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歴史認識問題で世代間抗争が勃発か、戦後史の否定が自虐史観か戦後史の肯定が自虐史観か (Shimarnyのブログ) 
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/805.html
投稿者 笑坊 日時 2013 年 6 月 05 日 22:42:49: EaaOcpw/cGfrA
 

http://ameblo.jp/shimarny/entry-11545652584.html
2013-06-05 21:28:53NEW !  Shimarnyのブログ

歴史認識問題について、神戸女学院大学名誉教授で著名ブロガーの内田樹氏の6月3日のブログ記事「歴史記述について」が様々な方面で物議を醸している。


[6月3日 内田樹の研究室]歴史記述について
http://blog.tatsuru.com/2013/06/03_1138.php

歴史研究者協議会というところから講演依頼があり、「国民の歴史」について話すことにした。レジュメの提出を求められたので、こんなことを書いた。実際には字数の制約があって、もっと短いのだが、ブログ用に少し書き足した。歴史認識問題というものが存在する。平たく言えば、歴史の認識が「国ごと」に違っているということである。最近では日中・日韓・日米の「歴史認識」の違いが外交関係をぎくしゃくさせている。あらゆる国民国家は自国の起源を有史以前の遠い過去に遡らせようとし、未来永劫に存在し続けるものとして表象する。平成25年は皇紀2673年であるから建国は紀元前660年。隣国の壇君朝鮮はもっと早くて紀元前2333年の建国という話になっている。同じく、どの国も永遠に存続するという前提を採用している。中央銀行が発行する紙幣の価値を担保するのは「未来永劫に続く国家」だけだからである。どこの国も、自分の国の歴史的ふるまいの正しさを過大評価し、誤謬や非行は過小評価するか、そもそも「なかったこと」にする。たぶん人々はそれぞれの国が勝手な歴史を書くことを当然の権利だと思っているのだろう。けれども、国民国家ごとに歴史認識が異なるというのは、一定の歴史的条件が整ったために生まれた一過性の現象であり、それゆえそれ自体が歴史学の研究対象であるべきだと私は思っている。

近代国民国家が制度的に認知されたのは1648年、ウェストファリア条約においてである。このときから国土を持ち、国民がおり、常備軍と官僚層を備え、固有の言語、宗教、生活習慣、食文化などをもつ国民国家というものが基本的な政治単位に登録された。誕生の日付が存在する制度であるから、いずれ賞味期限が切れる。そして今、私たちは国民国家という政治制度そのものの「終わりの始まり」に立ち合っている。「世界のフラット化」を志向するグローバル資本主義がその障害となる国民国家を空洞化する方向に踏み出したからである。国民国家がその存立条件としているすべてのもの−国境線・固有の言語・固有の貨幣・固有の度量衡・固有の商習慣など−は資本・商品・人間・情報のボーダーレスな移動を求めるグローバル資本主義にとって単なる「障壁」以外のものではない。多国籍産業やヘッジファンドは国境を開放し、ビジネスランゲージも決済通貨も度量衡も統一することを求めている。企業が短期的に巨大な収益を上げ、CEOや株主たちが個人資産を最大化する上で端的に「国民国家は邪魔になった」ということである。

私たちの国でも、このグローバル化に即応した「歴史の書き換え」が進行している。「慰安婦問題」や「南京事件」について日本を免罪しようとする「自虐史観論者」たちの語る歴史がそれである。彼らが「慰安婦制度に軍部は関与していない」とか「南京事件などというものは存在しなかった」ということをかまびすしく言い立てるのは、その主張が国際的に認知される見通しがあるからではない。全く逆である。日本以外のどこでも「そんな話」は誰も相手にしないということを証明するために語り続けているのである。彼らが言いたいのは、「自分たちが語る歴史だけが真実だ」ということではなく、それよりもさらに次数が一つ上の命題、すなわち「あらゆる国の歴史家たちは『自分たちが語る歴史だけが真実だ』と主張する権利がある」ということである。彼らは自分たちが語っている自国史のコンテンツについての同意を求めているのではなく、「誰もが自己都合に合わせて、好きなように自国史を書く権利をもつ」ことにについての同意を求めているのである。あらゆる国家は歴史を自己都合に合わせて捏造する。だから、およそこの世に、国際社会に共有できるような歴史認識などというものは存在し得ない。「国民の歴史」は原理的にすべて嘘である。だから、誰もが歴史については嘘を語る権利がある。これが自虐史観論者たちが(たぶんそれと知らずに)主張していることである。誰もが嘘をついている。だから私も嘘をつく権利がある。そして、公正にも万人に「嘘をつく権利」を認める。彼らはそう考えているのである。

この論法は「慰安婦制度」について、どの国にも似たような制度があると言い募った大阪市長のそれと同じである。誰もが自己利益のために行動している。私はそれを咎めない。だから、諸君も私を咎めるな。この命題は一見すると「フェア」なものに見えるが、遂行的には「持続的・汎通的な正否の判定基準はこの世に存在しない」という道徳的シニスムに帰着する。それは要するに「とりあえず今勝っているもの、今強者であるものが言うことがルールであり、私たちはそれに従うしかない」という事大主義である。同じことが歴史記述においても起きようとしている。誰もが嘘をついている。私もついているが、お前たちもついている。だから、誰もその嘘を咎める権利はない。このシニスムが深く浸透すれば、いずれあらゆる「国民の歴史」を、自国の歴史でさえ、誰も信じない日がやってくる。彼らがめざしているのは、そのことなのである。

「国民の歴史」とはどこの国のものも嘘で塗り固められたデマゴギーにすぎないという判断が常識になるとき、人はもう誰も歴史を学ぶことも、歴史から学ぶこともしなくなる。そのとき国民国家は終わる。国民国家は「国民の歴史=国民の物語」を滋養にしてしか生きられない制度だからである。そして、それが滋養として有効であるためには、どのようなかたちであれ、「他者からの承認」が要る。他者からの承認を持たない物語、「その『歴史=物語』を信じるものが自国民以外にひとりもいないような『歴史=物語』」を服用しているだけでは、国は生き延びることはできない。だが、今起きているのは、まさにそういうことである。ウェストファリアシステムが有効だった時代に、人々はそれぞれ自己都合に合わせて「勝手な歴史」を書きながらも、複数の矛盾する記述がいつか包括的な歴史記述のうちに統合されて、各国の自国史がその中の「限定的に妥当するローカルな真実」になることを夢見ていた。だが、グローバル化の時代には、もう誰も「包括的な歴史記述」を夢見ることはない。もうそんなものは必要がないからだ。もう国民国家を存続させる必要がないからだ。


これに対して、端的に分析と反論したのが、慰安婦問題で強制連行を否定して、南京事件で規模数を否定する経済学者で著名ブロガーの池田信夫氏である。

おそらく、内田氏の歴史認識問題についての主張は「事実と言えるもの、事実と言えないもの」「可能性が高いもの、可能性が低いもの」「想定できるもの、想定できないもの」の区別ができていないのであろう。

池田氏が、内田氏の記事で決定的な間違いとなる3箇所を抜粋すれば下記となる。


[6月3日 池田信夫Blog]内田樹氏の語る「自虐史観」(3つの間違いを抜粋)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51859969.html

第一に自虐史観とは「自国の歴史の負の部分をことさら強調する歴史観」を保守派の人々が批判するときに使う言葉であり、内田氏はその意味を真逆に取り違えている。
第二に「慰安婦制度に軍部は関与していない」などと主張する人は、どこにもいない。政府見解でも、軍が慰安所の設置などに関与したことは認めている。たぶん内田氏は、関与と強制連行の区別もつかないのだろう。
第三に「南京事件は存在しなかった」と主張している人もいない。南京で軍民の殺害事件があったことは歴史的事実である。問題はその規模を中国が「30万人」というのは、当時の南京市の人口が25万人だったことから考えてもありえない、という人々がいるだけだ。


つまり、「自虐史観」の意味を真逆に取り違えていること、「慰安婦問題」の意味を勘違いしていること、「南京事件」の意味を勘違いしていることである。

本当に「自虐史観論者」との誰もがわかる初歩的な言葉の間違いをするだろうか。
常識的に考えれば大学の名誉教授がブログ記事で言葉の勘違いなどしないだろう。

おそらく、内田氏からすればこの記事内で使用する言葉の意味は正しいのである。

そして、この記事から「自虐史観」の意味を誤認したと考えている池田氏を含めて多くの読者全てが「自虐史観」の意味を誤認していると映るのだろう。

この観点から分析すれば、内田氏による「自虐史観」の認識は、現在の歴史が自虐史観でなく自虐史観以外の歴史観全てが自虐史観と見なしているのである。

つまり、現在の歴史を否定しようとする橋下共同代表は自虐史観論者なのだろう。
マクロで見れば「全共闘世代VS団塊ジュニア世代」のイデオロギー対決に映る。

おそらく、全共闘世代で現在の歴史が自虐史観と認識する割合が過半数を割れ、団塊ジュニア世代で現在の歴史が自虐史観と認識する割合が過半数を得ている。

このことから、各世代において現在の歴史が自虐史観であるという認識が多数派を占めるかどうかによって、現在の歴史の肯定が自虐史観となるか、現在の歴史の否定が自虐史観となるかが決まるということなのだろう。

ここまでは、内田氏の記事をどうにか解釈できるのだが、全く理解できないのが、外交関係をぎくしゃくさせる歴史認識問題の本質への認識である。

歴史認識問題の本質とは、戦後からどのような歴史を積み重ねてきたのかである。
この積み重ねる間に日中・日韓・日米の間でどのような変貌を遂げたのかである。

この4カ国で違うのは、戦勝国が米国であり、敗戦国が日本であり、非交戦国が中国と韓国であるという立場から歴史を積み重ねてきたということである。

おそらく、内田氏は4カ国が違う立場で歴史を歩んだという認識が無く、4カ国が平等に歴史に向き合ったかの如く認識しているから齟齬が生まれるのである。

日本の置かれた立場と米国と中国と韓国の置かれた立場が違う認識が必要である。

内田氏は「どこの国も、自分の国の歴史的ふるまいの正しさを過大評価し、誤謬や非行は過小評価するか、そもそも「なかったこと」にする」と認識している。

それでは、現状の「慰安婦問題」と「南京事件」で何処の国の歴史的ふるまいの正しさを過大評価して、何処の国の誤謬や非行を過小評価しているだろう。

これらを含めて歴史認識問題となっているのは全て先の大戦に関する歴史である。

先の大戦に関する歴史は、日本は敗戦国ということから全ての主張を却下されて、敗戦国以外の戦勝国と非交戦国に言われるがまま受諾しているではないのか。

つまり、先の大戦に関する日本の歴史は、東京裁判と同じく「戦勝国+非交戦国=正義」「敗戦国=悪」との認定を受けて歴史が記述されているのである。

この結果、先の大戦に関する歴史において戦勝国と非交戦国は各々が歴史を過大評価して誤謬や非行を過小評価しているのだが、敗戦国で唯一日本だけが過小評価された先の大戦に関する歴史を受け入れているのである。

そして、戦勝国と非交戦国が先の大戦に関する歴史を過大評価すればするほど、日本にしわ寄せが及び先の大戦に関する歴史が過小評価されていくのである。

そして、戦後70年近くに亘って戦勝国と非交戦国の先の大戦に関する歴史の書き換えが進んだ結果、余りにも事実に基づかない事態に発展したのである。

それが、「慰安婦問題」で20万人という虚構数字と「南京事件」で30万人という虚構数字を始めとする、歴史の過大評価どころか歴史の捏造の数々である。

内田氏の主張では、日中・日韓・日米の「歴史認識」の違いで外交関係がぎくしゃくした理由を、現状の日本の歴史の書き換えが発端かの如く聞こえる。

しかし、一連の問題は、中国や韓国や米国など戦勝国と非交戦国の70年近くも過大評価してきた歴史と、日本の過小評価のままの歴史が衝突したからである。

その中でも、非交戦国でありながら戦勝国と歴史を捏造してきた中国と韓国と、捏造の歴史まで受け入れることを拒否する日本が激突したことが原因となる。

一方で、戦勝国の米国も日本に中国と韓国の捏造の歴史を拒否されれば、米国を正義とする日本の自虐史観まで変更されかねないことから日本と対峙となる。

この米国についての分析は、「株式日記と経済展望」さんが簡潔にまとめている。


[6月5日 株式日記と経済展望](記事終盤を抜粋)
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/cc8cf1b347648d8ae6ee3080ad825714?fm=rss

日米は同盟国でありながら、東京裁判史観で日本を従属化させておかなければならない。だから「河野談話」や「村山談話」を否定する事は許さない。しかし橋下大阪市長や河村名古屋市長などが独自の歴史観を述べるようになりアメリカ政府はいらだっている。市長の首を飛ばしたところで国政は牽制できないから、国民レベルで東京裁判史観が覆されればアメリカとしてもどうすることも出来ないだろう。アメリカはそれを恐れている。

東京では毎月のように日の丸デモが起きるようになりましたが、ニューヨークタイムズを始めとして日本批判を強めている。日本国民はネットの言論を起点として行動を起こし始めた。橋下大阪市長の発言は大きな反響を呼びましたが、米中韓に対する思想戦、言論戦の反撃は始まったばかりであり、アメリカ軍の軍事基地が日本国内から無くなるまで続けられる。でなければアメリカによる日本の植民地支配が終わらないからだ。


重要なことは、ネットメディアを通じた朝日新聞と毎日新聞の大手紙による自虐報道と反日報道、捏造報道と人種差別報道の排除と、日本の自虐史観からの脱却を目指した米中韓に対する思想戦、言論戦の反撃である。

どうも内田氏は、橋下共同代表を批判したいがために、歴史認識問題とグローバル化を絡めて「歴史の無効化」から危機感を煽ろうとしているように感じる。

しかし、橋下共同代表は新自由主義であるが保守主義でなく認識が間違っている。
先の衆院選の結果、日本の政治は「新自由主義」VS「保守主義」の対決である。

橋下共同代表の大阪市における教育政策は間違っていたのだろうが、イデオロギーで新自由主義も保守主義も無差別で否定していては時代遅れも甚だしい。

だから、団塊の世代前後をまとめて全共闘世代とのレッテルを貼られるのである。

おそらく、内田氏には戦後史が正義と認識して歩んだ人生があるのだろう。ある意味、韓国が捏造した韓国史を正義と認識して歩んできた結果、国家を崩壊させる韓国史の変更など絶対にできない理由と同じなのかもしれない。

戦前を否定できたからと言って、戦後史が全て正義であるとは限らないのである。
戦後史は自虐史観であるという認識の下で過去の事実を検証していくべきである。


   

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コメント
 
01. 2013年6月05日 23:07:21 : W18zBTaIM6
>問題はその規模を中国が「30万人」というのは、当時の南京市の人口が25万人だったことから考えてもありえない、という人々がいるだけだ。


この低能は歴史学の常識も知らないのか(呆れ)


【ロンドン21日共同】一九三七年十二月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から六十五年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民三十万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを二十一日までに共同通信が入手した。                 
 犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで三十万人とするが、日本では数千人―二十万人など諸説ある。電報では、犠牲者「三十万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。  
  
 電報は三八年一月十六日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(五四年死去)。                   
 電報のコピーは同記者の他の電報記事や、検閲を英上海総領事に通報した一月二十一日付書簡のコピーなどとともに英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。

「三十万人以上虐殺」情報の出所は「有能な外国人観察者の調査」と記されている。   

                    
 今年十月四日付のガーディアン紙が電報の一部を報道。当時、日本当局が国際非難に備えるよう警告するため、在外公館にティンパリー記者の電報内容を伝えた際に「長江デルタで」の部分が脱落、以後誤って引用され続けた、との見方を示していた。
      
 同記者は三八年夏、ロンドンで「戦争とはなにか」を出版。同書の邦訳「外国人の見た日本軍の暴行」(評伝社)では、この電報を下敷きにしたとみられる記述で、

長江デルタで「戦闘によって少なくとも三十万人の中国人が犠牲となった」と書かれている。 

12/21 18:03 英紙記者電報の要旨  外信65


 【ロンドン21日共同】英紙マンチェスター・ガーディアンのティンパリー記者が書いた一九三八年一月十六日付の電報記事の要旨は次の通り。                        
 一、日本軍が南京などで犯した残虐行為について、信頼できる目撃者の証言、信頼性に疑いのない人々からの手紙など説得力ある証拠の裏付けがある。                     
 一、有能な外国人観察者の調査によると、長江(揚子江)デルタで市民三十万人以上が虐殺された。
              
 一、上海でも逆上した日本軍兵士が続けざまに事件を起こすため、善良な日本人たちは深く恥じ入っている。十六日付のノースチャイナ・デーリーニュース紙(上海英字紙)は、女性と酒にありつけなかった日本人兵士が六十歳以上の中国人女性三人を射殺し、数人を負傷させたと報じた。                   
(了)  021221 1803              
[2002-12-21-18:03]
12/21 17:25 南京大虐殺とは  外信56

 南京大虐殺 日中戦争時に当時の中国国民政府の首都、南京を占領した際、旧日本軍が1937年11月から翌38年2月にかけ、中国軍兵士に加えて多くの民間人を巻き添えにして殺傷、女性暴行、略奪を行った事件。                    
 旧日本軍は長江(揚子江)沿岸一帯を占拠しながら包囲網を狭め、12月13日に南京を陥落させた。国民政府は重慶に首都を移し、抗戦した。                        
 犠牲者数については、なお国内外で論争が続いており、中国側は南京だけで30万人と主張、日本では数千人から20万人までさまざまな説がある。(共同)                  
http://www.asyura2.com/2003/bd22/msg/154.html


02. 2013年6月05日 23:07:28 : KQUwVZuUbg
単なる阿呆の詭弁。実際詭弁にもならない。

本文中にあるように限られた仲間内以外に誰も相手にしない文。


03. 2013年6月05日 23:09:06 : 7oSKGju5kA
他人様が自虐史観だと気になるのは在る種の不安神経症で、
自身の深層に形成された「『自虐史観』観」の循環から始まる病理なのだな。
だから循環を断ち切ればこの罹患者自身の自虐史観は収まる。
程度にもよるが自身で断ち切れる場合もあれば、重度の場合他者の助力が必要な場合もあるだろうかと思う。
しかし社会に害を成す程度の場合は措置入院が必要な場合もあるだろうか。
措置入院の間に合わなかった人が最近幾人か逮捕された様だ。

04. 2013年6月05日 23:37:45 : HOrwdCelHI
>その中でも、非交戦国でありながら戦勝国と歴史を捏造してきた中国と韓国と、捏造の歴史まで受け入れることを拒否する日本が激突したことが原因となる。

まさに、そのとおり同意します。
内田氏の論は、いつもの明快さとキレがないとも見受けておりました。

>一方で、戦勝国の米国も日本に中国と韓国の捏造の歴史を拒否されれば、米国を正義とする日本の自虐史観まで変更されかねないことから日本と対峙となる。

日本の政治家が橋本発言に対して腰が引けているのは、単に選挙がらみで女性の反発を避けたいだけではなく、自虐史観、すなわち反省し続ける日本を期待する米国から危険視されることを恐れる、いわば政治家の本能がそうさせているとも。


05. 2013年6月06日 07:19:51 : plsk27d8TE
マルクス史観で思考する学者は
弁証法的帰結により歴史の真実は一つと
決めつける傾向にあるように思う
真実を求めて話し合えば分かり合える
という、書生論だ
歴史史観やそれに伴う問題は
実際には、刑事裁判より
民事紛争なのだ
隣との土地争いでも裁判所に調停しても
納得できなけれは殺し合いだ
しかし、少しでもお互い様の関係があれば
不満はもっていても表面は笑顔だ
それが外交というものだ
ネウヨのオタクがなにを言おうが
ニコニコ笑顔で握手するのが
大人の政治家というものだ
見識のないお子ちゃま政治家は
日本の品位をおとす
お前のことだ下痢ゾウ

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