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日本人の英語力が不十分だという焦りがあるのだろうが、教育再生会議は「小学校英語の教科化」を提言したそうである。そのうちに学習指導要領の改訂となるのだろうが、学習指導要領の改訂によって成果を上げることができるのだろうか。
日本人として基礎となる素養というものがあるだろうから、学習指導要領で一定程度指導内容を統制することは必要であろう。毛沢東語録を世界史のテキストにするなど日本人の指導内容として明らかに不適切である。日本人の伝統的な文化を継承する学習内容というものがあっていいだろう。
ところが現在の学習指導要領がそのようになっているか甚だ疑問である。学習指導要領は教科調査官などの多くは教員上がりの文部官僚によって作られる。彼ら・彼女らは上昇志向の高い人が多い。恐らく伝統に基づく日本人の教養などは眼中にない人が多いだろう。彼ら・彼女らは必死になって自分の仕事で成果を出し、上層部から認められることを願っている。
伝統を継承することを主眼とするなら、学習指導要領はなるべく変更しない方が良い。大きく変更したら親の時代の素養と、子供の時代の素養に違いが出て来ることになり、世代間の教養の断絶を生むことになるかも知れない。そんな面倒なことを言わなくても、親が子供の勉強を見てやれないという事態が発生する。もちろんコンピュータをはじめ技術が大きく変わっていることもあり必要改訂は必要であるが、現実には、親世代の人で学校でコンピュータの勉強は一切教えられなかったからコンピュータを扱えないなどということはない。学校教育では基礎的な学習を重視すべきなのである。
学習指導要領に関わる文部官僚はそうは言って居られない。それだは仕事をしていないことになるとの焦りからか、とにかく学習指導要領いじくることに精を出す。自分の体験から学習内容や指導方法の改訂に情熱を燃やしている文部官僚もいるかも知れない。
しかし、多くは仕事をしたという実績のためにとにかく「改訂」するのである。そのような文部官僚は、教員の研究会などで改訂のネタ探しに余念がない。文部官僚はそれなりの力を持っているから、彼らに取り上げられれ、学習指導要領に反映されでもすればば、一風変わった指導が全国的に拡散することになる。
一時「性教育」が大きく取り上げられたことがある。「性」は人間として重要な事柄に違いないが、
人前でオープンに話す事柄でもない。恐らく「性教育」を模索していた人はその難しい問題の中から有意義な教育を実践していたのだろう。ところがこれが文部官僚によって「この実践は素晴らしいから全国的に展開するのが望ましい」などとされて、広範囲に実践される段階になると、「性」教育が「性器」教育に化けてしまうのである。
小学校の英語教育も同様だろう。英語の教科免許を持っていなくても、英語力の高い小学校の先生方は沢山おられるだろう。そのような方が小学生に効果的な英語の体験・学習を施すことは大変意義のあることだろう。それが文部官僚の目にとまり「外国語活動」として全国展開されているのが現状である。
政治家や文部官僚は、学習指導要領を改訂したり、通知したり命令したりすれば教育活動は動くと誤解しているようだ。指導できる条件があるのか真剣に考えるべきである。一時、英語教員の資質を向上させるといって、英語教員に「TOIC」、「TOEFL」で一定程度以上の点数、あるいは「英検準1級」を求めたことがあったが、その後どうなったのだろう。英語の専科の教師ですらこのような状況である。全ての小学校の教員に英語指導など求めるなど考えられない。
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