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■[暴政]フクシマ無視の原発再稼働、TPPなど痛みへの想像力(三方よし&滅公奉私の心)が欠け「偽ケインズ主義の典型(バカノミックス)」と化すアベノミクス(7/n)
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<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130606
因みに、アナクロな安倍・自民党政権が執拗に取り戻しを謀る「大日本帝国憲法」(その根幹にあるのが『ビスマルクの議会欠陥説』(=いわゆる“決められない政治状況”が生まれるのは議会の欠陥に因るとする主張)に基づく国民主権の否定、それに代わる天皇大権の措定)と「ドイツ・プロイセン帝国憲法」の関係を、明治維新期の伊藤博文らによるプロイセン王国(その国王ヴィルヘルム1世がプロイセン・ドイツ第二帝国皇帝)訪問(1882年)という歴史関係史の側面から概観すると以下のようになる。
<注記>統一ドイツの盟主として、プロイセン国王ヴィルヘルム1世は、1871年にヴェルサイユ宮殿で即位し、統一ドイツ皇帝となっている。なお、ビスマルク(Bismarck-Schönhausen/1815 – 1898)は、強硬保守派でドイツ統一の立役者であり、鉄血宰相の異名を取った人物で、プロイセン宰相、ドイツ帝国宰相を兼務し19世紀後半のヨーロッパにビスマルク体制を構築。ドイツ問題でプロイセンが有利に立つためナショナリズムを煽り軍制改革を訴える鉄血演説を行った(『安倍・自民党が憧れる?ビスマルクの画像』は、http://urx.nu/4dff より転載)。
それに先立つ1850年(プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世、宰相サヴィニーのとき)に、王権に対する「授権規範性」が意図的に排除され、「ゲルマンの純血と民族・伝統精神」への憧れと「神聖ローマ帝国の栄光」の復権という二つの根本原理をアウフヘーベンした「新しいプロイセン・ナショナリズムの熱気」(ナチズムへ向かう予兆のような空気)が仕込まれる形で「プロイセン(王国)憲法」(欽定憲法)が制定されている。
この「プロイセン憲法」の大きな特徴は次の3点(★)にあるが、やがて、この独特の「プロイセン憲法に潜むナチズムへ向かう予兆のような空気」が、当時のプロイセンを訪ねた伊藤博文らを介して「大日本帝国憲法」のなかに流れ込むことになる。因みに、下記の三項(★)の中で<国王(皇帝)>を<天皇>に読み替えれば、そのままで「大日本帝国憲法」の根本理念となることにも驚かされるはずだ。
★国王(皇帝)の権力は神の恩寵によって授与されたもの(神権政治としての最高権力)と規定されている。
<注記>これを補強するのが既述の『ビスマルクによる議会欠陥説』なる妄想。つまり、いわゆる“二院制のネジレなどで決められない政治状況が生まれる”のは議会制度の欠陥だとする主張。安倍・自民党政権が執拗に改憲(大日本帝国憲法への回帰)を目論み、主要マスメディアが必死にコレを後押しするのも、彼らがシッカリこの時代錯誤のビスマルク的妄想に嵌っているためと考えられる。また、この『欠陥説』に対峙したのが一木喜徳郎・美濃部達吉の『天皇機関説』(国家法人説)である(関連参照 ⇒ http://urx.nu/4cIe )。
★立法権は国王(皇帝)と両議院(衆議院・貴族院)が共同でつくるものである。(見かけだけの外見(形)的立憲君主制)
★しかし、行政権は国王(皇帝)のみにあり、国王(皇帝)は法案の拒否権を持つ。また、国王(皇帝)は緊急勅令を出すことができ、大臣を任免する大権を持つ(国王(皇帝)の権力はすべての政治的権力の頂点にある)。
ともかくも、1882年(明治15)に伊藤博文らは、「大日本帝国憲法」(1889年公布)起草の参考とするべく、憲法事情及び西欧各国の諸制度(軍制、法制、官僚制、機密事務を扱う官房など)の調査を目的に、ある意味でこのように異様な「外見(形)的立憲君主制」に対する翼賛の空気が満ちた時代のプロイセン王国を訪ねたのであった。
ところで、「滅公奉私」とは、「近・現代立憲民主主義」(現代のドイツ連邦共和国、平和憲法(日本国憲法)下の日本国など)の中では当然視される理念(権力が上から与える公共に国民が仕えるのではなく、連帯的な国民・市民の横の繋がりが創造する公共へこそ各国民・市民が奉仕すべきであるという考え方)である。
ところが、今や、安倍・自民党政権が目指すのはそれとは全く逆のベクトルである。それは、「奉公滅私」という、まさに時代に逆行する超アナクロニズム(しかも、それを苛烈なグローバリズム時代の生き残り策の要諦だと、アカデミズム(御用学者ら)を総動員し彼らに強弁させる悪辣さ!)であることにも驚かされる。
・・・当内容(2−2)は、更に、以下(8/n)へ続く・・・
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