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日本を破壊する5つの罠
森ゆうこ(著)
エピローグ 未来へ―国民の生活を守るために
2013年5月26日。
私は、新潟市のユニゾプラザで開かれた「森ゆうこサポーターズ総決起集会」に出席し、壇上で小沢一郎代表の挨拶を聴いていた。
「森さんは、皆さんご承知のように……論理の明確さ、舌鋒の鋭さ、そして行動力。衆参の議員は多数おりますけれども、彼女の右に出る人はいない。私はそう思っております」 小沢先生の私に対する評価は、いつもながら過分というしかない。もちろん褒めていただくのは嬉しいが、同時に居心地の悪さも感じながら、私は頭を下げた。
「森君は私自身にとりましても、信頼する同志であり友人であります。それと同時に、個人的なことを申し上げて恐縮ですが――最大の恩人でもあると思っております。
皆さんもご承知のとおり、私は3年半、『小沢一郎を抹殺しろ』という官僚、国家権力の迫害にあってきました。私は『こんな無法なことに負けてたまるか』という思いでがんばってきましたけれども、その時に私と一緒に権力を相手に敢然と闘ってくださったのが、皆さんの森ゆうこさんであります」
会場から拍手が起こった。小沢先生の目には涙が浮かんでいるように見えた。
「検察と直接対峙して、これと闘うということは、普通の政治家ではできることではありません。私はこの意味において、心から、本当の同志というものはありかたいものだと……そういう思いでいっぱいであります。おかげで私は天下晴れて無罪の身になることができました」
ひときわ大きな拍手が鳴り響くのを聞きながら、私は考えていた。
本当に、どうして検察を、官僚機構を相手にして闘うなどということができたのか。今も闘い続けることができているのか。自分でもよくわからなくなる。
『検察の罠』には、書けなかったこともたくさんあった。検察から「森ゆうこに鉄槌を下す」と脅された話は書いたが、それどころではないような危ない局面も切り抜けてきている。
小沢先生があそこまで執拗に狙われたのは、日本の暗部に近づき、そこにある利権を打破しようとしたからこそである。
日本に本当の民主主義を根付かせ、日本をまともな独立国家にしようとする政治家は潰される。これが戦後の日本で繰り返されてきたことだ。「戦後レジーム」というなら、この構造こそがまさにそれだろう。
小沢先生は続ける。
「もちろん、これは私個人の問題ではありません。このような権力を濫用した官僚の横暴がまかり通っていたのでは、日本には永久に民主主義が定着しません。
森君は民主主義のために、日本において正義が本当に実行されるように、そういう思いで闘ってくれたものと思います」
これは小沢先生の言うとおりだ。
小沢先生一人を救いたいというだけで、私は闘い続けることはできなかっただろう。
小沢一郎を抹殺しようという陰謀は、日本の民主主義を抹殺しようという陰謀でもある。国民の権利を奪い、日本をごく一部の既得権益層によって私物化しようという動きである。それを見過ごすわけにはいかない。
だから、私は何かあっても負けるわけにはいかなかったのだ。
「森君は、その思想哲学におきましても、政治家としての行動力におきましても、自分の次の世代を立派に引き継いでいける人だと、そのように思っております。……このような彼女に対して、女性にしておくのは惜しい、と言う人もおります」
会場から笑いが起こった。
「しかし、私はそうは思いません。女性であるからこそ、大和撫子であるからこそ、彼女は光るのだと思います。
そういう意味において、日本のサッチャーとして、メルケルとして、いずれ日本の政治を責任をもって実行していく立場に、ぜひとも彼女をそういう政治家に育て上げたい。それが私の夢であります」
私はちょっと慌てた。それはさすがに荷が重すぎる、と思ったのだ。
歴史に名を残す女性政治家であるイギリスのサッチャー元首相や、ドイツのメルケル首相から一番遠いところにいた、ごく普通の働く母親だった私だ。この日、集まってくれた皆さんと同じ生活者であったし、今でもそうありたいと思っている私だ。その私が、応援してくれる人たちのおかげでどうにかこれまでやってこられたのだ。
私がずっと考えてきたことは、支えてくれた皆さんに恩返しかしたい、この素晴らしいふるさとを守りたいということ。そして、子どもたちの未来を守りたいということだった。
だとすれば、たしかに私は女性であるからこそがんばれたのだ、と言えるかもしれない。普通の働く母親だから、政治家としての存在価値を持つことができたのかもしれない。
そんなことを考えている間に、小沢先生の話は自民党政権に対する批判に移っていた。
「彼らの政治に危ういところを感じるのは、ちょうど小泉政権のときと同じような感じを持つからです。日本経済全体が大きくなれば国民の皆さんへの配分も大きくなる。だから一部の企業を大きくしていけばいいんだ。小泉政権はこういう論理でやってきました。
確かに、力ある企業はどんどん成長しましたけれども、以来10年経って、国民の所得は10%減りました。負担は上がりました」
そのとおりである。小泉政権の失敗を再現しようとしているのが安倍政権ではないのか、という危惧は、ますます強まりつつある。
それだけではない。TPPに参加して、日本の農業と地域を破壊しようとしている。高額の保険に加入できない庶民はろくな医療を受けられない社会にしようとしている。
そして、憲法を改正して、日本を地球の裏側まで出かけて行って戦争ができる国につくり変えようとしているのだ。
2月に聞かれた新潟県隊友会の新年賀詞交歓会を思い出す。隊友会は、自衛隊のOB組織である。そこでは、防衛の現場に立つ自衛官たちが、安倍政権の動きに危機感を持っている現状を知ることができた。
自衛隊の皆さんは、凄絶な極限状態の中で、文字どおり命がけで国民を守るために身を挺して働いている。そのことは、東日本大震災の救助活動、さらには未曾有の原発事故への対応の過程で、私たちが身にしみて知ったことである。
もし戦争が起こるようなことがあれぼ、自衛官は自分の命を危険にさらさなくてはいけない。自分の部下の命を危険にさらさなくてはならない。
だからこそ、現場の自衛官たちは平和の大切さを誰よりも知っている。ギリギリまで戦争を避けることがどれだけ大事なことかをわかっている。
ちょうどアルジェリアで起きた人質拘束事件の直後で、自民党の政治家の中から、「邦人救出のための自衛隊出動を可能にしよう」といった声が上がっていた。それを誰よりも憂慮していたのが自衛隊の関係者たちだったのである。
政治家の役割は、ありとあらゆる外交努力を尽くして戦争を避けることである。そして、政治の最大の失敗は、戦争を起こして、国民に塗炭の苦しみを味わわせることだ。防衛の現場に立つ人びとを危険にさらすことだ。
憲法を変えて海外派兵しよう、無原則に集団的自衛権を行使できるようにすべきだ、などと威勢のいいことを言って得意になっている「戦争を知らない子どもたち」は、はたして政治家の役割を理解しているのだろうか。
現場に立つ人びと、それぞれの持ち場で懸命に仕事をしている人びとの言葉に耳を傾けているのだろうか。
小沢先生のスピーチは佳境に入ろうとしていた。
「政治は一部の企業のものではありません。国民みんなが豊かに、幸せに生活できるように、それを図っていくのが政治であります。
私どもが『生活の党』として再スタートしたのは、国民の命と暮らしと地域を守る、政治の使命はそういうことだ、だからわれわれは愚直にこの考え方のもとで政治に臨んでいこう、そういう思いからであります。
私は、いつも古い言い伝えにある仁徳天皇の話を引くのです。食事どきになっても、民のかまどから煙が上がっていない。これは大変だということで仁徳天皇は租税を免除し、宮中の費用を削減して民の生活のためにということで政治を行なった。
政治は生活である。国民の生活をしっかりと守り、支えていくのか政治である。私たちはその信念で、今後とも愚直に、一生懸命がんばっていきたいと思います」
これは、小沢先生の決意表明だ。
最近の私は選挙前で忙しい日々が続いていた。この日もテレビ出演してから会場に駆けつけた。疲れていたはずだったが、私はふっと心が軽くなるのを感じた。
3年半もの強いられた空白を経てなお、小沢先生の闘志はまったく衰えていない。
もちろん、私も必勝を期して選挙に臨むつもりではいた。だが、小沢先生のやる気はその上をいっていた。それも、決して力んでいるのではない。ごく自然体。苦境に追い込まれてなお、「それがどうした?」と泰然自若なのである。
小沢先生は言う。
「われわれは、小さな政党になってしまいました。多くの同志がシュンとなっている。
けれども、考えてみれば、民主党と自由党が合併する前の状態にほぼ戻っているわけであります。新しい民主党をつくった時、はたして『この政党が政権を取る』と思った人は国民の間で何人いただろう。たぶんほとんどいなかったと思います」
去年(2012年)12月の選挙では、多くの同志か落選した。それは「死屍累々」と言ってもいい状況だった。
私を長く支えてくれた皆さん、この日、集まってくれたサポーターたちにもずいぶん迷惑をかけたと思う。「お前がいいというから森ゆうこに投票したのに、このざまはなんだ」と地域で批判を浴びた支援者の方も多かったはずだ。
そのことに責任を感じないわけにはいかない。私は確かに失敗したのだと認め、頭を垂れるしかない。
だが、歴戦の勇者である小沢先生にとっては、衆院選後の危機的ともいえる状況も、いままで散々くぐり抜けてきた境遇にすぎないのだ。
「私が、政権が交代できる選挙にしようということで中選挙区から小選挙区に変えた。小選挙区制は国民の皆さんの、その時どきの判断によって政権を変えることができる制度です。だから民主党が政権を取った。その民主党がろくな政治をしなかったから自民党に再び取って代わられた。
われわれがしっかりしさえすれば、国民の皆さんの支持は必ず帰ってくる。私はそう確信しております」
日本の政治を着実に前に進めてきたという自信、未来への希望を込めて小沢先生はそう言い切った。
この日、私は小沢先生の言葉に救われたと思う。
たしかに、前回の衆議院選では大きな失敗をした。
今回の選挙も厳しい戦いになることは間違いない。
私が立ち向かおうとしている敵はあまりにも巨大だ。
だが、それがどうした。
天変だったのは今までも同じである。だが、どっこい生きているではないか。私が経験してきたことなど、小沢先生がくぐり抜けてきた修羅場に比べればどうということはない。
私はまだまだやれる。自然にそう思えたのである。
集会の終わりが近づいて、お母さんに連れられた子どもたちが大勢壇上に上がってきた。
締めくくりの「ガンバロー・コール」をみんなで唱和するためだ。この日、音頭をとってくれるのは4人の子どもを抱えて働く若いお母さんである。
ステージを埋めた子どもたちの顔を見なから、私は決意を新たにしていた。
小沢先生には申し訳ないが、サッチャーやメルケルではやはり荷が重すぎる。
けれども、私は今でも働く母親の一人である。生活者の一人である。
政治家として大成したいなどという欲は毛頭ない。ただ、真面目に慎ましく生きる、この国の99%を占める人たちの幸せを実現したいだけだ。
そして、ここにいる子どもたち、ここにいない子どもたち、これから生まれてくる子どもたちの未来を守りたいだけだ。
その思いを持って、私はこの夏の選挙を戦う。力の続く限り考え、声を上げ、行動し続ける。
それが、森ゆうこが皆さんにする、ただ一つの約束である。
(書籍より書き起こし)
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