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★孫崎享氏の視点ー(2013/06/15)★ :本音言いまっせー!
今、リベラル勢力は全く茫然自失の中にある。
原発再稼働、TPP参加、消費税の増税、集団的自衛権、憲法改正等が、
日本の将来の政策でないことは明白である。
しかし、リベラルの結集すべき軸がない。
本当に軸はないのであろうか。
旧民主党が96年9月の結成時に発表した民主党の基本理念は20年弱
経とうとしているが、その必要性は全く喪失していない。
むしろますます必要となっている。
先だって、緑の風の舟山 康江議員と話した時に、1996年の
民主党結党の理念が今、最も重要であると話された。
96年の結党時の理念は1年以上鳩山由紀夫氏を中心に議論をし、
高野孟氏が最終的に文章に取りまとめたものである。
先13日、鳩山氏と高野孟氏にこの理念の意義をお教え願った。
これは「友紀夫、享、(橋本)大二郎、孟のUIチャネル」で来週月曜日
放映される。
今これを見るとまさに必要とされるものである。
自民党に復帰し日本はどこへ行くか。リベラルはこの理念を
今一度見直し、結集の道を探るべきである。
内容次の通り。
社会構造の100年目の大転換
明治国家以来の、欧米に追いつき追いこせという単線的な目標に
人々を駆り立ててきた、官僚主導による「強制と保護の上からの民主主義」と、
そのための中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システムは、
すでに歴史的役割を終えた。
これに代わって、市民主体による「自立と共生の下からの民主主義」と、
そのための多極分散・水平協働型の「市民中心社会」を築き上げなければ
ならない。
今、政治、社会、経済、外交のすべてがゆきづまって出口を見いだせない
閉塞感がある。
「100年目の大転換」を成し遂げる力は、過去の官僚依存の利権政治や
自主性を欠いた冷戦思考を引きずった既成政党との亜流からは生まれてこない。
いま必要なことは、すでに人口の7割を超えた戦後世代を中心とする
市民のもつ創造的なエネルギーを思い切って解き放ち、その問題意識や
関心に応じて地域・全国・世界の各レベルの政策決定に参画しながら
実行を監視し保障していくような、地球市民的な意識と行動のスタイルを
ひろげていくことである。
2010年からの政策的発想
いまから15年後、2010年にこの国のかたちをどうしたいかに思いを
めぐらせるところから出発したい。
するとそこでは、小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な
地方政府による「地方分権・地域主権国家」が実現し、そのもとで、
市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない
財政・医療・年金制度を両立させていく、新しい展望が開かれている。
経済成長至上主義のもとでの大量生産・大量消費・大量廃棄の産業構造と
生活スタイル、旧来型の公共投資による乱開発は影をひそめて、
技術創造型のベンチャー企業をはじめ「ものづくりの知恵」を蓄えた
中小企業経営者や自立的農業者、それにNPOや協同組合などの市民セクター
が生き生きと活動する「共生型・資源循環型の市場経済」が発展して、
持続可能な成長とそのもとでの安定した雇用が可能になっているだろう。
国のつごうに子どもをはめ込む硬直化し画一化した国民教育は克服され、
子どもを地域社会で包み込み自由で多様な個性を発揮させながら共同体の
一員としての友愛精神を養うような、市民教育が始まっているだろう。
そして外交の場面では、憲法の平和的理念と事実にもとづいた歴史認識を
基本に、これまでの過剰な対米依存を脱して日米関係を新しい次元で
深化させていくと同時に、アジア・太平洋の多国間外交を重視し、
北東アジアの一角にしっかりと位置を占めて信頼を集めるような国になって
いなければならない。
友愛精神(自立と共生)にもとづく自立と共生の原理
自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は「出る釘は打たれる」式の
悪平等に堕落しかねない。その両者のゆきすぎを克服するのが友愛である.
実際、資本主義的自由主義と社会主義的平等主義は、一見きびしく
対立してきたようでありながら、じつは人間を顔のない大衆(マス)
としてしか扱わなかったということでは共通していた。
日本独特の官僚主導による資本主義的平等主義とも言うべきシステムも、
その点では例外でなかった。 私たちは、一人ひとりの人間は限りなく
多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの
運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務が
あるという「個の自立」の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と
異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて
協働するという「他との共生」の原理を重視したい。
西欧キリスト教文明のなかで生まれてきた友愛の概念は、神を愛するが
ゆえに隣人を愛し、敵をも愛するという、神との関わりにおいて人間社会
のあり方を指し示すもので、そこでは人間と自然の関係は考慮に入って
いない。
しかし東洋の知恵の教えるところでは、人間はもともと自然の一部であって、
一本の樹木も一匹の動物も一人の人間も、同じようにかけがえのない
存在であり、そう感じることで自然と人間のあいだにも深い交流が
成り立ちうる。そのように、自然への畏怖と命へのいつくしみとを土台に
して、その自然の一部である人間同士の関係も律していこうとするところに、
必ずしも西欧の借り物でない東洋的な友愛の精神がある。
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