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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130612-00000000-sundaym-pol
サンデー毎日 6月12日(水)17時0分配信
◇岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
『毎日新聞』の読者欄で、横浜市の六十三歳の女性が怒っていた。
〈橋下徹大阪市長は自分の考えのどの部分が批判されたのか、振り返る行為が一切なく、「部分的に報道されたので真意が伝わらなかった」などと自分以外のところに批判の原因をもっていっているのです。……〉
作家の曽野綾子さんはコラム〈透明な歳月の光〉(六月五日付『産経新聞』)で、
〈橋下市長のいわゆる「慰安婦発言」で、世間がこんなに騒いだのは、多分橋下氏の政治家としての資質に危惧を抱いたからなのである〉
と書いている。どちらのご意見にも賛成だ。橋下さんは致命的な失敗をした。同じ流儀、つまり騒動を起こして人気をわしづかみにする手法で名誉挽回をはかるのは、もはや無理だろう。
ただ、政治家としての資質に危惧を抱いたのは今回がはじめてではない。早い段階から相当多くの人たちが、橋下さんのまるでサーカス芸のような意表をつく言動の数々に幻惑されながらも、
「まさか、こんな人がリーダーに……」
と、懐疑の目を向けていたのは確かである。しかし、堺屋太一さんのような長老有識者らまで、信長だ、秀吉だ、と持ち上げるから、いずれ日本の統治者の座に、と思った人も、特に大阪中心にいるかもしれない。
橋下さんを、
「首相にしたい」
と公言したのは石原慎太郎日本維新の会共同代表だけだろう。ほかにもいるに違いないが、実力政治家では石原さん一人だ。ともに第三党(衆院)の党首をつとめているのだから、首相擁立を口にしても別におかしくない。
しかし、文学者としての石原さんの人物鑑識眼には本当にそう映るのか、いまも疑問に感じている。あるいは、文学者だから、私たち凡人と別のメガネがあるのか、とも思うが。
ところで、橋下さんは自らの得意技で墓穴を掘ることになった。致命的な失敗、と書いたのは、マスコミ対処法である。リーダーとマスコミの間柄は、友好的でも敵対的でも構わない。それぞれ筋が通っていればいい。しかし、一歩踏み誤れば、大けがをする。それほどの緊張関係と思ってもらっていい。
「新聞は偏向しているから大嫌いだ」
と言い放ったのは、末期の佐藤栄作首相である。だが、偏向ではなく、批判だった。佐藤さんの目には批判されることが偏向と映った。政権末期はボロが次々に出る。当時、私もシコシコと佐藤批判記事を書いた一人である。
批判の背後には読者つまり大衆の空気が躍動している。それをハダに感じながら書く。しかし、佐藤さんは大衆が見えず、目の前の新聞社と記者が偏向しているから、と憎悪した。長期政権を支えてきた首席秘書官の楠田実さんは、
「画龍点睛を欠いた」
と天を仰いだが、あとのまつりだった。権力者の無残な末路である。橋下さんも佐藤パターンに入っている。
◇生ぬるい『朝日』の反論 新聞人の怒り感じない
橋下さんは誤報でないものを、愚かというべきか、無謀というべきか〈誤報〉と決めつけた。偏向でないものを偏向と断じた佐藤さんに似ている。誤報問題を少し検証してみよう─。
問題の橋下発言は次のとおりで、五月十三日の囲み取材で出た。
「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」
これを紙面化するに当たって、『朝日新聞』の十三日付夕刊は、
〈橋下氏「慰安婦、必要だった」〉
の見出しで報じ、翌十四日朝刊の見出しは、
〈「慰安婦は必要」波紋 橋下氏発言〉
となっている。他紙も大同小異だった。
私は五十五年間も記者稼業に携わり、毎日各紙の見出しとにらめっこしながら暮らしてきたが、今回の『朝日』の二本の見出しはパーフェクトである。ほかに付けようがないと言って差しつかえない。
ところが、橋下さんは、
「十四日の『朝日』の見出しは、『慰安婦制度必要』で出していた。『僕が』なのか、『当時』なのかを省いて『必要』とやれば、それは誤報だと僕は思います」
と見当違いの決めつけ方をした。弁護士らしくもない非論理の理屈である。
もとの発言で、
「必要なのは誰だってわかる」
と言っているのだ。〈誰だって〉のなかに橋下さんが含まれるのは言うまでもない。だが〈僕は〉と特定していないから、見出しもそうしなかっただけである。〈当時〉については、発言を読めばわかることで、見出しとは無縁。
要するに橋下さんは、
「『必要』と思っている人の主語をはずすと、いかにも『僕が』思っているように誤解されるので、誤報だ」
と言いたいらしいのだ。そんな身勝手な話は聞いたことがない。一体、橋下さんは慰安婦制度が必要だったと思っているのか、いないのか、改めて問いたい。もし思っていないのなら最初の発言が明らかに言葉足らずで、錯誤は橋下さん側にある。思っているなら〈誤報〉呼ばわりは大ミスだ。
その後も橋下さんは〈誤報〉を繰り返し、五月二十八日になると、
「僕は誤報だと感じているが、(報道機関との)認識の違いだから仕方ない」
とトーンダウンしたそうだ。感じ方とか認識の違いでは断じてない。誤報か誤報でないか、どちらかの厳粛な話だ。名指しされた『朝日』はマスコミ界の名誉にかけて、橋下さんに〈誤報〉発言の撤回をびしっと求めるべきである。相手の出方によっては法的手段を講じればいい。二十九日付の『朝日』大阪社会部長の反論も読んだが、生ぬるい。新聞人としての怒りが感じられない。
<今週のひと言>
執筆以外は終日、ベッドのうえ。
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