http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/679.html
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「京都では大規模空襲は無かったが、駅前にはパチンコ屋がある」
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/330.html#c3
との反論があったので、京都駅前の朝鮮人の歴史を調べてみました。
「東九条は、JR京都駅の南、鴨川より西に位置し、京都で在日朝鮮人がもっとも多く住んでいるところです。ここに朝鮮人が住むようになったのは、1920年代、当時国鉄の東海道線の工事や、東山トンネル工事、鴨川の護岸工事、九条通りの拡幅工事などの大規模な土木工事や、京都の地場産業のひとつである友禅染め関係の染色工場が多くあり、その末端の仕事に従事する者が多かったからです。東九条の朝鮮人人口が著しく増えたのは、解放直後(1945年8月)八条通り一帯(現在のJR新幹線京都駅八条口)に登場した大闇市の頃です。祖国に帰るまで一時的に京都駅に立ち寄った一世も多くいました。また、小さな改札口が一つしかない京都駅南口は、大勢のオモニたちの「闇米」買い出しで、いつも混雑していました。
九条ネギの畑が大きく広がり、南へ行くと中・小の染色工場が点在する地域でした。ここでの同胞の花形産業は、古紙・古着・古鉄などを回収して売りさばく「寄せ屋」で、その親方は多くの子方「バタヤ」を低賃金で雇っていました。当時、東九条の人口は約3万人余、そのうち朝鮮人は約1万人住んでいました。しかし高度経済成長の終わりとともにこれらの産業は廃れ、20代〜40代の若い世代の多くは地域を離れ、一世を中心とする高齢者家族が残っていきました。劣悪な居住環境は、一度火が出ると大火災となり、多くの人命が失われました。また、鴨川と高瀬川に挟まれた松ノ木町40番地(現:東松ノ木町)は、国・行政から「不法住宅」と呼ばれ、長い間放置され続けてきました。
東九条は朝鮮人だけの街ではありません。若い頃、職を求めて農村からやってきた人や、被差別地域からさまざまな理由で移り住んできた人々も多くいます。また、公営住宅には障害者も多く住んでいます。いわば地域全体が、行政から見放された被差別地域として存在していました・・・・」
戦前から朝鮮人、被差別部落民が集まり、「東九条の朝鮮人人口が著しく増えたのは、解放直後(1945年8月)八条通り一帯(現在のJR新幹線京都駅八条口)に登場した大闇市の頃」。
何故か、戦後になって在日朝鮮人の数が増加してるんですね。
「大阪DEEP案内」を見て思うが、一般人はあまり近づきたくなかったと思う。
■東九条マダン公式ページ
http://www.h-madang.com/%E6%9D%B1%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%BF
■【京都市】京都リアルパッチギ「東九条」(3)トンク市営住宅(大阪DEEP案内)
http://osakadeep.info/2010/01/06/113446.html
京都最大のコリアタウン「トンク」こと東九条。戦前から朝鮮半島から労働者がこの地に渡ってきた歴史的経緯で、この周辺の街を歩くと至る所に焼肉屋やホルモン屋が目立つ。
おおよそ京都駅の目と鼻の先とは思えない光景が広がるパラレルワールドを引き続き散策する。
東九条地区のあちこちには市営住宅が目立つ。隣接する崇仁地区と同様、独特の歴史的経緯があってのことだが街並みは総じて寂れている。団地の前には「犬のふさすな」と飼い主への警告文。やはりちょっと日本語が不自由のようだ。
時折見かける政党ポスターは共産党か社民党か、もしくは9条ネットである。
マイノリティが置かれてきた環境から生まれたのは過激な階級闘争史観であり、貧困と差別に打ち勝つ為の運動のはずがいつの間にか手段が目的に変わってしまった系のプロ市民運動家が必ず居たりするので厄介だ。だからこそ関西ではいつまでも問題が解決されていない訳だが。
市営住宅以外の人家はこうした古いアパートくらいしかない。そこも同様に生活感のない寂しい姿を晒している。
こういう場所にこそ不法投棄は後を絶たない。テレビが4台立て続けに捨てられている。捨てる側もこの界隈に廃品回収業者が多い事を知ってやっているのだろうか。
他には在日コリアン系の高齢者・障害者福祉団体の事務所がある。マイノリティと人権のふるさとは今や総じて福祉の街だ。
子供一人として遊んでいない寂しい公園のトイレには「夜中に戸をたたく様な近所の方に迷惑のかかる行為は、やめて下さい」とある。夜中はさぞかしカオスなサファリパークと化すのであろうか。
公園の向かいには「希望の家」と書かれた福祉施設のような建物がある。京都市営のようだが、どうしても釜ヶ崎あたりにあるキリスト教系のボランティア施設のそれを連想してしまう。
東九条の街のあちこちでは、現在も虫食いのように空き地が広がっている箇所がある。それらはいずれ市営住宅として整備される予定になっている事が多い。
ここに何か洒落たショッピングモールでも出来ると京都駅から客が流れてきてすぐにでも雰囲気は変わるような気がしなくもないが、やはりそれはやらないのである。
一転して駅前に行くと観光客でごった返しているだけに、このギャップの極端さが異様だ。
河原町通に出ると、その両側にもキムチ屋や焼肉屋が並んでいる。そのまま京都駅まで歩くと、やはり目立つのはパチンコ屋や韓国系の店が多い。まだまだ探索しがいのある東九条のDEEP下町ゾーンだが、あまりに広い。今回はこのへんで撤収である。
◆<日韓歴史認識の相違>何故、駅前の一等地は皆パチンコ屋なのか?<証人イ・プンジョさん 女性 87歳>
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/330.html
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