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2013/06/04 06:25 日々雑感
年金会計が年々肥大するため支給開始年齢を引き下げようとする動きがあるという。年金会計ほど場当たり的な、実にいい加減な会計はない。なぜ20年後まで完全予測できる人口動態を年金会計に反映させないのだろうか。
人口動態は当年度の出生数を除いて、それ以降の人口ピラミッドはほとんど完全予測可能だ。今年生まれた人数は僅かな減損数を除いてそのまま20年後の新成人となり、更に経験的な減損数を乗じて65年後の年金支給開始人口となる。
そうした予測可能な年金会計の大枠が年々改定するというのはなぜだろうか。それほど厚労省官僚は場当たり的な会計運用をしているということなのだろうか。
IT専門学校の生徒なら簡単に必要財源を今後20年間分をプログラムして弾き出すだろう。それが膨大な国家予算を投じた厚労省の年金会計予測プログラムでチッキリと数字を把握していないはずはない。官僚たちは現行の制度をそのまま適用した場合の今後20年間の年金会計の出と入りの数字を国民の前に開示すべきだ。
なぜなら65歳支給開始と68歳支給開始とでは雲泥の差だからだ。60歳を過ぎて体面を汚されず社会で働き続けるというのはかなりの我慢を強いられるものだ。
まず自身の生物としての機能低下による障害に見舞われる。視力に関して老眼などは可愛いもので、飛蚊症に悩まされている人は意外と多い。注意力が散漫になるのは老化からではなく、障害による場合が多いと思わなければならない。
聴覚でも若い頃のようにはいかない。向田邦子女史の作品の一場面ではないが年を取るとジージーと地虫が耳元で鳴り続けるようになる。年と共に耳が聞こえなくなる、というのは聴覚の衰えだけではなく、耳鳴りにより聞くべき音波が遮蔽されるからでもある。
他にも腰痛の悪化や内臓機能の低下など、老化の現れ方は個人差も大きいが、確実に個々人に顕在化してくる。
かつて定年は55歳だった。それほど遥か昔のことではない。ほんの30ほど前まで日本社会では当たり前のことだった。それが政府の掛け声で60歳まで延長されて定着すると、今度は65歳定年だという。いい加減年寄りを半ば強制的に働かす年齢の引き上げをやめてはどうだろうか。
そうした支給開始年齢の引き上げよりも、年金制度の社会保障たる所以にこそ着目し、暮らせない国民年金を何とかすべきではないだろうか。そして高級公務員の最後の天下りになっている共済年金を引き下げて一元化し、すべての老人に対する一律支給へと移行すべきではないだろうか。
社会保障とは「負担は応能で支給は一律」というのが大原則だ。かつて民主党の最低保障年金制度を評して、当時の谷垣自民党総裁は「まるで社会主義のようだ」と批判したことがあった。しかし社会保障とは社会主義の産物だ。資本主義を突き詰めると弱肉強食の飛んでもない社会になることを、そうした19世紀の英国社会で暮らしたマルクスが「資本論」を書いて資本主義を批判した。
新自由主義を唱える人たちは世紀を超えた周回遅れの資本主義を唱えているに過ぎない。様々な規制がすべて悪いというのは的外れで、規制とは行き過ぎた自由主義経済が弱肉強食の極端な社会を出現しかねないことに対する抑制策でもある。それを勝手に作り上げて官僚たちの利権構造の維持装置に改編したモノをなくすのなら反対しないが。
つまり社会保障とは社会主義の産物だという出発点を忘れてはならないことを強調しなければならない。現役時代なら低所得者も努力により高額所得者になれる可能性があるが、老後の年金は固定的で格差は死ぬまで続くことを忘れてはならない。この苛烈なまでの年金世代の格差の現実をなぜ問題視して議論しようとしないのだろうか。垂直的な支給開始年齢の引き上げは「支給スルスル」国家的詐欺に近付くことだが、水平的な平等性を考慮することは年金の社会保障の機能として少しも年金制度の精神に悖らないはずだ。
関連ニュース
年金支給開始67、68歳も課題 国民会議 (06/03 23:11)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/659562/
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