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為政者の重み再認識を
神奈川新聞 2013年6月22日
http://news.kanaloco.jp/editorial/article/1306220001/
安倍晋三首相が自身の歴史観に懸念を示した元外務官僚をフェイスブック(FB)で批判したことが波紋を呼んでいる。民主党の細野豪志幹事長との批判の応酬に発展するなど物議を醸しているが、最も憂慮すべきは批判を封殺するような為政者の言動がもたらす副作用だ。
発端は毎日新聞に掲載された田中均元外務審議官のインタビューである。安倍首相が過去の侵略を認めた村山談話について、「そのまま継承しているわけではない」と述べたり、侵略の定義についても、「学界的にも国際的にも定まっていない」と語ったことを引き合いにし、「中韓に日本を攻撃する口実を与えてしまっているという面はある」と指摘した。
中国に対する外交姿勢にも、「中国が将来覇権をとらないよう(他国と)共にけん制するのは静かにやること。声を大にして『けん制しますよ』というのは外交じゃない」と懸念を示した。
安倍首相はこれを受け、田中氏が一時帰国した拉致被害者5人を北朝鮮に帰すべきだと主張したとして、「彼に外交を語る資格はありません」などとFBで批判。この書き込みをめぐり、首相と細野氏が相互に「的外れ」と批判し合う事態になっている。
政治家がインターネットを活用し、自身の思いをダイレクトに伝える効果は大きい。しかし、国家の最高権力者、しかも世界第3位の経済大国の首相が個人攻撃を行う様には、国民をあまねく導くリーダーに求められる懐の深さを感じることができない。
ひとたび政権を担い、雌伏の時期を経て再登板を果たした安倍氏なら、宰相の権力の大きさや怖さを誰よりも分かっているはずだ。首相が個人を名指しし、「語る資格はない」と指弾する姿に接したら、萎縮してしまう国民も出かねない。民主主義にとって最も重要な、表現の自由を抑圧するような恐れさえはらんでいる。
権力者にはただでさえ、耳の痛い情報が入りにくくなる傾向がある。自らが批判を封殺するような言葉を放っていたら、行き着く先は「裸の王様」になりかねない。安倍首相のネット上の発信には、事実を確認しないまま思い込みで記述し、後に訂正した書き込みもある。政権与党の最高責任者が発する言葉の重みをもっと考えてほしい。「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」。為政者の言葉は取り返しがつかないのだから。
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