http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/398.html
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流産・死産、歯ぐきや鼻から出血・・・
なるほど、昔から極左は使ってたんですね。
「被爆者(二世・三世)は、NPT(核不拡散条約)体制にもとづく核兵器の削減を求めているのではない。世界中から核兵器を廃棄させるためには、まず、八月六日広島、八月九日長崎へ原爆を投下した米帝こそが、真っ先に核兵器を全廃することを求めていかなければならない・・・」
だから北朝鮮は批判するなというわけですね。
「被爆二世(三世)に国家補償にもとづく援護を実現する問題・・・」
なるほど、永久に賠償しろとおっしゃるわけですね。
やぱり国籍不明の反日左翼は日本の敵だというのが感想です。
共産主義者同盟(統一委員会)HPから
http://www.bund21.org/treatise/1205-hibaku2.html
●T 反帝闘争としての被爆者解放闘争
▼1 侵略反革命と闘う被爆二世の会結成
一九八五年当時、日帝―中曽根政権は日本を「不沈空母」にすると言いなして、軍事大国化路線を突き進んでいた。広島・長崎の原爆被爆者を親に持つ被爆二世としてこれが許せず、「二度とアジアに対する侵略反革命戦争を許さない。そして原子力エネルギー政策を通じた日帝の核武装も許さない!」として、当時、共産主義者同盟(戦旗派)に結集していた被爆二世の同志が集い、「侵略反革命と闘う被爆二世の会」を結成した。
結成の過程で、被爆二世はその出生から成長していく中で、自らの健康不安を抱えていることが分かった。まず生まれる過程で、親である被爆者は「子どもが健康にちゃんと生まれてくるだろうか」と原爆の影響を心配した。中には、流産・死産という形で、生きることができなかった被爆二世もいた。この世に生を受けても、歯ぐきや鼻から出血しやすかったり、免疫力が弱くて風邪を引きやすかったり、いろいろな病気にかかったりする者がおり、そうした病気が原爆と関わりがあるのではと不安になった。
こうした不安は簡単に解消されるものではないし、私たちの責任でも、ましてや親の責任でもない。そう考えるにいたったのは、私たちの被爆二世の会が、障害者解放運動の中から生まれたからだ。障害者が自らの生存権をかけ地域で暮らしていく闘いを共にするなかで、「何で被爆二世でいけんのか? 病弱だったり障害があったら、この世界で生きていてはいけないのか?」。否、私たちには生きる権利がある。私たち被爆二世が生きづらいのは、私たちのせいではない。侵略戦争を引き起こし原爆投下を招いた帝国主義の社会にこそ、その責任がある。だから、自らが「被爆二世」であると名乗り出ることを通じて、この帝国主義の社会を、「戦争も核の被害も差別も無い社会に変えていくのだ」という被爆二世の側からの戦闘宣言として、被爆二世の会が結成された。その上で、被爆二世という存在は、ただ健康不安に脅える存在ではなく、帝国主義戦争の人民虐殺の生き証人として、自らの身体にその歴史を刻み込んだ帝国主義を打倒する解放主体であると宣言した。そして、帝国主義戦争の歴史を労働者階級人民の中に継承する存在として、階級闘争の一翼を担う革命的な階層として、被爆者(二世・三世)の団結を作り出すことを決意したのだ。
具体的には、当初、原爆映画の『にんげんをかえせ』を上映する取り組みや、被爆二世の大衆的な組織化に取り組んだ。そして被爆二世にとって唯一の援護施策としてある単年度措置の被爆二世検診の受診を呼びかける運動をした。
一九七九年に日帝が「核アレルギー解消」を目的に「被爆二世健康調査」を行おうとした。当時の被爆二世運動は、「モルモットになるな!ABCC(現在の放射線影響研究所)のような放射能の人体への影響を調べる軍事利用は許さない!」とこの調査を拒否した。しかし私たちが被爆二世の会を結成した当時、このような運動はすでに弱くなっていた。
そのような中で、唯一の援護施策である被爆二世健康診断を利用しなければ、国は、今ある援護施策さえも止めてしまうのではないかと危機感を感じた。
逆に、今ある被爆二世健康診断を利用することで、被爆二世の健康管理に役立てると共に、被爆二世の団結を作り出すことにした。被爆二世の会は、検診結果を記録できる「被爆二世健康手帳」を自主制作し、検診に訪れる被爆二世に配布した。手帳を配布する際に、多くの被爆二世の悩みや要求を聞くことができた。そこで、被爆二世の要求をもとに、県や国に対し要請行動を行った。
また、米原子力空母エンタープライズやカールビンソンの佐世保寄港を阻止するデモや三里塚軍事空港反対闘争に立ち上がった。とりわけ三里塚二期決戦では、成田用水決戦を皮切りに9・16三里塚第一公園からの機動隊との激突戦、10・20三里塚十字路戦闘、東峰団結会館を守り抜くための東峰死守戦と木の根育苗ハウス死守戦、そして組織壊滅型の弾圧としての封印破棄弾圧に至る過程で、侵略反革命と闘う被爆二世の会の同志は獄中闘争や精神病者解放闘争に立ち上がった。この反帝政治闘争を闘いきった上で、地域の中で被爆者運動の歴史と地平を学び、そこから、被爆者(二世・三世)を組織化する闘いに入っていく。そして、被爆者の解放の基軸ともいうべき「反戦・反核・反原発・被爆者(二世・三世)の国家補償に基づく援護の実現」という路線を確立していった。
▼2 日米両帝国主義の核支配に抗して
帝国主義国の中で、核兵器を実際に使用したのは米帝だけであり、これを被爆二世として絶対に許さない。
現在、世界には未だに二万三千発の核兵器が存在し、核兵器保有国は更に増え続けようとしている。アメリカ軍は、湾岸戦争やイラク戦争、アフガニスタン戦争でも放射線被害を与える「劣化」ウラン弾を使用している。また、オバマ政権は二〇一〇年九月と十二月、二〇一一年二月には未臨界核実験を、二〇一〇年十一月と二〇一一年三月、七〜九月には新しい核実験(Zマシン)を行っている。われわれ被爆二世の会は、米帝オバマ政権に対して全ての核実験を止めるように抗議文を送付した。
被爆者(二世・三世)は、NPT(核不拡散条約)体制にもとづく核兵器の削減を求めているのではない。世界中から核兵器を廃棄させるためには、まず、八月六日広島、八月九日長崎へ原爆を投下した米帝こそが、真っ先に核兵器を全廃することを求めていかなければならない。広島・長崎への原爆投下は人道上許すことのできない戦争犯罪である。米帝に、被爆者(二世・三世)に対する謝罪を要求する。そして、世界中の核兵器の九割を保有している米帝とロシアにこそ、核兵器廃絶(一つの核兵器も持たないこと)の先頭に立つことを求める。核兵器廃絶の運動の先頭に、私たち被爆者(二世・三世)は立ち続ける。
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●4 被爆二世(三世)に国家補償にもとづく援護を実現する問題
被爆二世とは、両親又はどちらかが被爆者で一九四六年六月一日(広島被爆)か六月四日(長崎被爆)以降に生まれた人のことを言う。一九九四年に成立した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の附帯決議には「被爆者とその子及び孫に対する影響についての調査・研究及びその対策について十分配慮し、二世の健康診断については、継続して行なうとともに、その置かれている立場を理解して一層充実を図ること」とあるが、被爆二世に対し国が行っているのは年一回の健康診断(単年度措置)のみ。しかも各自治体にまかせているため、自治体によっては二世が健診を希望しても「予算の都合」という理由で健診ができなくなる場合がある。その上、この健康診断には被爆二世の最大の不安要素であるガン検診は含まれていない。被爆三世については健康診断すら行われていない。
被爆二世の全国組織としてある全国被爆二世団体連絡協議会では、「原爆被爆二世の援護を求める署名」を集めている。これまで三十七万筆集めて厚生労働省に手渡した。要求項目は「『被爆者援護法』を、国家補償と被爆二世への適用を明記した『被爆者援護法』に改正すること。@被爆二世健康診断にガン検診を加え、充実させること。A健診の結果に応じた医療措置をおこなうこと。B被爆二世の実態調査を行い、被爆二世へ『被爆二世健康手帳』を発行すること。併せて希望する被爆三世の健康診断の開始も強く求める」というものだ。
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●V 被爆者差別と闘うために
▼1 原爆被爆者に対する差別
被爆者の中には、被爆六十六年を経た現在、ようやく被爆者健康手帳の申請に踏み切る被爆者がいる。それは、「子どもが結婚するまでは」「孫が産まれるまでは」と被爆者だと名乗るのをためらっていた被爆者たちだ。被爆者には社会的差別がある。被爆者が結婚をするとき、広島、長崎の出身というだけで断られたという話をよく聞く。
この差別は被爆二世に対してもある。被爆二世の会へ電話やメールで来る相談は「私の父は被爆者だ。結婚相手の親から遺伝的影響がないかを調べろと言われた。調べてくれる機関はあるのか?」「夫が被爆二世と知らずに結婚し、今、妊娠している。子どもを生んでも大丈夫だろうか?」「被爆二世の会に入りたいが家族には被爆二世であることを隠している。郵便物は被爆二世の会からのものとわからないようにしてほしい」などである。被爆二世のAさんは「子どもが生まれたとき障害があった。夫が『お前の親父が被爆者だからだ』と言った事が忘れられない」と言って泣いた。
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