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投稿者関口博之
http://d.hatena.ne.jp/msehi/
既に述べたように、日本デフォルトは2018年までに起きるとするドイツ有力紙の予想を、私自身も前回述べたように現実味のあるものと考えはじめている。
しかしそれは伏線でもあり、日本が現在のギャンブル資本主義とも呼ぶべき新自由主義の侵食で人間が蝕まれていく社会からの脱皮の始まりだとも思っている。
何故なら私自身、2008年のドイツの金融デフォルトともいうべき金融危機を体験したからである。
当時のドイツは日本の低金利政策とは対照的に、ドイツ全ての銀行の5年間定額預金が5パーセントにも達する高金利で競われていた。
高金利な理由は、ドイツ全ての銀行が世界で全体で6000兆円売られたサブプライム金融派生商品を定額預金に組み込んでいたからである。
これらの金融商品はトリプルAであり、多くのノーベル経済賞受賞者を生み出した金融工学も安全であるとお墨付きを与えていたからだ。
しかしサブプライムのバブルが破綻すると、リーマン・ブラザーズを筆頭に多くの金融機関が倒産し、アメリカは7000億ドルの公的救済を2008年10月に実施し、その深刻さが世界に報道された。
本当はそれ以上にドイツの被害は大きく、10月にはバイエルン州立銀行を初めとして殆どの州立銀行が破綻状態に追い込まれ、ドイツ政府は5150億ユーロ公的救済を実施せざるを得ず、それでも治まらないことから翌年にはさらに2450億ユーロを投入し、全体で7600億ユーロ(100兆円超)の公的救済を実施した。
これはまさに、ドイツの金融デフォルトと言っても過言ではなかった。
公的救済で銀行は救われたが(破綻状態であった9つの州立銀行は現在健全に蘇り、被害の大きかった当時銀行規模第3位のドレスナー銀行は第2位のコメルツ銀行に吸収合併された)、銀行の度を過ぎた勧誘で直接サブプライム金融派生商品を買った個人投資家は全く救済されず、大きな被害を被った。
そのためサブプライム金融破綻の秋から翌年に渡って、これらの被害者の抗議が彼方此方で見られ、とくにサブプライム金融派生商品を多く売ったドレスナー銀行の前では、多くの被害者が「私のお金を返してくれ」と激しく抗議し、「bring back my Money to me」と合唱していたのが印象的であった。
しかも被害者にとって許せないのは、銀行の責任が曖昧にされるだげでなく、銀行役員の高額な給料に加えて、責任を回避して逸早く退職した役員にも、高額な年金が支払われ続けたことだ。
怒っているのは直接的被害者ばかりでなく、国民のために使われるべき100兆円を失った大部分の市民も同じであった。
まさにドイツは、涙を獅子の鬣として怒り狂っていた。
そのような国民の怒りに、シュピーゲル誌をはじめとしてドイツのメディアは大きく変化した。
シュピーゲル誌は長年ドイツの知識層に愛され、ともすれば左翼的とさえ称されてきた週刊誌であるが、「強者の弱者へ責任を持つ連帯は重要であるが、それを実現するためには経済的成功が前提条件である」、「雇用を創出することは正義である。雇用を創出するためには、賃金の抑制と社会保障費の企業負担分の軽減は不可欠であり、国民の連帯によって実現しなくてはならない」といった巧みなシュレーダー首相演説の新自由主義を支持してきた有力メディアでもあった(注1)。
このシュピーゲル誌が2009年5月11日の20号では、表紙に「欲望原理・・・ギャンブル資本主義がその過ちから学ぶことができない理由」と大きく掲げ、誌面記事「欲望への称賛」では、再び利潤追求を開始したギャンブル資本主義を激しく批判した。
また9月14日の38号では、表紙に「それから一年後・・・世界は金融危機でますます貧しくなっているのに、賢くなれない理由」と掲げ、誌面記事「張本人たちは今も生き続けている」では、経済が回復すればするほど、本質的な改革への意思がますます麻痺してくると、警告していた。
また2009年の新年から、政治の裏側を暴露するブラック本が、スキャンダラスなものから学術的なものに至るまで(注2)ドイツ中の書店店頭に並べられ、ギャンブル資本主義(新自由主義)開始のドイツ統一での強奪から現在の政治腐敗までが、見事に炙り出されていた。
このようにしてドイツは、市民の底辺層だけでなく、大部分の中流層がギャンブル資本主義の恐ろしさに目覚め、大きな変化が湧き起こって行った。
@『大貫康雄の伝える世界』第10回・ドイツから学ぼう編に出演し、戦後のドイツがナチズムの徹底した反省から、いかに国家(政府)が国民に奉仕する社会に変わったか、同時に日本がいかに国民に国家への奉仕を強要しているか、そしてドイツのギャンブル資本主義の克服を述べてきました。私自身昨年から老人パスを受ける年代に突入し、カメラの前で述べることは実際は余り気が進みませんでしたが、大貫さんの真摯な誘いを断りきれず、普段頭にあることを爆発させてきました。
(注1)ドイツの新自由主義侵食が問われた1998年連邦選挙の前年12月1日のシュピーゲル誌49号では、当時の首都ボンでの4万人を超える学生デモの写真を、「怒りは絶え間なく増大する」という見出し記事で大きく報道していたが、学生が競争原理を最優先する高等教育大綱法案(新自由主義教育大綱法案)に反対していることには触れず、教育財源の欠乏による劣悪な教育への学生の怒りにすり替え、競争原理最優先は最早必要不可欠と主張していた。
また50号の「万人の万人に対する闘争」という見出し記事では、大学がこのままではやっていけないことは、街頭デモをしている学生から教育大臣に至るまで一致していると訴えていた。さらに余りにもお粗末な教育しか受けていない多くの学生について言及し、そのような学生では国際競争に歯が立たないと断言し、唯一の解決法は、競争原理を最優先する高等教育大綱法案を成立させることだと強調していた。
(注2)学術的に教育や福祉から経済や政治までを網羅したブラック本としては、『Schwarzbucu Deutschland』(2009 by Rowohlt)を薦めたい。
特に独占が進む電力分野では(198ページ)、政治と電力企業の以前には存在しなかった強固な利権構造が築かれ始めており、日本特有の天下りも生じていることが述べられており興味深い(欧米先進国では退職役人が名誉職のボランティアであることは当然であることから)。
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