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http://mainichi.jp/opinion/news/20130603ddm003070129000c.html
毎日新聞 2013年06月03日 東京朝刊
先週、永田町を歩いて印象に残ったのは自民党幹部のこの一言である。
「最近の官邸との関係を見てますと、今の自民党はもう、ほとんどオール『ポチ』状態ですから」
ポチは犬の名前だ。今ははやらないが、明治時代に多かった。明治の唱歌「はなさかじじい」は〓裏の畑でポチが鳴くウ……で始まる。正直じいさんに金銀小判をもたらした犬だが、現代日本語では、権力者に媚(こ)びる者を揶揄(やゆ)する蔑称として用いられる。
経験豊かな幹部が、いまや自民党全体が「ポチ」化した、つまり、高支持率が続く安倍晋三首相(58)には逆らわないゴマスリ集団に成り下がった−−と嘆いているわけである。
なるほど、かつての自民党には、改憲派もいれば護憲派(そう言って悪ければ戦略的改憲先延ばし派)もいた。上げ潮派(経済成長重視、増税反対)がいれば財政規律派(増税賛成)もいた。いただけでなく、互いに激しく論争した。それが今では改憲先行一色、アベノミクス批判はご法度という単調さである。
そんな折も折、6月2日付の「しんぶん赤旗」日曜版に古賀誠・元自民党幹事長(72)のインタビューが出た。見出しは「96条改憲に大反対」だった。
古賀の反戦平和志向と安倍嫌いは知る人ぞ知る。ライバル企業同士の仰天合併に事欠かぬ当節、与党の元幹部が野党の機関紙の座敷を借りたくらいで驚いてもいられないが、反共産主義の保守同盟という自民党の原点を顧みれば、これはやはり事件だろう。
この出来事は、自民党反主流派が、もはや党内には発信の拠点を持ち得ない現実と呼応している。
共産主義といえば、毛沢東に警句がある。「もし党内に矛盾と矛盾を解決するための思想闘争とが存在しなければ、党の成長もまた止まってしまう」(岩波文庫「矛盾論」42ページ)
闘争は共産党の専売特許ではない。党運営の戒めはイデオロギーを超え、自民党にも当てはまる。
自民党内にも意見の違いはある。アベノミクスと改憲への懐疑は存在する。しかし、闘争はない。
安倍政権は小泉政権と似ている。旧弊一掃を誓うトップの人気と規制緩和政策が看板である点で。
さはさりながら、両政権には見過ごせない違いがある。小泉時代の自民党には強力な抵抗勢力が存在したが、安倍政権下の自民党にはポチしかいない。
抵抗勢力とは、言い換えれば、単純構造改革路線に対する批判勢力だ。古賀の他、野中広務(87)、青木幹雄(78)ら旧派閥の大物議員が代表格だが、この面々は昨年の総選挙までに引退してしまった。
6月は、首相直属の「経済財政諮問会議」が「骨太の方針」(経済財政運営と構造改革の基本方針)をまとめる季節である。
この仕組みは小泉政権下で生まれた。小泉時代、この季節は、諮問会議メンバーの財界人や首相自身の大胆提言が飛び交い、それに族議員と中央官庁が激しく反発して連日、大報道が繰り広げられた。これが「小泉劇場」である。
一方、「安倍劇場」はどうか。このドラマには悪役が登場しない。主役に勢いはあるが、脇役陣の厚みに欠ける。自民党の政策調整をめぐる最近の話題は、参院選公約パンフレットの目次の入れ替えや編集・配布スケジュールの混乱をめぐる内紛でしかない。
人気者首相に付き従うだけの「ポチ」化は、高支持率の自民党の深い危機ではなかろうか。(敬称略)
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