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2013年07月07日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆参院議員選挙戦だからやむを得ないけれど、安倍晋三首相の形相が、「独裁者」の「狂気」を強めてきた。演説と身振り手振りも、恐ろしいほど鬼気迫るものがある。鼻の下にチョビ髭をつけると、なんと「ヒトラー」そっくりだ。アベノミクスに力が入るのは良いとしても、憲法改正の必要性を声高に訴える姿は、大半の国民有権者との間で、「大きなズレ」があり、違和感は免れない。むしろ、「なぜそんなに憲法改正に執念と情念を燃やすのか」と危険性すら漂わせている。
安倍晋三首相と大半の国民有権者との間にある「大きなズレ」は、一体どこから生じているのか。それは、安倍晋三首相が提唱している「日本を取り戻す」という言葉に原因がある。日本国憲法は、敗戦後の国民に「未来への希望」を与えた。これに対して、安倍晋三首相が標榜する「日本を取り戻す」というのは、「戦前回帰」という後ろ向きな「暗くて、辛い過去」に引きずり戻そうとする露骨な陰謀と策動が拭えない。
◆自民党の河野洋平元衆院議長(元総裁)が7月6日午前11時30分からのテレビ東京の番組「週刊ニュース新書」(番組ホスト・田勢康弘日本経済新聞客員コラムニスト)に出演し、「選挙前に伝えたい本質」について、「政治家は、理想、ビジョンを示さなくてはならない」と力説していた。これはいまの国会議員が、これからの日本をどうするかの理想を示していないことへの嘆きの言葉であった。
もちろん、当選しなければ、国会議員としての仕事ができないので、何が何でも「当選しなければ」と当選至上主義に走るのは仕方がないとはいえ、「天下国家、国民のために日本をこんな国にする」という理想とビジョンを示さないのでは、ただ単に国会議員になり、立身出世したいという私利私欲だけをさらけ出しているにすぎなくなる。これでは、国民有権者の心をつかむことはできない。
安倍晋三首相は、「リアリスト」として知られており、内政では「現実的な政策」、外交では、「外国とのウイン、ウインの関係」「戦略的互恵関係」などを最優先させている。これに今回は「日本を取り戻す」という大方針の下で、「戦前回帰の憲法改正→国防軍=皇軍創設」という危険な道を驀進している。つまり、現行の「日本国憲法」が目指してきた理想、ビジョンをかなぐり捨てて、過去にタイムスリップさせようとしている。これでは、国民有権者に夢も希望も与えないのである。従って、だれも血湧き、肉踊るような気持にはなれない。私はこれまで何度も力説してきたのだが、ナポレオンがリーダーについて言った「リーダーとは、夢を配る人」という名言に照らして言えば、安倍晋三首相は、国家の最高指導者としては、失格である。6年前の参院議院選挙で大敗した恨みを晴らしたいがため、つまり「復讐」したいという私利私欲のために再度、首相になったというのでは、何とも情けない話である。
◆拙著「政治家の交渉術」(成美文庫)のなかで、政治家という職業について、私は、以下のように書いた。
「『私的な権力欲』(非合理性=正)『公的な政治目的』(合理性=反)この二つの矛盾したものを、それより一段と高いものに調和統一する(止揚=アウフヘーベン)させることによって、政治家は自己実現できる。『公のために一身を挺する』『国家のために身命を賭する』という自己犠牲による『倫理化』を図ることによって権力を手にでき、『私的な権力欲』を満足できる。これは一種のパラドックスである」
国会議員は、このパラドックスの渦中にいる。だが、このことに気づかずに、「自己犠牲による「倫理化」を図ることができない国会議員は、再選されることができずに、自滅して、世の中から忘れ去られていく運命にある。
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