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http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20130624-00025932/
2013年6月24日 17時22分 田中 良紹 | ジャーナリスト
東京都議会選挙は極めて不愉快な選挙であった。自公が圧勝したからではない。来月行われる参議院選挙の前哨戦と位置づけられ、東京都政を巡る争点が何なのかさっぱり分からぬまま投票させられたからである。
参議院選挙の「ねじれ」解消しか頭にない与党は、地方自治とか言いながら、都議選を参議院選挙に利用する事を考えた。アベノミクスを前面に掲げて国政選挙並みの応援体制を取り、メディアには「参議院選挙の前哨戦」を枕詞のように繰り返させた。するとそれに乗せられた野党がアベノミクス批判を繰りかえす。こうして東京都が抱える問題は脇に追いやられ、まるでアベノミクスへの期待感を問うような選挙となった。
その結果は、第一に低投票率、第二に自公の圧勝と民主の惨敗という昨年の総選挙とよく似た結末である。自民党は候補者全員が当選したから議席の上では大勝利だが、それではアベノミクスが大差で信任されたかと言えば、それがそうとも言えない。アベノミクスはまだ実現されておらず「ほんわか」とした期待感が続いているだけである。その「ほんわか」とした期待感で争点とすべき現実の課題が覆い隠された。
今回の都議選で自民党の石破幹事長は「積極的な勝利ではない」との認識を示したが、それは昨年の総選挙から続いている傾向である。昨年の総選挙で自民党は議席の上では大勝利を収め政権交代を果たしたが、得票数は政権を失った09年の選挙より少なかった。少ない票数でも勝ったのは民主党に対する失望がそれを上回ったからである。その民主党に対する失望は今回にも引き継がれている。
民主党が自滅したのは国民が政権を託したマニフェストを民主党自身が否定したからである。国民の理解を得て政策を変更するならともかく、強引に三党合意に持ち込んだ経緯は国民に対する背信行為である。そこを自公両党に突かれ、解散して国民に信を問う事になったが、自民党は巧妙にも三党合意の当事者を引っ込め、それまでとは異質の政策を主張する安倍晋三氏を押し立ててアベノミクスなる新自由主義を打ち出してきた。
これに海外の投機マネーが反応し、円安・株高が進んだことで国民は根拠のない期待感を抱かされる。何よりも三党合意による増税という「重苦しい」政策よりも、マネーが動き始めたという実感によって「明るい」気持ちにさせられた。しかしこれで日本がデフレから脱却できるのか、財政が破たんする事にはならないのか、世界中誰にもわからない。分からないから関心を集めている。
円高・株安は安倍内閣の支持率を押し上げ、その傾向はまだ続いているが、しかし先月以来分かってきたことがある。ひとつは参議院選挙を意識して作成した「成長戦略」では市場が納得しない事。もう一つは円安も株高もアベノミクスだけではどうする事も出来ないという事実である。アメリカのFRBが金融緩和の出口戦略を探り始めた途端に株式市場は乱高下をはじめ、また長期金利も日銀の思惑とは異なる動きを見せ始めた。
安倍政権は市場を操る大きな力の上で泳がされることになった。それが日本の国益を損ねる事にならないのか。しかし安倍総理は「これしかない」と脇目も振らずに直進する構えである。目の前の参議院選挙を乗り切るには「ほんわか」した期待感を先送りするしかなくなった。
秋にさらなる成長戦略を打ち出すと言うが、なぜ早く打ちださないのか。期待感をつなぐことでしか支持率を維持できないと思っているからである。そして参議院選挙さえ乗り切ればその後3年間は選挙をやらなくとも良くなるので、そこで念願の憲法改正に取り組もうとしている。しかしそれは薄氷の上を歩くのに似て、市場の動きにいちいち足を取られる恐れがある。
それにしても今回の民主党の選挙運動を見て唖然とした。よせばいいのに政権を失わせたA級戦犯ともいえる元代表たちが選挙応援に乗り出したのである。有権者の期待をあれほど裏切った面々の顔を有権者は忘れていない。議員辞職をして謹慎するか、最低1年は座敷牢に入っておとなしくしているかと思ったら、最も見たくない顏が堂々と街頭に出てきた。民主党マニフェストを破り、自公と手を組んだ張本人がぬけぬけと自公批判をする。これでは逆効果である。
考えてみれば前回の参議院選挙で民主党が大勝し、政権交代に王手がかかった時、国民が抱いた期待感も根拠のないものであった。私は半世紀以上政権交代がなかった国で、権力中枢の内部構造を知らない民主党が簡単に政権運営できるとは思っていなかった。そのため一時的に自民党と大連立を組むことで政権移譲をスムーズにする方が賢明だと思っていた。
小沢一郎氏が福田康夫総理に持ちかけた大連立構想には、明治維新に先駆けて坂本龍馬が抱いていた大政奉還後の公武合体案に似たものを感じたが、民主党の中にそれを理解する政治家はおらず、力で政権交代を成し遂げることになった。そうなれば権力を奪われる側も黙ってはいない。前代未聞の検察捜査となって小沢氏を襲い日本の民主主義に致命的な傷跡を残すことになった。
そして案の定、国民の民主党に対する根拠なき期待感は裏切られ、次に国民はアベノミクスなる新自由主義政策への根拠なき期待感に踊らされている。そしてその間に政治は期待感をつなぐことが政治の要諦だと考えるようになり、極めて危なっかしい道を歩くようになった。
これらは政権交代が普通の事になる前の段階の現象である。国民が政治に求めるべきは根拠のない期待感ではなく、地に足を付けた現実の変更である。それを考える時に来ている。
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