の通りだ。
吉永氏は、主任検事を務めたロッキード事件で田中角栄元首相をいきなり外為法違反で逮捕した。「頂上作戦」と呼ばれる、トップから摘発して行く独自の手法だった。
その後の吉永氏の検察人生は波瀾万丈だった。東京地検検事正の時にはリクルート事件の陣頭指揮をしたものの、東京の主要ポストには残れず、後は広島、大阪各高検検事長と、お決まりの“上がりポスト”に就いた。ところが、92年の金丸信自民党副総裁(当時)の政治資金規正法違反事件で風向きが変わる。検察が金丸氏を事情聴取もせずに略式起訴したことで、検察への批判の声が噴出したのだ。当時、「週刊文春」も、「吉永氏を東京に戻し、検察を立て直せ」との論陣を張った。そうした声が翌年の吉永検事総長誕生の流れを作った。
吉永氏が広島高検検事長の時のことだ。もう先が見えたといささか落胆していた吉永氏に、私は「絶対総長になれますよ。あきらめないで」と励まし続けた。その時、ヒマラヤ取材の際にエベレスト5合目で買った「マニ車」をプレゼントした。これは1人1つしか買えない仏具で、1回回せば1回お経を読んだことになる。「回しながら願いごとを唱えれば、必ず叶う」と言うと、吉永氏は満面に笑みを湛えながら、「総長になる。総長になる」と演(や)ってみせた。
そういう少年のような気質を持った「鬼検事」だった。
文小俣 一平 (元NHK社会部記者・東京都市大学教授)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。