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思うままに 梅原猛 平和憲法について 9条は伝統に沿う
2013.05.27 東京新聞 夕刊 5頁 文化面
改憲論議が盛んであるが、私は、必ずしも政治的意見が一致しない加藤周一氏や井上ひさし氏らとともに「九条の会」の呼びかけ人に名を連ねたほどの頑固な護憲論者である。戦後、日本は憲法九条の下で大きな躍進を遂げ、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になった。その輝かしい時代の政治を司(つかさど)ってきたのは主として自民党であり、私はほぼ自民党を支持し続けてきたが、その自民党が憲法九条を変えるとは、長年の友人に裏切られたような気持ちである。
現在の日本国憲法はアメリカによって作られたものであり、自主憲法を制定するべきであるという論がある。しかし憲法九条には、あの約三百万人の日本国民及び約二千万人のアジア諸国民の命を奪った戦争に対する痛烈な反省と平和への熱い願いが込められているのではなかろうか。
憲法九条は日本の伝統に沿ったものであると私は思う。日本の歴史を見ると、平安時代に約三百五十年、江戸時代に約二百五十年の戦争も内乱もない平和な時代があった。日本が大陸から離れた島国であるせいでもあるが、そのような国家が他にあろうか。戦後約七十年間平和が保たれているが、平和の時代はまだ百年も二百年も続いてほしいと思う。
また日本は、攻めてくる外国との戦いでは、元寇(げんこう)といい日露戦争といい、赫々(かっかく)たる勝利を収めたが、外国に攻めた戦争は敗戦に終わった。白村江の戦い、秀吉の朝鮮出兵、及び満州事変に始まる十五年戦争、ことごとく惨敗であったといえよう。
しかし、外国からの攻撃に対しては万全の備えをするが決して外国を攻撃しない軍隊をもつことこそ日本の名誉ある伝統である。それゆえ、自衛隊こそまさに日本の伝統に沿う軍隊であろう。またそれはカントの「永久平和論」に沿う軍隊でもある。カントの「永久平和論」は国際連合の思想的原理になっているが、国際連合は真に永久平和を実現する機関になっていない。
たしかに現在、東アジアは一触即発の状態にあるかもしれないが、そのような危機も平和憲法の下で解決を図るべきではないか。平和の理想を高く掲げ、内に死を賭して戦う強い軍隊をもつ国には容易に外国が攻めてくるとは思われない。
私は今年、数えで八十九歳になった。私は徴兵を受けて軍隊に入り、戦争というものがいかに残虐なものであるかを身をもって知った最後の世代である。そのような戦争に参加した現在八十九歳以上の人は日本の総人口の0・5%にも満たないらしいが、戦争の惨禍をまったく知らない政治家によって日本が変えられることに、戦中派として強い不安を感じるのである。
おそらくぼけ老人の錯覚であろうが、自信ありげに颯爽(さっそう)と政治を執る人気の高い安倍首相の姿が、かつての近衛首相の姿と重なってみえるのである。(哲学者)
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【関連記事】
梅原猛も「平和憲法擁護」論者である(澤藤統一郎の憲法日記)
http://article9.jp/wordpress/?p=402
本日(5月27日)の東京新聞夕刊文化欄に、梅原猛が「平和憲法について」と題した論稿を寄せている。話題とするに値する。
書き出しはこうなっている。
「改憲論議が盛んであるが、私は、‥『九条の会』の呼びかけ人に名を連ねたほどの頑固な護憲論者である」
ところが、この「頑固な護憲論者」の9条論は戦力の不保持を主張しない。護憲勢力とは見解を異にして、「自衛隊という軍隊」の存在を当然とする。次のように、である。
「外国からの攻撃に対しては万全の備えをするがけっして外国を攻撃しない軍隊を持つことこそ日本の名誉ある伝統である。それゆえ、自衛隊こそまさに日本の伝統に沿う軍隊であろう」
東アジアの一触即発の危機も、平和憲法の下で解決を図るべきではないかとはするのだが、その根拠については次のように語られる。
「平和の理想を高く掲げ、内に死を賭してたたかう強い軍隊をもつ国には容易に外国が攻めてくるとは思われない」
要するに、侵略戦争と自衛戦争とは峻別できることを前提として、平和の維持のためには、自衛力たる強い軍隊が必要だというのである。死を賭してたたかう強い軍隊をもつことによって、他国からの侵略を防止することが可能とまで言うのだ。
梅原は、侵略する他国があり得ることを前提に、自衛のための軍隊が必要だという。が、同時に、その軍隊はけっして外国を攻撃しない、専守防衛に徹するというのだ。梅原流の解釈では、「専守防衛に徹する自衛のための軍事組織」は憲法9条2項に反せず、合憲合法の存在なのである。
その梅原が、「九条の会」呼びかけ人9人のひとりである。梅原こそが、九条の会の幅の広さを示している。梅原の論稿の立場は、我が国の多くの良心的保守派の人々の考えを代表するものと言えるだろう。自衛隊なくして国や国民の安全が守れるだろうか、安保と自衛隊あればこその平和ではないか、というものである。しかし、この人たちは同時に、戦争はご免だ。自衛隊を平和共存のバランスを崩すような強大なものにはしたくない。軍国主義の跋扈もまっぴらだ。そう考えてもいる。このような多くの人々を味方にしなくてはならない。
「九条の会」は国民の多数世論を結集して、9条改憲阻止を目標とする。ならば、専守防衛の自衛力容認論者を味方に付けずして、多数派の形成はあり得ない。9条改憲阻止の課題の焦点は、自衛隊違憲論でも自衛隊解体論でもない。自衛隊縮小論ですらない。9条2項の改憲阻止とは、自衛隊を外国で戦争できる軍隊にしないということなのだ。専守防衛からの逸脱を防ごうということである。
憲法9条2頂の現実の機能は、自衛隊がかろうじて合憲であるためには、専守防衛に徹する組織であることを必須の要件とするところにある。政府見解をして、「自衛のために必要最小限度の実力を保持することを憲法は否定していない」「自衛隊は専守防衛に徹する組織であるから「戦力」にあたらない」と言わしめているのは、9条2頂あればこそなのだ。
憲法9条2頂は、けっして死文化していない。これあればこそ、自衛隊は専守防衛を逸脱して他国で戦争することができない。たとえ、アメリカという大親分の命令でも。
その9条2項は、守るに値する。自衛隊の存在を合憲とする者にとっても、専守防衛でなければならないとするかぎりは。
だから、梅原猛は頑固な9条2項擁護論者であり、「九条の会」の呼びかけ人のひとりであり、貴重な「平和憲法擁護」の同盟の一員なのだ。
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