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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130612-00000003-pseven-soci
週刊ポスト 2013年6月21日号
朝日新聞の6月4日付夕刊に、あれっと思わせる記事が掲載された。
「幸せのカギ 脱成長にあり」という見出しの仏の経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ氏のインタビュー記事だ。
「経済成長は、結果的に大多数の人を決して豊かにしない。人の生存を脅かす貧困や飢餓は、経済成長こそが生み出す」──という同氏の言葉は傾聴に値するが、だとすればこれまで朝日がアベノミクスに賭けていた成長への期待と夢は一体どこに消えたのだろうか。大メディアの中で最も積極的に安倍政権の経済成長路線を後押ししてきたのは朝日だ。
今年1月、経済社説担当の駒野剛・専門記者(元論説委員)が社説余滴のコラムで、「安倍さん、やってみなはれ」とこう書いた。
〈手をこまねいていたら、少子高齢化が進み、経済の衰退を座視することになりかねない。今こそ政治の出番だ。アベノミクスは大いに試す価値があると思う。「人生はとどのつまり賭けや。やってみなはれ」。サントリー創業者の鳥井信治郎が、危険な新事業に乗り出す時の言葉を思い出す〉(1月17日付)
それを機に同紙は社をあげてアベノミクス礼賛記事を書きまくった。2月には株価が上がると朝刊1面で、「急伸、アベ相場 岩戸景気に次ぐ12週連続の株価上昇」(2月2日付)と打ち、「金融 止まらぬ株高に興奮」と煽った。
デパートで貴金属や美術品の売り上げが増えると、「百貨店にもアベノミクス効果? 4カ月ぶり高額品好調」(2月20日付)、スーパーで花見用の商品が売れ、景気の先行きを占う印刷用紙の出荷が前年より増えたといっては、「アベノミクスで景気上向き? スーパー売上高、印刷用紙出荷量がプラス」(4月23日)の見出しを掲げた。
「景気は気から」という。3月のスーパーの売り上げ増は、実際のところ前年より気温が高くて春物衣料が売れたからだし、花見の人出が増えたのも開花ピーク時の休日が1日多かっただけの話。それでも“何が売れても安倍首相のおかげ”にした方が消費マインドは良くなると考えたのだろう。
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幸せのカギ 脱成長にあり 仏のラトゥーシュ氏に聞く
http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201306040462.html
セルジュ・ラトゥーシュ=家老芳美撮影
【高久潤】アベノミクスで経済成長への期待が膨らむなか、成長に「否(ノン)」を突きつけているのが〈脱成長〉の必要性を説き続ける仏の経済哲学者のセルジュ・ラトゥーシュ氏だ。成長の何が問題なのか? 来日を機に聞いた。
〈脱成長〉という概念は、経済の規模を徐々に小さくすることで消費を抑制。本当に必要なものだけを消費することで、真の幸せにつなげていこうという考えだ。著作は欧州を中心に読まれ、日本で5月に刊行された『〈脱成長〉は、世界を変えられるか?』(作品社)は6カ国で翻訳されている。
「経済成長は、結果的に大多数の人を決して豊かにしない。人の生存を脅かす貧困や飢餓は、経済成長こそが生み出す」
念頭には、長年にわたって現地調査をしてきたアフリカやアジアの村落共同体の生活があるという。例えば、貧困や飢餓の多くは、歴史的に見ると、異常気象を原因とする食料不足が原因ではなかった。商品作物の生産など偏った開発によって、生活基盤が破壊され、共同体内部の分かち合いの精神が失われるなど、「経済成長を目的とした開発自体が原因でした」。
こうした「成長」の問題点は先進国にもあてはまるというのが、持論だ。「私たちの想像力は今や完全に『経済成長』によって植民地化されてしまい、社会の問題は成長によって解決されると信じ込んでいる。長期的に考えれば資源は枯渇し、環境は破壊されることは明白にもかかわらずだ」
バブル崩壊後の低成長時代を「失われた20年」と呼ぶ日本では、成長なき社会を「豊かな社会」と捉える人は少ない。この20年間で貧困や労働問題は、深刻化したと考える論者がほとんどだ。「日本の例が示しているのは、経済成長至上主義の社会のままで低成長になると、人が生きていくのに厳しい社会になるということ。結局、経済だけでは問題は解決しない」
では、どうすれば? そこで説くのが、社会の基本的な単位を小さくした「ローカル化」戦略だ。実際、欧州危機後、ギリシャやスペイン、イタリアなどではスローライフのコミュニティーづくりの動きに拍車がかかっているという。
「『環境にやさしい』運動というと、先進国の裕福な人たちによる、お金のかかる運動と思われがちだが違う。短期的な経済成長に右往左往しないでよい社会をつくっていくことを意味している」
成長の追求がもたらす弊害は、20世紀後半から何度も議論されてきた。1970年代には各国有識者らが集ったローマクラブが「成長限界」を説き、経済成長優先主義を代替する社会のあり方を数多くの論者が指摘してきた。「もはや、私たちは問題を『知らない』のではない。ある哲学者の言葉を借りれば『知っていることを信じようとしない』のです」
〈脱成長〉が必要と思ったら、まず何をすればよいのか? 「もちろん、運動をする、選挙の投票先を変えるなどいろいろあるが……」と言った後、「まずは、洗浄便座付きのトイレを使うのをやめなさい。あの水を出すための電気だけでも日本全体なら相当なものです」。
「安倍首相は『日本を取り戻す』と言っていると聞く。それは経済成長するということではなくて、『もったいない』精神を持ち、生態系と共存する、古きよき日本を取り戻すという意味でないといけないのですが」
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1940年生まれ。パリ南大学名誉教授。専門は南北問題と経済哲学。
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