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2013/7/5 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
争点を矮小化したメディアの犯罪
参院選が4日、公示された。国民が政治に対してダイレクトに意思表示できる数少ない機会だ。今回は、とりわけ重大である。ときの政権の都合によってコロコロと憲法を変えられる国にしていいのか。
権力の暴走で憲法を変えられないように歯止めを残しておくべきなのか。その選択になるからだ。
現在、日本では、衆参両院で3分の2が賛成しなければ改憲を発議できない。安倍首相は、そのハードルを2分の1に引き下げようとしている。いわゆる憲法96条の見直しだ。
改憲派は、「ハードルを下げても、最後は国民投票に委ねられるのだから、簡単には変えられない」などと主張している。だが、例えば国民投票には投票率の規定がない。先日の都議選のように、有権者の4割程度しか投票しなくても、半数を超えればOKとなる公算は大だ。国家の基本となる憲法が、こんな形で決められていいわけがないだろう。
本来、憲法は権力を縛るためのものだ。その権力の側が「3分の2では不自由だから」と抜け道を探すのは、憲法を真っ向から否定する行為だ。決して許されないだろう。民主主義を守るのか、それとも放棄するのか。歴史的に見ても、大きな岐路に立たされる選挙といえるだろう。
そう考えながら新聞を広げていると、どうしても違和感を覚える。4日夕刊の見出しを拾ってみると、〈「ねじれ」解消焦点〉(読売)、〈ねじれ解消焦点に〉(日経)、「ねじれの行方は」(毎日)という具合。現状の国会は不健全な状態にあり、正常化させるかどうかが争点だと訴えているのだ。
現状が悪いという前提で、「どうしますか」と聞けば、だれもが直した方がいいと思うだろう。だが、この「ねじれ」は、自民党が長期政権にあぐらをかき、好き勝手にやったツケである。
「自民党には任せていられない」「利権まみれの政治はこりごり」という有権者のバランス感覚が働いたもの。丁寧な国会審議を求める国民の意思が反映されているのだ。
そんな説明もなく「ねじれ=悪」と報じて自公与党に投票を促す。これでは単に安倍政権の応援団である。そもそも、ねじれウンヌンは選挙の争点ではないだろう。問題を矮小化している。
メディアは、日本の将来に対して、とてつもない罪を犯していることを自覚すべきだ。
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