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日本の政党の一大変化と大規模な抗議デモ
カレル・ヴァン・ウォルフレン
(2012年7月3日)
(本稿はカレル・ヴァン・ウォルフレンの英語版ウェブサイトwww.karelvanwolferen.comに掲載された文章を和訳したものである)
表面的に見れば、これはきわめて単純な出来事にすぎない。つまり日本でもっとも重要であり、最強であると同時に、世間の批判も多いひとりの日本の政治家が、またしても重大なことをやってのけた、ということだ。状況がみずからの意図とは異なる方向へ進んでいるために、彼は与党・民主党を離脱した。それによって政界は揺るがされ、恐らく同党は分裂にいたるだろう、と思われる。日本のマスコミは早速、やはり「壊し屋」だとおきまりの非難を浴びせた。そしてそれに調子を合わせるように、これまで何度も行なわれた世論調査では、国民が彼にうんざりしていることは明らかなのだから、彼の命運も今度こそ尽きるだろうとの、政治評論家たちのコメントも併せて紹介されていた。
この政治家の最新の動きを伝えるほぼすべての海外紙の論調は、過去数十年と同様(フルタイムで東京に駐在する特派員の数がかつてに比べれば激減した事実を心に留めておいてほしい)、日本の有力紙の報道をなぞらえるようなものでしかなかった。金融面を重視した海外紙の報道には、野田佳彦首相のリーダーとしての資質を称賛する、日本在住のアナリストのコメントが引用されていた。言うまでもないが、政治家・小沢一郎が今回の行動に出たのは、野田首相が消費税率を倍に引き上げるための増税法案を国会で成立させようとしたためだった。
コメントは、あつかいにくい小沢が党からいなくなった方がずっといい、そうすれば原子力発電所を再稼動させるためのプログラムを押し通し、アメリカ政府の要求に応え続けることができる、と説いていた。ちなみに後半部分に関してははっきりと公言されることはあまりないが、それでもこうした意味合いを含んでいることはだれもがよく理解している。そのためおもて向きは、財政再建という責任を果たそうとする側を、ある政治家が自分のエゴからそれを妨害している、という対立の構造があらわれたのであった。
これにかぎらず、日本の人々は表面的な現象を真に受けないよう、警戒してかかる必要がある。なぜなら物事の根底に目を向けるとき、そこでまったく異なる闘いが繰り広げられていることに気づかされるからである。しかしそうする人々がほとんどいないのは、残念である。なぜなら水面下に目を向けることで、民主主義の発展という歴史のなかで、もっとも興味深いサーガ(注 英雄伝説)の最新の一幕が明らかになるわけで、政治意識の高い、はば広い観客もその事実に気づくに違いないからである。しかもそれは日本国内の命運ばかりでなく、この国の世界における役割にも重大な影響を与える。実のところこれは、優秀ではあっても現体制の維持以外には考えられない狡猾な官僚と、抜本的な政治改革の必要性という、日本では幅広く支持された見解を持ち、なおかつ実行しようとする政治家グループとの、熾烈な闘争の物語である。そしていまやそのような政治家グループは消滅しかかっている。
抜本的な改革は望ましいばかりか実行可能でもあると、多くの人々が認識するにいたったのは1993年、小沢がほかのリーダーとともに与党・自民党を離れたときであった。1955年以来、政権党の座にあった自民党だが、政権を握っていたとはいえ、日本が置かれた状況からもわかるように、同党が実際に統治を行なっていたわけではなかった。そして当時、日本のシステムにそなわるこの欠陥が世間の注目を集め、中心的な課題として議論されるようになり、大勢の編集者たちもこうした流れを支持し、有力紙も連載記事を掲載した。彼らは総じて、政治家は有権者の期待に応えるべきである、と論じていた。そして有権者たちの期待に応えるとは、つまりは国民の代表者として、国内外の情勢の変化に適応できるような政策を考えることであった。生産力の拡大をひたすら追い求めるというのが、それまでの日本の経済政策であった。ところが内外の状況が変化してなお、同じ政策を踏襲し続けたために、さまざまな問題が生じるようになっていた。この年、幸福感さえも漂わせた、こうした政治的気運はおよそ九カ月余り続いた。それが消えたとき、改革を志す政治家グループはさまざまに派生した政党にとどまる一方、それら政党は合併、再合併を繰り返しながら、やがて小沢の率いる民主党へと集約されていった。
これまで小沢がらつ腕の政治家であり、傑出した戦略家であり、なおかつ他のいかなる政治家にも増して、彼自身の言葉を借りれば、日本を「普通の国」にするために必要な、より広く、またいっそうの想像力に満ちた見識をそなえた人物であることについては、ほとんど異論がなかった。日本を「普通の国」にすべきであると、彼は自著のなかでも説いている。2009年の選挙で、小沢はすぐれた手腕を遺憾なく発揮した。第二次世界大戦後の事実上の一党支配体制の打倒をめざした、真の意味では初の闘いで、彼は新しい政党を圧倒的な勝利へとみちびいた。
ここで日本の政治家たちが突きつけられ、小沢が今回の動きを通じてあらためて政治家たちに知らしめた、重要な選択とはなんであるかをわかりやすく説明するため、梯子と舵取りについて考えてもらうことが役立つかもしれない。ほぼ半世紀にわたって無敵の「与党」であった自民党は、1960年代の後半には梯子と化していた。当時、私は日本にいた。自民党の幹部政治家たちのなかには、政策にはっきりとした形で影響をおよぼす人々もいたが、日本経済が奇跡の成長を遂げるにいたって、彼らが介入する必要もなくなると、その重要性も失われた。ただし梯子と化した自民党に所属すれば、政治家たちは高い地位に上り詰めることができた。梯子を上り、副大臣や大臣、そして総理大臣になれば、そしてそうした地位にとどまり続ければ、それにまつわるあらゆる快適さと名声を手に入れることができた。しかも実際の政策決定をする必要はなかった。キャリア官僚たちがうまく取りはからってくれるはずだったからだ。
つまり日本の政策と言っても、小さな行政上の決定にゆだねていたにすぎず、事実上、この国は自動操縦状態に保たれてきた、ということだ。自動操縦を行なうのは官僚である。そしてその官僚は機構組織にそなわった記憶と称すべき、彼らが分かち合うと同時に、彼ら自身にも強固に植えつけられたものの恩恵に浴している(あるいはのろわれている)。
つまり真の意味で日本の方向性を変えようとする純粋な政治決定が行なわれたことは、これまでほとんどないということだ。省庁間で大きな意見の食い違いが生じた場合に、仲介役を務める以外に、日本の舵取りをしようなどという意欲を持った自民党の政治家などひとりもいなかった。ただし例外はふたりいる。そのなかでもっとも重要な人物は田中角栄である。彼はいま述べたような奇妙な統治機構のなかに、みずからの権力システムを築き上げた。そして小沢はこの田中のもっとも優秀な教え子と見なされている。特にキャリア官僚の言いなりになることなく彼らと協力することができ、選挙戦で配下の政治家たちを勝利にみちびくといった小沢の手腕は、田中譲りだと言えよう。しかし田中が奇跡の経済成長という路線に沿った(しばしば無駄な)インフラ建設などの政策推進のために、舵取りを行なったのとは違い、小沢が目指したのは、それよりもさらに必要な政治決定を行ない、それを実行するための内閣中心のシステムを構築することにほかならなかった。
日本の有権者たちが、政治の舵取り機能を創出しようとの民主党のマニフェストに、強く賛同したことは明らかだった。それによって同党は2009年の選挙戦で自民党に勝ち、半世紀におよんだ一党支配体制を終わらせたからである
しかし当然のことながら、キャリア官僚たちはこの新政党が既得権を脅かそうとしている、と感じた。そして現体制に対する最大にして、唯一の脅威こそが、小沢であると彼らは見抜いた。日本の政界の巨頭・小沢は、ずっと以前から「人物破壊」キャンペーンの標的となってきた。しかも彼を社会的に抹殺しようともくろむこのキャンペーンは、先進国ではほかに例を見ないほど長期にわたって繰り広げられてきた。このキャンペーンを生き永らえさせてきたのは、日本の大新聞である。政治的な現実を創造することに関して、日本では有力紙の役割は、私が知るかぎり、他のいかなる資本主義諸国にも増して大きい。たとえば、日本ではたびたびスキャンダルが起きるが、その目的は、野心的すぎると睨まれた政治家(あるいはビジネスマン)たちに、身の程をわきまえろと思い知らせることにある。
この種のスキャンダルを仕掛けるにあたって、検察庁の役人たちは通常、新聞の編集者たちに、自分たちがある個人に対して行動を起こすことを警告してやる。2009年の春、彼らはそれをやった。容疑をでっち上げ(検察官に裁量の余地を与えるため、わざと条文の表現が曖昧にされている政治資金規正法違反とされた)、その夏の選挙に民主党が勝ったとしても、小沢が新政権の最初の首相になれないよう手を打ったのである。
鳩山由紀夫が率いる民主党最初の内閣は、同党に反対する大新聞や検察官、この政権党を妨害しようとする省庁に包囲されてしまった。きわめつけは、日本がいっそう政治的に独立することなどになんら関心のない、アメリカ政府が邪魔立てしたことであった。鳩山内閣退陣後には、すでに財務官僚の言いなりになっていた人物が首相となり、小沢を裏切った。小沢は主流から脇へと追いやられ、一時的に民主党員資格を停止された。野田現首相が、東日本大震災での原子力発電所事故後の状況を引き継いだ時点で、民主党ははっきりした形で分裂していた。すなわちかつての自民党がそうだったように、民主党を高く、快適な地位に上り詰めるための梯子代わりにする党員たちと、党結成のかなめである政治的舵取り機能の確立という所期の目標をなおも見失わない党員たち、という具合である。
野田は民主党を梯子代わりにする側の典型である。元官僚につながりのある政治家養成塾が生み出した、さしたる特色もないテクノクラートである彼は、同党の暫定的なリーダーに選ばれた時点ですでに、財務官僚の教えにしたがおうとしていた。緊縮財政こそが重要であるとのイデオロギーに濃厚に影響された財務省は、消費税率を二倍に引き上げたいと長い間、望んできた。しかし小沢は、それでは民主党の有権者に対する公約に違反するのみならず、2011年3月の大地震と津波による壊滅的な被害から立ち直っておらず、デフレ傾向にある日本経済が、もっとも避けるべきは増税だと考えていた。
増税を主張する根拠は政府負債が莫大だから、というものだ。たしかに憂慮すべき問題ではあるが、だからといって大幅な増税が必要なわけではない。まして現在のような経済状況では、どうあっても増税を正当化することはできない。しかも日本政府はいわば自分に金を借りているようなものである。それなのに役人たちは、あたかもギリシャに降りかかった悲惨な出来事が日本にも起きるかのように言い募る。さらにメディアがそれに輪をかけて騒ぎ立て、国民を惑わせるさまは、間違っているとしか言いようがない。ところが断固として増税を主張してやまない財務官僚の一群は(それに反対する一群もいる)、この法案を成立させるには、ロボットのように操りやすい野田が首相在任中のいましかない、と考えているらしい。
小沢と決定的に対立してまで、野田が官僚たちの意向に屈するにいたったことには、この問題に関して不動の姿勢を示すことで、強いリーダーとして歴史に名をとどめるべきだとの側近たちのアドバイスが影響しているらしい。
しかしそのような判断は裏目に出ることだろう。民主党を離れた50人ほどの人々、そして恐らくは不満を抱く政治家たちによって絶えず生まれる新しい政治分派も加わって、新党を結成するのではないかとされる小沢は、野田にとって差し迫った脅威ではなさそうである。また民主党はいまなおかろうじて衆議院で過半数を保っている。
しかし現実には多くのことが起きている。何十万という日本の人々は、先週、原子力発電所の再稼動に反対して、首相官邸前でデモを行なった。沖縄を別にすれば、これは大衆行動としては、最近では最大規模である。日本のメディアは大規模な抗議行動に関心を振り向けないことで、いつも政治不安を抑制してきた。しかしNHKもこのデモについて放映しないわけにはいかなかった。それ以前には、いくつかの週刊誌が小沢に対して人物破壊キャンペーンが行なわれていると報じたため、このもくろみにそなわる影響力も弱まっている。国民はさらなる被害が出かねない原発再稼動と同様に、消費税率の引き上げなどほとんど支持しておらず、そのため野田政権の評判は急激に落ち込んでいる。それとは逆に、これらの政策に関して、小沢は国民と同じ側に立っているのである。
最近、私は数人の日本人ジャーナリストたちから興味深い質問を受けた。それは他国では、政治的なバランスをくつがえすには、どれほど大規模な、目に見える形での抗議行動が必要なのだろうか、というものだった。福島第一原子力発電所の事故という恐怖はいまなお鮮明で、しかも自分たちはその真実を知らされなかったと国民は感じ、小沢は民主党を離脱し、それに加えてメディアがもはや無視できないほどの大掛かりなデモが行なわれるようになったいまの日本で、政党をめぐる混乱がいかなる結末にいたるのかは、1993年当時と同様、予測不可能である。(訳・井上実)
http://www.wolferen.jp/index.php?h=3&s=12&t=2
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