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2013-05-31 21:40:05NEW ! Shimarnyのブログ
従軍慰安婦問題について、自虐報道と反日報道を繰り返す朝日新聞と毎日新聞は事実には一切触れず、橋下共同代表の妄言として片付けようとしている。
この状況で、日本の「慰安婦」が海外で「性奴隷」に変換された根拠となった河野談話で、産経新聞編集委員と著名ジャーナリストがそれぞれの主張をした。
両方とも正誤と批評は別にして、事実に基づいて情報を分析して理論立てている。
事の発端である事実を穿き違えて捏造記事を報道した朝日新聞とは大違いである。
事実から目を背けて自虐報道と反日報道しかできない毎日新聞とは大違いである。
このような千差万別の主張を国民が目にすることで真実と核心に迫れるのである。
慰安婦問題と河野談話の是非は、国内問題として統一見解をまとめるべきである。
[5月30日 産経新聞]「強制ありき」作文談話の罪
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130530/plc13053013270008-n1.htm
ただでさえややこしい慰安婦問題を、さらにこんがらからせたのが元慰安婦に「おわびと反省」を表明した平成5年8月の河野洋平官房長官談話である。日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は27日の日本外国特派員協会での記者会見で、こう強調した。「河野談話は肝心な論点(官憲による強制連行の有無)について曖昧・不明確にしている。19年の政府の閣議決定では『国家の意思としての拉致、人身売買を裏付ける証拠はなかった』という政府見解が出ている。この核心的論点について談話は逃げている」確かに河野談話は非常に分かりにくい。一見「強制連行」を認めたように読めるが、事務方トップとして談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は「政府の意を体して、政府の指揮命令下に強制したと認めたわけじゃない」と断言している。一方で、談話が海外で「日本政府が公式に強制連行を認めたもの」と受け止められたのも事実だ。
ではなぜ、河野談話はそんな奇妙な書きぶりになったのか。結論から言えば当時の宮沢喜一内閣は、韓国を満足させるため「強制」を認めたかったのである。ところが、国内外、関係省庁と「八方手を尽くして調べた」(石原氏)にもかかわらず、その証拠は出てこない。そこでやむなく「強制性」を強くにじませたというのが真相だろう。石原氏をはじめ関係者の証言と談話の作成過程をたどると、そうしたゆがんだ実態が浮かび上がってくる。石原氏は筆者の二度にわたるインタビューに当時の事情を率直に答えている。「できれば文書とか日本側の証言者がほしかったが、見つからない」「韓国側は元慰安婦の名誉回復に相当こだわっていた。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」また、講師を務めた9年4月の自民党会合では、出席者の「真実よりも外交的判断を優先させたのか」との質問に「外交でしょう」と正直に回答している。結局、談話は「強制を認めろ」との再三にわたる韓国側の要求に屈した政治的な「作文」なのである。
さらに、談話作成の準備段階にあたる5年3月23日には、わざわざ「強制」の定義を広げる国会答弁までしている。やはり談話に関与した当時の谷野作太郎内閣外政審議室長は、参院予算委員会でこう述べた。「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む」朝日新聞は3月25日付の「『強制』幅広く認定」「従軍慰安婦調査で政府方針」という見出しの記事で、「精神的苦痛、心理的なものも含めて」という政府首脳の言葉を引用している。当時、政府首脳とは主に官房長官を指した。つまり、河野氏のことである。宮沢内閣ぐるみで何とか韓国のために「強制」を認めようと涙ぐましい努力をした跡がうかがえる。談話は橋下氏の言うように「逃げている」というより、むしろ積極的に「強制」を認定しようと模索したものの、裏付けが弱すぎて踏み込めなかっただけなのだ。これで日韓関係がよくなったのならまだいいが、実際は逆に刺々しさを増すばかり。見識のない政治家が歴史をもてあそび利用すると、後世にどんなに大きな禍根を残すことか。せめて貴重な教訓とせねば救いがない。(政治部編集委員)
これにより明らかになった事実は、談話作成に関わった石原元官房副長官が河野談話が強制連行したと認めたわけではないと否定していることである。
また、強制連行した日本側の証拠が出なかったにもかかわらず外交的判断を優先させた結果、韓国の強制連行を認めろとの要求に屈していることである。
おそらく、宮沢内閣は脆弱だったため外交的に譲歩せざるを得なかったのだろう。
河野談話の前後にあった下記のドタバタ劇は、当時の状況を物語る証拠となろう。
6月18日に内閣不信任案可決で衆議院解散、6月23日に自民党分裂、7月18日に総選挙、7月30日に河野官房長官が自民党総裁就任、8月4日に河野談話発表、8月9日に宮沢内閣総辞職で55年体制崩壊。
この主張には結論が無いが、河野談話を作文談話と認定していることからも、河野談話を明確化するか、新たな談話を作成するかのいずれかであろう。
産経新聞には、これからの慰安婦問題と河野談話の是非で事実報道に期待したい。
[5月31日 BLOGOS]田原総一朗インタビュー(「河野談話について」の回答を抜粋)
http://blogos.com/article/63320/?axis=b:123
河野談話については、一時期、安倍首相も訂正したいと言っていたが、僕は直すべきではないと思う。 たしかに、日本軍が朝鮮半島の女性たちを拉致したり、強制連行した事実はない。朝鮮の若い女性たちを買ったのは朝鮮半島の業者だ。だが、女性たちが自分の意思で身を売ったというのは全くの間違いで、実際は貧困のなかで、親たちがやむをえずにそういう選択をしたのであって、決して女性たちが自主的にやったわけではない。さらに言うと、朝鮮半島の業者たちは「アテがある」から女性を買った。「アテ」とは何かといえば、日本軍だ。もっと言えば、日本軍が朝鮮の業者に頼んだということ。なぜなら、日本軍が、戦場における慰安婦を必要としていたからだ。言ってみれば、日本軍が朝鮮の業者に頼んで、「買わせた」ということだ。
しかも、朝鮮の業者たちが買った慰安婦たちを集めて、軍艦にのせて運んだのは、日本軍だ。また、戦地で女性たちに慰安婦として作業させたのは日本軍であって、日本軍が関わりないとは言えない。関わりはある。日本軍が拉致したり、強制連行した事実がないからといって、「日本軍は関係ない」とは絶対に言えない。おおいに関係がある。むしろ、日本軍の求めを受けて、朝鮮の業者が買ったとみるべきだ。その意味で、河野談話は否定すべきではないと、僕は思う。 橋下さんは「日本だけが批判されるのはおかしい。韓国だってやっているじゃないか」と言っている。たしかに、日本以外の多くの国が戦時に従軍慰安婦的なことをやっていたというのは、事実としてあった。しかし、5月13日の大阪市役所での記者会見で「銃弾が飛び交う戦場で兵士を休息させるために、慰安婦のような制度が必要なのは、誰だってわかる」という発言をしたのは、明らかに言い過ぎだ。 この言い方だと、まるで従軍慰安婦を正当化しているような発言になる。だが、過去にそういう事実があったとしても正当化はできないと、僕は思う。いかに兵士が命をはっている戦場といっても、慰安婦制度というのは、女性を性の道具として扱うわけだから。女性を性の道具として扱うことを正当化するのは間違いだ。その点で、橋下発言は明らかに言い過ぎだし、誤りだったと思う。
田原氏については、この時期に河野談話で踏み込んだ発言をしていることから掲載したのだが、内容は支離滅裂でいつものようにどっちもつかずである。
河野談話は直すべきでないという。しかし、日本軍が強制連行した事実はないという。そして、強制連行したのは朝鮮業者であるという。しかし、日本軍が慰安婦に関わったという。そして、日本軍が慰安婦を要求したという。だから、河野談話は否定すべきではないという。
全く理解ができない言い回しで、結論は決まっているが中身は曖昧のままである。
つまり、日本軍が慰安婦に関与したが強制連行した事実はないと断言しているのに、日本軍が慰安婦を強制連行したことをでっち上げているのである。
つまり、河野談話も作文談話であるが、田原氏の主張も作文主張と言えるだろう。
慰安婦は確実に朝鮮業者によって強制連行されたことは事実なのだろう。そして、日本軍と慰安所との間に金銭授受があったことも事実なのだろう。
しかし、慰安所と慰安婦との金銭授受の関係、慰安所と朝鮮業者との金銭授受の関係が、規定に則って正当に行われていたのかどうかが不明なのである。
しかも、田原氏の主張であれば日本業者で問題になっていない理由も不明である。
これでは、朝鮮業者の仕業でも河野談話を否定するなとなり全く理解不能である。
おそらく、挑戦業者と慰安所の実態を解明すれば、朝鮮業者は違法行為によって慰安婦を慰安所に売り飛ばしていたこと、慰安所は違法行為によって慰安婦を慰安所で労働させていたことが明らかになるのだろう。
そして、当時の朝鮮半島の実態を解明すれば、違法行為を行っていた朝鮮業者に対して朝鮮人で運営していた議会も朝鮮人で運営していた警察も見て見ぬ振りをして罰していなかったことが明らかになるのだろう。
ある意味において従軍慰安婦問題は、日本人が朝鮮人を日本人と同様の倫理観を持っているという錯覚と勘違いにより引き起こされた問題と言えるだろう。
民族で、現在の倫理観と70年前の倫理観が大きく乖離することがあるだろうか。
高々1世代2世代の違いから、倫理観がほとんど変わらないことは明らかだろう。
これを根拠に、現在の様々なデータを集めて日本人と朝鮮人の倫理観を調査すれば、どちらが強制連行したのか、どちらが違法行為したのかは明らかだろう。
慰安婦問題と河野談話では、まず日本人が実現できる可能性を考えるべきだろう。
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