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関東震災直後の混乱の中で、朝鮮人独立運動家たちは被災民に対して無差別テロを仕掛けた。(国際派日本人養成講座)
http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/580.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 6 月 19 日 21:20:36: 8rnauVNerwl2s
 

阪神大震災の時に瓦礫の中から夥しい数の武器弾薬が発見された(読売新聞)というが何のために武器弾薬を隠し持ってたのか?

外国の大使館等を使って、自分に有利なプロパガンダを流す方法は、戦前、国民党や李承晩の上海仮政府が行った手法。

朝鮮人虐殺も過去の歴史ではない。いまも続く政治活動だ。国籍不明の左翼たちは、今も何か事件が起こる度にプロパガンダを利用して、日本の国際的イメージを貶めようとしている。

国際派日本人養成講座から
http://blog.jog-net.jp/201009/article_2.html


関東震災直後の混乱の中で、朝鮮人独立運動家たちは被災民に対して無差別テロを仕掛けた。


■1.「朝鮮人を電柱に縛りつけ、眼球をくり抜いて鼻をそぎ、、、」

 関東大震災の翌年、大正13(1924)年5月、在東京英国大使館から、ジェームズ・ラムゼイ・マクドナルド英首相に、あるパンフレットが送付された。『日本での朝鮮人大虐殺』と題した小冊子で、横浜の英国総領事あてに郵送されてきたものである。その中には、次のようなおどろおどろしい記述があった。[1,p245]

__________
1923年9月1日ごろ(JOG注: 震災当日)、日本政府は一般大衆のほか、兵士、警察本部、自警団に向けて無線で特別命令を出し、「朝鮮人の老若男女を街角で見つけるか、家の中、あるいはどこかに隠れているのを見つけたら、いつでも殺害せよ」と指示した。・・・

 騎馬兵はあらゆる方角から朝鮮人を追いかけ、銃撃を加えて皆殺しにした。このようにして殺された人数は次の通りである。

ハダ(羽田?)2000、隅田川沿い400、品川300,サキダマケン(埼玉県?)駅400・・・

 しかし、最も痛ましい殺人は、いわゆる自警団や民衆によって行われた。「朝鮮人だ、朝鮮人だ」と叫び、朝鮮人攻撃に加わった。彼等は朝鮮人を電柱に縛りつけ、眼球をくり抜いて鼻をそぎ、腹を切り裂いて腸が飛び出るままにした。・・・

 2万人以上の罪なき人が野蛮な日本人によって虐殺された。朝鮮人に開かれている道はただ一つ。それは「日本人が朝鮮人を殺したように、日本人を殺すこと」だ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「眼球をくり抜いて鼻をそぎ」というのは、中国や朝鮮でかつて行われていた虐殺方法だが、我が国では聞いたことがない。どうも「南京事件」と同様、中国や朝鮮が絡むと、そこに登場する日本人は突然、大陸・半島風の残虐さを発揮するようだ。

 今日でも流布されている関東大震災における「朝鮮人虐殺」が、すでにこのように国際的な政治宣伝に使われていたのである。


■2.「そう住民が思い込んだのには根拠がまったくないわけではない」

 この小冊子を本国に送るにあたって、在京英国大使館は次のようなメモをつけている。[1,p244]

__________
 小職の複数の報告でお分かりの通り、大震災後に多くの朝鮮人が殺害されたことは疑いのない事実であります。しかし、不幸な出来事はこの小冊子の著者によって著しく誇張されており、日本の当局が虐殺を扇動したという筆者の指摘には根拠がないと考えます。

 東京や横浜の住民は恐慌状態に陥り、朝鮮人が略奪や政治的復讐のため家々に火を放っていると思いました。小職には放火があったともなかったとも証明する手立てはありませんが、欧州人を含む事情通の多くは、そう住民が思い込んだのには根拠がまったくないわけではないと考えています。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち、英国大使館の見る所では:

・大震災後に多くの朝鮮人が虐殺された。
・日本の当局がそれを扇動したわけではない。
・住人は、朝鮮人が略奪や政治的復讐のために放火した、と思った。
・そう思い込んだのは、根拠がまったくないわけではない。

 当時の英国大使館といえば、中立的客観的な見方のできる立場にあった。当時の史実を丹念に分析した工藤美代子氏の労作『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』があきらかにしたところも、この英国大使館の見方を大筋で一致している。


■3.震災下のテロ

「住人たちが、朝鮮人が略奪や政治的復讐のために放火したと思った」のは、「根拠がまったくないわけではない」、という点を工藤氏は詳細な事実で明らかにしている。それによると、真相は次のようであった。

 震災前から朝鮮の独立運動家たちが、様々なテロ攻撃を計画し、実施してきていた。ちょうど、アメリカでの9.11事件を引き起こしたイスラム過激派のテロのように。

 そこに発生した関東大震災を好機到来として、朝鮮人テロリストたちは一般家屋への放火や、一般の日本人民衆を殺害し、混乱を増大させて、独立運動を盛り上げようとした。

 自衛のために、東京・横浜の各所で自発的に自衛団が作られ、一部の地域ではテロリスト集団との戦闘まで行われた。またその過程で、過剰防衛により殺害された朝鮮人もいた。

 この混乱を抑えるために、戒厳令が敷かれ、軍・警察が騒乱を鎮圧した。政府は「朝鮮人は全部が悪いのではない」と必死で政情安定に努めた。

 以下、工藤氏の著作から、ポイントとなる史実を追ってみよう。


■4.朝鮮人テロ集団

 日本統治下の朝鮮半島では、食糧増産、医療の普及によって、急速に人口が増加した。併合前の1906年(明治39年)に980万人だった人口が、その後の20年間で1,866万人へと倍増した[a]。

 その結果、職を求めて内地に移住する朝鮮人も増加した。在日朝鮮人の人口は、大正7(1918)年に1万4501人だったが、5年後の震災の年には8万617人と急増している。

 その中に、朝鮮独立を目指すテロリストたちが混じっていて、さまざまな事件を起こし、それが次のように新聞に報道されていた。

「首相邸を襲わんとした鮮人の大陰謀露顕−爆弾数個と陰謀書類」
「在阪鮮人の宅に爆弾数個を発見」
「大仕掛けの武器密売 拳銃1万挺、挺彈90万発」

「密売」とは、神戸在住のある日本人が青島の朝鮮独立家に大量の武器密輸を図ろうとして逮捕された事件である。このように震災の前から、朝鮮人テロリスト集団は活発な活動を続けていた。


■5.走り回る巡査、警鐘の響、ワーッと言う様な喊声(かんせい)

 大地震は大正12(1923)年9月1日午前11時58分に発生した。地震による家屋倒壊に引き続き、大火災が発生して、死者・行方不明者10万5千余人、家屋全・半壊23万戸、家屋全焼失44万7千戸、避難人数190万人以上とされている。

 こうした大災害の直後には、警察も機能不全に陥り、略奪や暴動が起こりがちである。2005(平成17)年8月末にハリケーン「カトリーナ」に襲われたニューオーリーンズでは、市内のあちこちで黒人による暴動、放火が発生したと報じられている。

 阪神淡路大震災の際には、被災地の人々の冷静な行動が世界を驚かせたが[b]、逆に言えば、大災害の後に無秩序状態になるのが、世界の常識なのである。

 東京・大森に住むある夫婦は次のような体験談を残している。[1,p117]

__________
 巡査の一人があご紐をかけて、自転車に乗って駆けて行く。それを捉えて「どんな形勢ですか」と訊ねると彼は「今○○の数300人程が団体を作って六郷川で青年団や在京軍人団と闘って居る。其中の5、60人が鞠子(まりこ)の渡し付近から馬込に入り込んだと云う情報がありました、そうして鞠子を渡った処で15、6人女や子供を殺したそうです。皆さん警戒して下さい」と叫びながらどこかへ飛んでいく。

 自分はこれは誠に容易ならざる事と思った。(略)警鐘の響が四方八方から起こる。ワーッと言う様な喊声(かんせい)がどこからか聴こえる。(中野栄談「福岡日日新聞」大正12年9月23日。伏字部分は他の関係資料によれば朝鮮人を指す蔑称が入る)
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 巡査が走り回り、四方八方で警鐘が鳴り、「ワーッと言うような喊声(大勢で突撃するときなどにあげる叫び声)が聞こえる。「朝鮮人による暴動」は流言飛語に過ぎないとするには、あまりにもリアルな情景である。


■6.馬のまぐさを保管する倉庫から爆発音

 2日の午後になって、不審火が空屋、小学校、商業ビルなどから新たに発生し、市内をさらなる混乱に陥れた。その一つにこんな体験談が新聞に報じられている。[1,p125]

__________
 これより先、越中島の糧秣廠(JOG注: りょうまつししょう、軍が馬の秣(まぐさ)を保管している倉庫)にはその空地を目当てに本所深川辺りから避難してきた罹災民約3千人が雲集していたところが、その入口の方向に当って異様の爆音が連続したと思うと間もなく糧秣廠は火焔に包まれた。

 そして爆弾は所々で炸裂する。3千人の避難者は逃場を失って阿鼻叫喚する。遂に生きながら焦熱地獄の修羅場を演出して、一人残らず焼死して仕舞った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 馬のまぐさを保管する倉庫に爆弾が置いてあるはずもないし、火の気があるはずもない。しかし、乾燥したまぐさは火をつければ、勢いよく燃え上がる。誰かの仕業だろうと疑うのは、当然である。

 在京軍人団や青年団が捜査した結果、爆弾を携帯している朝鮮人が見つかった。厳重に詰問した結果、捕らえられた朝鮮人は、「今年のある時期」に日本政府高官が集合するから、これを狙って爆弾を投げ、次いで東京全市至るところで爆弾を炸裂させて市民を皆殺しにしようとしていた、と白状したという。

「今年のある時期」とは、この年12月27日に予定されていた摂政宮(昭和天皇)ご成婚の御大典であろう。朝鮮人テロリストらは、御大典を狙って爆弾を準備していたが、大震災の混乱を好機到来と、爆弾テロを前倒しで実行したようだ。

 白状した朝鮮人は、自警団により首をはねられた。こういう例が「虐殺」された人数にカウントされているのだが、テロ行為で殺された3千人と言われる避難民の方は、一顧だにされない。


■7.政府の治安回復努力

 震災の直後に発足した山本権兵衛内閣は治安回復に乗り出した。9月2日に東京全市、京浜地区に戒厳令が敷かれ、各地から総数約5万の兵が配備された。その戒厳令司令官から次のような命令が出された、と「東京朝日新聞」の4日付け手書き号外が報じた。[1,p157]

__________
武器を持つ忽(なか)れ

 朝鮮人が全部が悪いのではない。鮮人を不当にイジメてはならぬ。市民で武器を携えてはならぬと戒厳令司令官から命令を出した。
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 朝鮮人テロリストの襲撃がなかったとは、一言も言っていない。ただ襲撃は一部のテロリストによるもので朝鮮人すべてが悪いのではない、治安維持は軍に任せ、市民は武器を持つな、というのである。

 同時に戒厳令司令部は過剰防衛として日本人367人を逮捕した。彼らに殺害された朝鮮人は233人と公表されている。

 軍や警察は、朝鮮人を保護するために、習志野陸軍廠舎、市内各警察署などに6800人を収容した。彼らにはテントで雨露をしのぎ、毛布を配られ、握り飯が支給され、負傷者には赤十字と軍医から手当を施された。

 この時点で、190万人の日本人被災者の相当部分が、野宿をしたり、食糧不足に苦しんでいた事情と照らし合わせなければならない。


■8.震災下のテロとの戦い

 工藤氏の調査によれば、震災直後に東京とその近郊にいた朝鮮人の総人口は約9800人。ここから軍・警察に収容された6800人を除くと約3千人。この中に、震災被害者とテロリストとして殺害された人数が含まれる。

 工藤氏は、朝鮮人も多く居住していた本所区、深川区の震災による死亡率が約15パーセントであることから、多くの朝鮮人の家屋が劣悪だったことを加味して死亡率を20パーセントと仮定して、約9800人の20パーセント、すなわち2千人近くが震災被害者だと推定している。

 とすると、3千人から、推定震災死亡者2千人を引くと、1千人ほどがテロリストとして殺害された朝鮮人の数となる。1千人規模が殺されたとは今日から見れば大変な事だが、その一方で朝鮮人テロリストによる放火や爆弾によって殺された日本人もいた事を忘れてはならない。

 先に紹介した越中島の糧秣廠の爆弾攻撃だけでも3千人が死んだと言われている。そして同様の放火事件が各地で起きている。殺害された日本人も、数千、数万という規模になるだろう。

 震災下の混乱の中で、朝鮮人テロリスト集団が日本人被災者に対して無差別攻撃を仕掛け、せっかく大震災を逃れた被災者たちが多数殺された。市民を護るべく、自発的に住民の自警団が立ち上がり、テロリストたちと戦った。その過程で、当然、無辜の朝鮮人も巻き添えになって殺された。そういうテロとの戦いが、震災下にあったのである。

 こういう背景を伏せて「朝鮮人虐殺」だけを取り上げ、なおかつ犠牲者数を2600人とか、5千人とか、果ては2万人以上だというのは、「南京大虐殺30万人」[c]と同じ、悪質な政治宣伝である。

(文責:伊勢雅臣)
・・・

<参考リンク>

◆「関東大震災で、朝鮮人の虐殺はなかった」に危機感…90年の節目に向け"民団も例年以上の意気込み"
 http://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/1781820.html


◆森村誠一著「悪魔の飽食」は左翼系の捏造本ですか?(Yahoo知恵袋)
 http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/793.html


◆「侵略者の日本がまず反省すべき」…日本知識人1300人が声明(中央日報)
 http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/785.html


◆「南京大虐殺」などのウソを見破る二つの方法。(国際派日本人養成講座)
 http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/137.html


◆南京大虐殺も捏造した西早稲田のサヨク・ザイニチビルの面々と辻元清美の触れられたくない過去
 http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/743.html


◆李栄薫ソウル大教授「従軍慰安婦は売春業」(どっこい、それでも生きている)
 http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/290.html


 

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コメント
 
01. 2013年6月19日 21:42:14 : sa8Amt5mOk
被害者が加害者にでっち上げられている。
これは被害者に対する二重の虐殺である。

レイシストの「会員番号4153番」よ、恥を知れ


02. 2013年6月19日 22:48:48 : hppHR1gKBo
コリアンは地上から抹殺するべき糞だって事が
良く判る 良い投稿記事だな
バカチョン達も、そう思うよな!

03. 2013年6月19日 23:03:33 : 7oSKGju5kA
次に地震が起きたら4153が「朝鮮人が井戸に毒を投げた!」と吹いてまわると予想。
オッズは任せた。

04. 2013年6月19日 23:04:37 : 7oSKGju5kA
>>02も以下同文。
こっちの方がオッズが高いかな

05. 大阪府民 2013年6月19日 23:05:23 : 2fc9REJTmRlzM : gwcPJN5e1w
01さんに賛同
02みたいな馬鹿がまだ存在するんだ

ちょっとは歴史を勉強しろよ
どうせ「ネットで真実」の口やろ


06. 中川隆 2013年6月19日 23:17:27 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
デマを流して朝鮮人を虐殺させたのは正力松太郎警視庁官房主事


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見


 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。

内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


『大阪朝日』は九月四日、「神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。

『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。


『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。

この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。


 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。

わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。

念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の九月二日から四日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。


 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。

報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。

各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。

各社は保存していたはずだから、九月一日から四日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。

戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。


 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「九月三日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。

要点はつぎのようである。


「東京の鮮人は三五名づつ昨二日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」


「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、一日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に十余名の死傷者」


 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。


 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。

同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。

発行は一九三二年(昭7)である。のちの読売社長、務台光雄は元報知販売部長で、同時代人だから、この二人は旧知の仲だったに違いない。

ところが、この二人が残した記録は、肝心のところで、いささか食い違いを見せるのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-3.html


号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄


 務台の伝記『闘魂の人/人間務台と読売新聞』(地産出版、以下『闘魂の人』)には、務台が、震災直後から一週間ほど社の講堂で寝泊まりしたことやら、その奮闘ぶりが克明に描き出されている。

「活字が崩れてしまったので、大きい活字を使って、号外のような新聞を、四日には出すところまでこぎつけた」ということになっている。

ところが、『新聞生活三十年』には、「写真1」のような「九月一日」付けの報知号外のトップ見出し部分のみが印刷されているのである。

「四日」と「一日」とでは、この緊急事態に際しては大変な相違がある。


 謎を解く鍵の一つは、まず、『別冊新聞研究』((4)、77・3)掲載、「太田さんの思い出」という題の、務台自身の名による文章である。

そこでは、「直ちに手刷り号外の発行を行う一方、本格的新聞の発行に着手、まず必要なのは用紙だ」となっている。

地震で電気がこないから、輪転機が動かせない。

輪転機用の巻紙もない。

だが、活字を組んでインクを塗れば、「手刷り」印刷は可能だった。

しかも、「手刷り」には、もう一つの手段があった。


 さきの『新聞生活三十年』を出典とする「朝鮮人暴動説」の号外は九月三日付けだが、「写真2」のようなガリ版印刷である。

本文中には、「汗だくになって号外を謄写版に刷る」という作業状況が記されている。


 務台のフトコロ刀といわれた元中部読売新聞社長、竹井博友の著書、『執念』(大自然出版局)によると、電気がこないので九月九日まで、「四谷の米屋からさがしてきたガス・エンジンでマリノニ輪転機を動かして」いたという。

普段よりは印刷能力が低かったので、手刷りやガリ版印刷で補ったのであろう。

晩年の務台から直接取材したという『新聞の鬼たち/小説務台光雄(むたいみつお)』(大下英治、光文社)では、震災当日に「手刷り」と「謄写版」の号外を出した事を認めている。

つまり、務台自身が、段々と真相の告白に迫っていたのだ。


 もう一つの手段は、近県の印刷所の借用である。

斉藤久治の表現によれば、「報知特有の快速自動車ケース号(最大時速一時間百五十哩)」で前橋の地方紙に原稿を届け、九月七日までに、「数十万枚を東京に発、送し、市内の読者に配ることに成功した」という。

 さて、そこからが一編の歴史サスペンスを感じさせるところである。

『新聞生活三十年』の本文には、問題の号外の文章は復原されていない。

そのほかにも本文には、「朝鮮人暴動説」報道に関しての記述はまったくないのである。

 「写真2」は同書の実物大(WEB上の注:87ミリ×53ミリ)である。

もともとのガリ版が乱筆の上に、かなりかすれている。

しかも、極端に縮尺されているから、拡大鏡で一字一字書き写してみなければ、判読できない状態である。

結果から見て断言できるのは、「写真2」のガリ版号外が、『新聞生活三十年』の本文の記述を裏切っているということである。


奇妙な話のようだが、当時の言論状況を考えれば、真相は意外に簡単なことかもしれない。

著者の斉藤が、手元に秘蔵していたガリ版号外の内容を後世に伝えるために、検閲の目を逃れやすいように判読しがたい状態の写真版にして、印刷の段階で、すべりこませたのかもしれないのである。

 わたしは、このガリ版号外の件を『噂の真相』(80・7)に書いた。

読売の役員室に電話をして務台自身の証言を求めたが、返事のないまま務台は死んでしまった。

あの時代の人々には、この種の秘密を墓場まで抱いていく例が多いようだ。残念なことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-4.html


「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、発生地帯の研究などもあるが、いまだに決定的な証拠が明らかではない。

軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告もある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。


いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。

 さきに紹介した「内務省警保局長出」電文の打電の状況については、「船橋海軍無線送信所長/大森良三大尉記録」という文書も残されている。

歴史学者、松尾尊兌の論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」(『思想』93・9)によると、

大森大尉は、

「朝鮮人襲来の報におびえて、法典村長を通じて召集した自警団に対し四日夜、

『諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』

と訓示したために現実に殺害事件を惹起せしめ」たのである。


 九月二日午後八時以降と、一応時間を限定すれば、「噂」「流言」、または「好意的宣伝」を積極的に流布していたのは、うたがいもなく内務省筋だったのである。

 なお、さきの船橋発の電文例でも、すでに「戒厳令」という用語が出てくる。

「戒厳」は、帝国憲法第一四条および戒厳令にもとづき、天皇の宣告によって成立するものだった。

前出の『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、この経過をつぎのように要約している。


「一日夜半には、内相官邸の中庭で、内田康哉臨時首相のもとに閣議がひらかれ、非常徴発令と臨時震災救護事務局官制とが起草された。

これらは戒厳に関する勅令とともに二日午前八時からの閣議で決定され、午前中に摂政の裁可を得て公布の運びとなったのである」


 前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」によると、この戒厳令公布の手続きは、「枢密院の議を経ない」もので「厳密にいえば違法行為である」という。

ただし、このような閣議から裁可の経過は、表面上の形式であって、警視庁は直ちに軍の出動を求め、それに応じて軍も「非常警備」の名目で出動を開始し、戒厳令の発布をも同時に建言していた。


 戒厳令には「敵」が必要だった。

警察と軍の首脳部の念頭に、一致して直ちにひらめいていたのは、一九一八年の米騒動と一九一九年の三・一朝鮮独立運動の際の鎮圧活動であったに違いない。

 首脳部とは誰かといえば、おりから山本権兵衛内閣の組閣準備中であり、臨時内閣に留任のままの内相、水野錬太郎は、米騒動当時の内相だった。

その後、水野は、三・一朝鮮独立運動に対処するために、朝鮮総督府政務総監に転じた。


 震災当時の警視総監、赤池濃は、水野の朝鮮赴任の際、朝鮮総督府の警務部長として水野に同行し、一九一九年九月二日、水野とともに朝鮮独立運動派から抗議の爆弾を浴びていた。

 震災発生の九月一日、東京の軍組織を統括する東京衛戍司令官代理だった第一師団長、石光真臣は、水野と赤池が爆弾を浴びた当時の朝鮮で、憲兵司令官を勤めていた。

 つまり、震災直後の東京で「市内一般の秩序維持」に当たる組織の長としての、内相、警視総監、東京衛戍司令官代理の三人までもが、朝鮮独立運動派から浴びせられた爆弾について、共通の強い恐怖の記憶を抱いていたことになる。

さらに軍関係者の方の脳裏には、二一か条の要求に反発する中国人へのいらだちが潜んでいたにちがいない。

 その下で、警視庁の実働部隊の指揮権をにぎる官房主事、正力は、第一次共産党検挙の血刀を下げたままの状態だった。

正力自身にも、朝鮮総督府への転任の打診を受けた経験がある。


 かれらの念頭の「仮想敵」を総合して列挙すると、朝鮮人、中国人、日本人の共産党員または社会主義者となる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺


 戒厳司令部の正式な設置は、形式上、震災発生の翌日の午前中の「裁可」以後のことになる。だが、震災発生直後から、実質的な戒厳体制が取られたに違いない。

前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」には、当時の戒厳司令部の参謀だった森五六が一九六二年一一月二一日に語った回想談話の内容が、つぎのように紹介されている。

「当時の戒厳司令部参謀森五六氏は、正力松太郎警視庁官房主事が、腕まくりして司令部を訪れ

『こうなったらやりましょう』

といきまき、阿部信行参謀をして

『正力は気がちがったのではないか』

といわしめたと語っている」


 文中の「阿部信行参謀」は、当時の参謀本部総務部長で、のちに首相となった。

これらの戒厳司令部の軍参謀の目前で、腕まくりした正力が「やりましょう」といきまいたのは、どういう意図を示す行為だったのであろうか。

正力はいったい、どういう仕事を「やろう」としていたのだろうか。

「気がちがったのではないか」という阿部の感想からしても、その後に発生した、朝鮮人、中国人、社会主義者の大量「保護」と、それにともなう虐殺だったと考えるのが、いちばん自然ではないだろうか。


森五六元参謀の回想には、この意味深長な正力発言がなされた日時の特定がない。


だが、「やりましょう」という表現は、明確に、まだ行為がはじまる以前の発言であることを意味している。

だから、戒厳司令部設置前後の、非常に早い時点での発言であると推測できる。

警察と軍隊は震災発生の直後から、「保護」と称する事実上の予備検束を開始していた。

その検束作業が大量虐殺行動につながったのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-6.html


07. 2013年6月20日 00:21:14 : 4JDMDbvNqk
しかしチョンは、スプラッターもどきの作文や
捏造キチガイ話が得意だな、
昔の人達も 本当に厄介なもん この国に残して
くれたもんだ、いつか掃除させられる
こっちの身になって欲しいよ 、、、ったくよ!
まだヌートリアのがましだぜ 駆除しやすいし
金鳥さんも、コバエコナーズの次はバカチョンコナーズ
作ってよ マジリクエストしますよ
バカチョンは二流動物園の猿小屋の隣に 1、2匹飼うレベルで
良かったのに 本当 昔の人達のお人好しにも
困ったもんだぜ。

08. 2013年6月20日 04:04:40 : maxkpWHZCo
大震災時これに乗じて朝鮮の人が暴動を起こすやこの大震災が朝鮮の人による仕業だと半日かからず流布され都の境を流れるかっわらで百人を超える朝鮮の部落人が虐殺されたと生前の祖母から何度聞かされた事か 揺れの怖さと残虐な事件とかあわさって本当に怖ろしかったと聞かされた

09. 2013年6月20日 10:05:50 : 9MOgoBJNrc
神戸震災でも略奪が多く起こり、新潟震災では鯉泥棒多発、
東北地震でもATMは全部破壊され、避難した人の家は荒らされたが
ろくに報道されていない。

これらの犯罪を徹底的に捜査し、逮捕した容疑者の中には
今でも本当に外国人や在日が多いのか、を見るデータが必要なところだが、
新聞が怠慢すぎ。外国に「犯罪が出ない」とかデマ情報を流して
褒められて喜んでいる。

(鯉泥棒なんか日本人が多そうな感じはするが)

>>08
>大震災が朝鮮の人による仕業

今でも地震があるとアメリカの仕業だと騒いでいるひとがいるんですが…


10. 2013年6月20日 13:53:01 : FumIzHpHFY
鯉泥棒はチャイニーズのしわざだろ
ボケ

11. 2013年6月21日 17:36:28 : 9dVzFHaO4g
人の不幸につけこんで、神戸で肩で風をきって歩いた朝鮮人たち。この横暴ぶりに立ち上がった国士が山口組三代目である。三国人狩りによって瞬く間にしゅんとおとなしくなった朝鮮人たちの真の姿を、日本人はその心に焼き付いている。

12. 2013年6月22日 01:20:58 : jvKsQEdrQU
中国人は緋鯉を食べちゃったのそれともパックにして本国に送ったの?

13. 反イルミナティー主義 2014年11月08日 21:42:45 : c/WVv5CaliQ7M : cs7Uzkezsw
>>11
山口組の面々もあちらの方がたばかりだよ(笑)
それを仕掛けていたのは白豚ユダ金のGHQだ。
要するにAさんチームとBさんチームにわけて
喧嘩させて自分たちはとりあえず手を引いて
裏から操れば良いということ。大航海時代以来
変わらぬ白豚ユダ金連中のこれが植民地支配の
統治方式で姑息で汚いやり方だ。三国人などと
某元裏社会レイシスト都知事の言葉なんて捨てて
本当の敵は白豚ユダヤ=イルミティー=フリーメーソンで
あることを認識すべきだ。三国人などと侮蔑発言を
流布したのも連中でありそれも直接ではなく
某レイシスト元都知事を通じて言わせたのだろう。
答えは簡単である。自分たちが直接手を汚さずに
済むからだ。これが裏社会白豚ユダ金の卑怯な
やりかたなのである。

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