03. 2015年5月16日 15:36:53
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Yahoo知恵袋伊藤博文暗殺の真犯人は日本人!? http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n258294 ライター:hour_aid_kawakamisさん(最終更新日時:2014/3/2)投稿日:2014/3/2アドバイス受付中! 伊藤博文の暗殺犯と言われる安重根は致命傷となった弾丸を発射していない? 1909年10月下旬、伊藤博文一行はハルビン駅に降り立ちました。 ハルビンは北海道宗谷岬と緯度が一致しているから、10月下旬とはいえ、とても寒かったんです。 その10日前、伊藤博文は満州視察と日露関係調整という名の工作のために満州に渡り、ロシアの大蔵大臣・ココフツェフと会見するためハルビンに向かうこととなりました。 24日には伊藤博文のためにロシア東清鉄道会社より特別貴賓車が出されました。 列車は六両編成で、最後部が貴賓車でした。 貴賓車には伊藤博文、秘書の古谷久綱、満鉄総裁の中村是公、ハルビン総領事の川上俊彦、貴族院議員の室田義文[よしあや]を始め、多くの政府関係者が同乗していました。 ロシアからは、民政部長アシナシコフ少将、経営部長ギンツェ、第八区軍部長フェドロフ大佐ら5、6名が乗り込んで応対しました。 その翌日、長春の大和ホテルで盛大な歓迎会が催され、その翌日午前9時[午前9時15分とも]、列車はハルビン駅に到着しました。 ココフツェフ蔵相は、到着した列車の伊藤の席まで出迎えて挨拶。 川上俊彦の通訳で20分ばかり会談しました。 さらに昼食から会談まで全て列車の中で行うつもりのココフツェフが軍隊の閲兵を望んだため、伊藤はココフツェフ、随行員とプラットホームに降り立ちました。 ホームには、外国賓客警備のためのロシア軍儀仗兵、ロシアと清国の官憲などが並んでおり、伊藤は各国領事団の2、3人と握手して踵を返しました。 その時、伊藤を歓迎するかのようなピチピチという爆竹の音がしたかと思うと、次の瞬間、「ダン!ダン!」という銃声が響きました。 ● この時、室田義文は、小柄な男がロシア軍儀仗兵の股のあいだを潜るような格好でピストルを突き出しているのを見たといいます。 ピストルを持った男は、伊藤博文に3発、さらに随行員に向けて数発発射しました。 彼は現行犯逮捕されましたが、その際「韓国万歳」を三唱しました。 狙撃された伊藤博文は、列車に運び込まれ、食堂のテーブルの上に寝かされました。 靴と帽子が脱がされ、宮内省御用掛の医者とロシア人の医者が駆けつけて伊藤の服を脱がせて傷口を見ましたが、3発とも致命傷でした。 食堂に担ぎ込まれた時から、伊藤は狙撃した犯人のことを室田に聞きたかったんですが、室田は「まだ、わかりません!」と答えるしかなかったんですが、医者に続いてロシアの官憲が犯人を知らせてきました。 犯人が韓国人らしいと聞くと、伊藤は「馬鹿な奴だ!」と答え、傷の痛みに顔をしかめました。 そして室田が宮内省御用掛の医者の了承を得てブランデーを飲ませましたが、一度飲んだきり昏睡状態に陥り、狙撃されてから15分後[30分後とも]に伊藤は息を引き取りました。 ロシアの蔵相・ココフツェフが姿を現したのはそのすぐあとのことでした。 臨終に間に合ったとする説もあります。 彼は伊藤の亡骸に、電信局に走ってロシア皇帝・ニコライ2世、在ロシアの日本公使に打電したこと、犯人の正体が安重根という韓国人であること、昨晩、騎馬銃を持った怪しい韓国人三人組[ウトクジュン、ソウドウセン、リュウトウカ]が隣の駅をうろついていたので逮捕を命じたが逃げられたことを報告しました。 伊藤が狙撃された時、犯人は随行員に向けても数発発射。 そのため、随行員のうち3人が重軽傷を負いました。 通訳をしていたハルビン総領事の川上俊彦は胸部に1発命中、重傷、宮内大臣秘書官の森泰二郎が腕より肩に貫通、軽傷、満鉄理事の田中清次郎が右かかとにそれぞれ軽傷を負いました。 伊藤のそばについていた室田は、ズボンとオーバーコートに弾丸の抜けた穴があり、本人の後日談によれば、足にもかすり傷がついていたといいます。 犯人・安重根の行動を再チェック!! 事件当時、安重根は安応七と名乗っていました。 彼の父は科挙に及第したほどの人物で、幼い頃から儒学を学び、17歳のときフランス人から洗礼を受けました。 16歳で結婚し、女子1人・男子2人をもうけていましたが、1906年ごろ妻子を残しロシアのウラジオストクのほうへ出向きました。 安重根はウラジオストクで韓国主権回復運動に加わっていました。 ハルビン駅で逮捕された後、彼は日本側の予審訊問に「独立義兵隊の参謀中将である!」と名乗り、「独立着兵隊の特派独立隊として伊藤暗殺を決行した!」と述べました。 新聞報道で伊藤博文が満州に来ることを知った安重根は、伊藤暗殺を決意しました。 まず、ウトクジュン[別名:ウレンシュン]と語らい、10月21日、ウラジオストクを出発、ハルビンに向かいました。 途中、ポグラニチナヤでリュウトウカ[別名:リュウコウロ]も加わり、22日夜、ハルビンに到着しました。 リュウトウカはここにとどまり、安重根とウトクジュンはソウドウセンと合流しサイカコウ駅まで南下、列車の往復回数など調査。 ハルビンにとどまったリュウトウカより、26日朝に伊藤がハルビンに到着することを電報で知らされて、安重根だけハルビンに向かいました。 この記述は、事件前夜に隣の駅をうろついていた怪しい韓国人3人組をロシア側が発見したという話と一致しますが、「日本政治裁判史録」は、サイカコウ駅に残っていたウトクジュンとソウドウセンは、ロシア官憲の監視を受けており、事件発生後に逮捕されたとあります。ウトクジュンはブローニング銃、ソウドウセンはスミス&ウェッソン式拳銃を身につけていたといいます。 ちなみに安重根が使った拳銃はブローニング式七連発銃でした。 ●何らかの作為が匂う不思議な裁判 事件後、ロシア側は事件に関係したとする韓国人計16人をハルビン駐在日本総領事に引き渡しましたが、最終的には安重根・ウトクジュン・ソウドウセン・リュウトウカの四人が起訴、1910年2月24日、安重根は殺人罪で死刑、ウトクジュンは殺人幇助罪で懲役3年、ソウドウセンは殺人幇助罪で懲役1年6ヶ月、リュウトウカは殺人幇助罪で懲役1年6ヶ月となりましたが、「日本政治裁判史録」によれば、この裁判には3つの問題があります。 @どこの国に裁判権があるか? ● それは、どこの国に裁判権があるか判然としなかったからです。 犯人は安重根で韓国、被害者は伊藤博文で日本、事件発生地域はハルビン駅頭で清国、事件発生場所は東清鉄道[株]付属地でロシアでした。 いかに裁判権が揉めたかがおわかりでしょうが、ただこの事件に関して言えば、ロシアが裁判を行って当然でした。 なぜなら、事件が発生した場所だけでなく、犯人を逮捕した場所もロシア東清鉄道の付属地だったからです。 ●しかし、ロシアは犯人・安重根を日本に引き渡してきました。 「日本政治裁判史録」は、「韓国の刑法によって領事裁判に処するか、あるいは韓国の司法機関に引き渡すべき!」としています。 Aなぜ弁護人の申し出を断ったか? ● 安重根の弁護人については、ロシア人2名、イギリス人1名など計6名が出願してきましたが、関東都督府地方法院は、これらの弁護士は完全に日本語を使えないという理由で全員不許可!とするだけでなく、日本国内在住の弁護士さえ許可せず、官選[政府から選ばれる]弁護人が付けられました。 なぜ弁護人の申し出を断ったのでしょう。 B小村寿太郎の画策とは何か? 外相・小村寿太郎は事件後、外務省政務局長を満州に派遣、裁判を画策させています。 関東都督府高等法院長と密談した外務省政務局長は、小村に次のように報告しました。 @安重根に対しては、法院長自身は死刑を科すべきと思っているが、政府の希望もあることなので、まずは検察官に死刑を求刑させ、地方法院でその目的を達するように努力しますが、万が一にも地方法院で無期懲役の判決が出た時には検察官に控訴させ、高等法院で言い渡すことになるでしょう! Aウトクジュンの件は、政府の意志も明瞭ですから、法院においては今後、ウトクジュンに関する取調べをする際は、特に手心を加えて、本人が犯罪を断念したと主張するように努力します! ● さらに、小村寿太郎は安重根の裁判延期まで希望しています。 安重根を最終的にどうしても死刑にしようとしたのは理解しやすいんですが、ウトクジュンすなわちウレンシュンに関する項目は何を意味しているんでしょう。 撃つ方向、弾丸の数から浮かび上がる真犯人像! 伊藤博文を狙撃したのは安重根と言われています。 確かに、安重根は周到に暗殺の準備をして、拳銃を伊藤に向けて狙撃、逮捕・処刑。 犯人は安重根以外の何者でもありませんが、伊藤博文の身体に撃ち込まれた銃弾3発は安重根が発射したものではないとする説があります。 これは「明治暗殺史」で証明されています。 そこでは、@右上肺外面より内面及下5センチの個所を通貨、第七肋骨のあいだに向けて、水平に貫いて上っていた。 A右肘関節外烏喙凸起より、同側上バク外面をすぎ、やや内側に向けて第九肋骨に入り、肺および横隔膜を通過、左肋下に止まった。 B上腹隔上中央より、筋のあいだに入り留まっていた。 としており、留まっていた弾丸の種類は13連発の騎馬銃としています。 一方随行して伊藤のそばについていた室田の証言では、第1弾は肩から胸部乳下にとどまり、第2弾は右腕関節を突き抜け臍の側を縫って外部へそれ、第3弾は臍の右側を縫い、腹部の皮をスーッと切って外部にそれてしまっているなど、いずれも斜め上方から発射されたものだといいます。 さらに、その弾丸はフランスの騎馬銃だといいます。 ●これが事実だとすると、安重根は犯人ではないことになります。 なぜなら、室田義文は安重根らしき小柄な男がロシア軍儀仗兵の股のあいだを潜るようにして拳銃を構えているのを見ています。 股のあいだを潜るようにして狙撃した弾丸が斜め上方から身体に入るはずがないからです。 では、誰がどこから伊藤を狙撃したのでしょう。 室田の証言では、駅の食堂の2階より狙撃したに違いないといいます。 そこは格子になっていて、斜め下の伊藤を狙撃するのに絶好の場所だったらしいのです。 ● 安重根が犯人ではないとするもう一つの理由があります。 それは安重根が狙撃した弾丸の数と実際に発射された弾丸の数が違うということです。 安重根は7連発のブローニング銃を使い、そのうち6発を撃ちましたが、実際に発射された弾丸の数を計算すると次のようになります。 まず伊藤博文は3発うけ死去、川上俊彦は1発で重傷、森泰二郎は1発で軽傷、田中清次郎もやはり1発で軽傷、そして室田義文は1発足にかすり傷、あとズボンとオーバーコートに弾丸の抜けた穴があったといいますから、計9発になります。 安重根が低い位置から狙撃したとするなら、室田がうけた弾丸がそれに該当します。足のかすり傷、ズボンやオーバーコートにうけた弾丸の抜けた穴。 いずれも低位置のものです。 では食堂の2階から撃った人物は誰でしょう。 少なくとも、隣の駅で逮捕されたウトクジュンとソウドウセンは該当しません。 2人が所持していた拳銃はそれぞれスミス&ウェッソン式拳銃とブローニング式七連発銃だったからです。 では、残るリュウトウカはというと、彼はハルビン駅にとどまり、安重根に伊藤博文の到着時間を電報で知らせた男なんですが、この19歳の青年が逮捕されて拳銃を持っていれば、これまでにも話題になっているはずですが、そのような様子はありません。 では、誰なんでしょう。 ● 安重根と同じ仲間だとする説もありますが、その人物は、伊藤博文を狙った3発がいずれも致命傷であるように、かなりの腕の持ち主です。 ゴルゴ13とまではいきませんが、凄腕のスナイパーだったはずです。 事件の当事国である日本とロシアの謎の行動の裏に・・・!! ● ここまで書いてきて、大きな疑問点を2つ発見しました。 まず1つ目は、被告・安重根は必ず死刑になるように工作されたことです。そしてウトクジュンの取調べに手心が加えられたこと、小村寿太郎が安重根の裁判延期を希望したことです。 もし、日本側が拳銃を所持していたウトクジュンとソウドウセンに目をつければ、安重根のように死刑とまではいかなくとも、無期懲役くらい持っていけたでしょう。 しかもウトクジュンは安重根がウラジオストクにいる時以来の仲間でしょうに、懲役3年で済んだことは全く運がいいんです。 いや懲役3年で済んだことを疑えます。 ● もしウトクジュンが日本が放ったスパイだとすると合点がいきます。 いやおそらく日本が放ったスパイだったのです。 その場合、ウトクジュンが韓国の政治工作破壊員だったのか、それとも安重根の伊藤暗殺に加わるための工作員だったかで、事件の様相は変わってきます。 後者のほうがフィクションとしては面白いんですが、これが意外と真実味があるんです。 いやおそらく本当です。 伊藤が日韓併合を強行するため初代韓国統監に就任した時のエピソードに、こんな話があります。 ● 時の首相桂太郎はこの重責を誰に押し付けるかで悩んでいました。 いや正確に表現すると、伊藤博文に押し付けるにはどうするかで悩んでいました。 そのためには、伊藤の女好きを利用すればいいと考えました。 ● そこで新橋の料亭を借り切って、美人どころを呼んで初代韓国統監の選出を行おうとしました。 居並ぶ政府高官たちの顔色は暗いです。 それに負けて黙り込んだ芸者を女好きの伊藤が叱りました。 芸者が今日の議題は何ですと尋ねると、伊藤が初代韓国統監の就任問題だと答え、芸者が「なら、伊藤さんが行けばいい」と冗談半分で言ったのを皮切りに、同席した高官たちが「ン、それがいい、ンそれがいい!」と同調しているうちに決まってしまいました。 桂の作戦勝ちでした。 ● その場に同席した高官たちは、伊藤を除いて結託していたのかもしれません。 首相は桂太郎。 桂はれっきとした山県有朋系の政治家で、その山県有朋と伊藤は同じ松下村塾の出身ですが、勢力を二分する領袖同士です。 桂の背後にいる山県有朋が伊藤を韓国に追いやりたいがために練った陰謀ではありませんか? ●つまり、伊藤を始末したがっている人物は山県有朋だったというわけです。 山県は「とにかく陰謀好きさ!」という男で、これほどの人物なら、外国の地で伊藤を始末することも可能だったはずです。 ● 疑問点の2つ目は、ロシアの蔵相・ココフツェフが見せた行動です。 彼は列車に乗り込んで伊藤と会談したあと、「軍隊を閲兵して欲しいから!」と言って伊藤を車外に連れ出しました。 そして、これは偶然かもしれませんが、ココフツェフは伊藤のそばにいながら、かすり傷1つ負っていません!! ● そして、裁判権の放棄です。 「あくまでも日本と韓国の問題だから、そっちで解決じゃぞ!!!」と言わんばかりの態度です。 まして日露戦争後のことなので、伊藤には最恵国待遇ですが、ロシアの本音はどうだったでしょうか。 対日感情はよかったのでしょうか。 いや悪かったでしょう。 別にロシアに悪気はありませんが、ロシア側のスナイパーがいたという可能性は十分にあります!!! 安重根たちのような暗殺団が存在することを事前に察知していたロシア側が、暗殺後、安重根にすべての罪を着せてしまおう!と思えばできたのではないでしょうか! _____________________________________ 行政調査新聞 伊藤博文暗殺の闇 2013年4月24日 http://www.gyouseinews.com/index.php?option=com_content&view=article&id=240:2013-04-23-15-17 _____________________________________ |