http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/856.html
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細かい石が膨張して巨石になり、それに苔がはえて・・・などという核融合が目の前で起こり、そのうえ苔生すという珍奇な歌を強制されて人間が馬鹿にならないわけがない。天皇の誕生からほぼ1300年で、国号「日本」もほぼ1300年。そう天皇も日本低国の歴史はたかだか1300年なのである。こういう歴史の常識を知っていれば「君が代」など恥ずかしくて歌えないだろう。
この掲示板にも暇で馬鹿なネット右翼が跋扈しているが、確かに馬鹿に暇が沢山あると最悪である。「あったことはない」と妄想しているのだから議論の相手にもならない。ただしこの種の馬鹿でも掲示板に留まるだけならまだいい方で、街に出て騒げば「在特会」のような珍奇な犯罪集団となり、テレビに露出してネット右翼並みの馬鹿をさらせば喝采され、あげく日本低国では石原慎太郎のように選挙で巨大都市東京の首長になってしまうから最悪なのである。
▼澤藤統一郎の憲法日記
東京都の教育委員諸君、君たちはいつまで「裸のピエロ」に甘んじるのか
http://article9.jp/wordpress/?p=668
昨日(6月25日)の東京新聞トップ記事が、「都教委事務局、市民の声選別」「請願6割報告せず」「教育委員会に 君が代斉唱など」というもの。社会面に関連記事があって、「教育委員は裸の王様」と大きな見出が躍っている。
要するに、都の教育委員に耳を傾けていもらいたいという都民からの請願を、請願の内容によって事務局が選別しているというのだ。事務局にとって都合のよいものは教育委員に伝える。しかし、事務局が不都合と判断したものはシャットアウト。日の丸・君が代強制が教育現場をいかに萎縮させ混乱させているかを訴え、その是正を求める、「10・23通達」関連の請願などは全てシャットアウト。「憲法で保障された請願権を、公務員が侵害している」という都民の声を肯定的に伝えている。
東京新聞の解説は、教育委員会について、「事務局の追認機関になっているとの批判があり、国の教育再生実行会議は見直しを提言している。しかし肝心の委員に都民の声が十分届かない実態に『それが形骸化を生む』との声も出る。」と正論を述べている。
私も、都教委には何度も足を運んだ。卒業式・入学式を目前にした時期には、日の丸・君が代強制をせぬよう事前の申し入れをし、関連事件での主要な判決が言い渡される度に判決内容を説明して都教委の暴走を抑制するよう要請を続けてきた。その申し入れのすべてが、事務局で握りつぶされ、教育委員に届くことはなかったのだ。
古今を通じて、情報を握ることが権力を操ることである。東京新聞の報道は、教育委員は、事務局の情報操作によって「裸の王様」になっている、という。「王様」はおこがましかろう。今のままでは、「裸のピエロ」程度であろうか。
裸のピエロ諸君、新聞くらいは読んでいいるだろう。自分の職務に関連したトップ記事が目にとまらぬはずはあるまい。君たちは、この記事を目にして、いったいどうするのだ。君たちにプライドはあるか。君たちは怒らないのか。いつまでも「裸のピエロ」、せいぜいが「裸の王様」と呼ばれることに甘んじるつもりなのか。記者会見をひらいて、事務局に操られていた怒りを明らかにするくらいのことはしてはどうか。共同で、操られ拒否宣言を公にすることはいかがか。日の丸・君が代強制問題について請願を握りつぶされてきた私たちと直接に話し合う機会を設ける気持はないのか。
少し、経過を説明しよう。
1999年4月、「日の丸・君が代」大好きな石原慎太郎というトンデモ男が東京都の知事になった。自分の部屋を満艦飾に日の丸で飾り、毎日大好きな君が代を一人で歌うだけなら罪がない。彼は、それだけでは満足せず、せっかくつかんだ知事の権力を振るって東京中の子どもたちに「日の丸・君が代」大好き趣味を押し付けようと考えた。さらに、東京から始めて日本中の子どもたちに日の丸・君が代を刷り込もうと考えた。そのためには、東京中の学校の先生に職務命令書を交付して、懲戒処分で脅して「日の丸に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことを強制しよう、と思いついた。
彼がこのアイデアを思いついても、すぐには日の丸・君が代強制を実行することはできなかった。それは、教育委員会制度が邪魔をしたから。教育行政の権限は、知事から独立した教育委員会にある。民主的手続によって選任された知事や市長が、真に民主的であるとは限らない。石原慎太郎や橋下徹が好例である。トンデモ知事の思いつきから教育を擁護するために、クッションとしての教育委員会があるのだ。東京新聞の解説が、「戦前の軍国教育の反省から、今の教育委員会制度は、外部の教育委員が、中立的な立場から事務局を指揮監督する仕組みとなっている。」というとおりである。
日の丸・君が代強制の実行には、教育委員人事を握らなければならない。そこで彼は、自分と趣味を同じくする、気心の知れた極右の人物を東京都の教育委員に選任した。本来教育委員とは、「人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもの」のうちから「地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。」(地教行法4条)ことになっている。
しかし、人格高潔や教育への識見などはどうでもよい。日の丸・君が代強制に蛮勇をふるう気心知れた人物を委員としたい。まず、一橋大学商学部の同期生で、日の丸・君が代の強制に従わない教員を癌細胞に例えて有名になった鳥海厳である。また、日の丸・君が代強制のために天皇を利用しようとして、天皇からたしなめられたことで有名になった棋士・米長邦雄である。さらに、教育にも憲法にも無知ながら蛮勇だけを見込まれて抜擢された教育長の横山洋吉である。
こんな取り巻きで教育委員会を固めて、2003年10月23日の「10・23通達」以来、石原教育行政の暴走が続き、教育現場は萎縮し混乱が続いている。あの、行政に大甘の最高裁でさえも、判決において都教委の暴走を掣肘し戒めている。
10・23通達から間もなく10年、知事も代わった。都教委のメンバーも代わった。いつまでも、トンデモ男のアナクロニズムを墨守することが能ではあるまい。教育委員諸君、まずは、操り人形であることを拒否せよ。情報の全てを要求したまえ。少なくとも、請願や要請の類には目を通すようにしていただきたい。そして、自分の頭でよく考えてものごとを判断していただきたい。
以前にも私のブログに書いたが、できれば日の丸・君が代関連の最高裁判決の代表的なものには目を通していただきたい。けっして長文のものではない。法律論はともかく、最高裁が都教委の強引な手法を教育の場にふさわしいものではないと憂慮していることを読み取っていただきたい。
判決文を読んでいただきたいという要求が無理なら、日の丸・君が代強制事件の原告団・弁護団の要請書には、簡潔で正確な要約が記載されている。それには目を通していただきたい。都税から報酬を得ている諸君に、そのくらいの要求をしても良かろう。けっして、諸君に「高潔な人格」や「教育に関する識見」などは要求しない。しかし、諸君が裸のピエロに甘んじるのでは困る。都民一般の水準で、日の丸・君が代の強制ということの意味を真剣にお考えいただきたい。常識的な市民感覚で、今行われているような日の丸・君が代の強制が、はたして教育の場にふさわしいものであるかどうか、よくよくお考えいただきたい。
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