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2013年07月07日 世相を斬る あいば達也
首都圏に梅雨明け宣言が出た。現在、外の気温は35度らしいが、筆者の仕事部屋の温度は28度、湿度70%だ。暑いと唸るほどでもないが、空気は重い。おそらく、こんな重苦しい空気の中で、参院選候補者並びに関係者は、叫び、走り、支援を取りつけようと奔走しているのだろう。ほぼ落選確実と予想されている候補者は、この暑さと湿気を、殊更感じているのだろう。
昨日、ビデオニュース・ドットコムのニュース・コメンタリーを視聴していたら、安倍自民党総裁が立憲主義に対する考えとして≪「まず、立憲主義については、『憲法というのは権力を縛るものだ』と、確かにそういう側面があります。しかし、いわば全て権力を縛るものであるという考え方としては、王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方であってですね、今は民主主義の国家であります。その民主主義の国家である以上ですね、同時に、権力を縛るものであると同時に国の姿についてそれを書き込んでいくものなのだろうと私達は考えております」≫と答えた。
聞き流せば、何だか言っていたレベルだが、この発言は、驚くほど重大だ。安倍は、民主主義国家における立憲主義の、世界共通の認識とは異なる憲法意識を持っている。つまりは、民主主義国家であることを否定する思想の持ち主だ、と自らカミングアウトしたのだ。この重大発言も、日本のマスメディアはスル―した。おそらく、マスメディアに巣食っている連中は、記者クラブ主催の討論会がシナリオ通り推移し、シナリオ通りの予定原稿を配信したのだろう。それに、安倍官邸に逆らう、反安倍的言論が厳しくチェックされている事実を知っているのだろう。
民主主義からの離脱、王政復古が安倍晋三の情緒に強く訴えているのは理解するが、彼自身が、それが何を意味しているか、まったく判っていない点が非常に問題だ。物事を理解せずに、発言し、それを咎める者もいない。気づくメディアも僅か。詳細に安倍晋三を分析している米国政府は、“コイツは本気で戦争するかも?”と分析しているかもしれない。ロシアは“この馬鹿は使えそうだ”と感じたかもしれない。筆者の望み通り、日本国民が“まさか、こんなに酷くなるなんて”と気づく日は、意外に早く訪れるかもしれない。
このような歴史は、悲しいことだが、嘆くほどのもでもない。気がついた時、中国、韓国とはいがみ合いは深みに嵌り、ロシアからは馬鹿にされ、米国からは遠い親せき扱いされ、挙句にマーケットだけは奪われる。人によっては、この状況は危機的だと言うだろうが、筆者からみると、通過しなければならない、日本の運命である。だからといって、何も日本が消滅するわけでもない。戦後の誤った繁栄にピリオドが打たれるだけであり、国家の在り方を、あらためて考える為には、挫折と云うチャンスも必要だ。
*ビデオニュース・ドットコムは有料だが、このコメンタリー収録は無料で視聴出来るので、詳細を知りたい人は以下のURL…。 URL: http://www.videonews.com/
≪ 総理大臣が立憲主義からの離脱を表明しても問題にならない国
参議院選挙の公示を目前に控えた7月3日、9党党首による討論会が日本記者クラブで開かれた。翌日の新聞各紙やテレビのニュースでは、「アベノミクスを 巡り与野党党首が論戦」などといった暢気な見出しが躍っていたが、党首討論の中で最も重要な発言に触れていたメディアはほとんど見当たらなかった。
それは憲法の位置づけに関する安倍首相の発言だった。
福島社民党党首から「私は、憲法は国家権力を縛るものだと思っています。立憲主義です。総理はこれに同意をされますか。もし同意をされるとすれば、自民党の憲法改正案はこれに則ったものでしょうか」と問われた安倍首相は、「まず、立憲主義については、『憲法というのは権力を縛るものだ』と、確かにそういう 側面があります。しかし、いわば全て権力を縛るものであるという考え方としては、王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方であってですね、 今は民主主義の国家であります。その民主主義の国家である以上ですね、同時に、権力を縛るものであると同時に国の姿についてそれを書き込んでいくものなのだろうと私達は考えております」と答えたのだ。
これは安倍首相の元で自民党が提唱している憲法改正案が、憲法の性格そのものを過去の、そして今日の世界の民主主義国家のそれとは明らかに異なるものに変質させようとしていることを、首相自らが認めた発言だった。ましてや、民主主義の時代だからこそ立憲主義なのだ。王権、専政時代に政府を縛る目的で憲法が存在したというような話は、歴史上終ぞ聞いたことがない。
日本は立憲主義から離脱しようとしている。それを内閣総理大臣自らが、公の場で明言した。しかし、この発言を問題視するメディアは一つも見当たらなかった。党首討論はトータルで2時間にも及ぶ。これを最初から最後まで傍聴できる人は少ない。大半の市民は、その内容をニュース報道を通じて知る。しかし、その肝心のメディアがこの問題を全く報じなければ、そのような発言があったことすら、ほとんどの日本人は知る機会を奪われて しまう。
どうやら今の日本は、一国の総理が立憲主義からの離脱を表明しても、それがさして問題視されない国に成り下がってしまったようだ。あるいは、これは「アベちゃんは憲法が何たるかを理解できてないんだね」で済まされてしまっているのかもしれない。「原則論に そんなに目くじらを立てなくてもいいのではないか」と言う人もいるかもしれない。しかし、今、われわれがこの問題をこうして自由に告発したり批判したりできるのも、今月21日に民主的な選挙が行われるのも、いずれも今の憲法がわれわれにそれを保障しているからではないのか。これから衆参両院で過半数を得る可能性が高いと言われる政党の党首にして内閣総理大臣が、その憲法の性格を変えることを公言していることの意味を、そこまで軽視していて、本当に大丈夫なのか。われわれはあまりにも民主主義を舐めていないか。
石破茂幹事長や船田元憲法改革推進本部代表代行らは、改正される憲法に政府が国民に命令するような条文や道徳的規範が書き込まれたからといって、政府がそのようなことを要求する法律を作って国民にそれを強制するつもりはないと説明し、義務規定や道徳規定への理解を求める。もしかすると石破氏や船田氏は本当にそのつもりなのかもしれない。
しかし、憲法に義務規定が書き込まれれば、むしろ政府はその義務を果たさない人を罰する法律を作ることが求められると考えるのが立憲主義の立場だ。憲法に書かれていることを政府が実行しないことは憲法違反になってしまうし、そこで違憲訴訟を起こされたら勝てない。
更に言えば、仮に石破、船田両氏はそのような良識を持ち合わせていたとしても、他の議員はどうだ。自民党の次に政権に就く政党はどうだ。政権は変わっても 憲法は残る。自民党はそこまで考えた上で、今の改憲草案を推しているのか。 総理大臣が民主憲法の性格を根本から変えることを宣言してもまったく問題にならない日本の現状を、今日のNコメではあえて問題にしたい。≫(ビデオニュース・ドットコム:ニュース・コメンタリー)
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