http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/438.html
Tweet |
■[日本のアキレス腱]福島第一3.11原発事故に改憲条件緩和の『新構造災』が加わり『ぼったくりバー式低格付国家』の客引きと化すアベノミクス(6/n)
http://www.facebook.com/tadano.oyaji.7#!/photo.php?fbid=384877278296234&set=a.110630322387599.11985.100003218947947&type=1
<注>当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130523
3−4 アメリカとドイツにおける「改憲」の実情、両国とも安倍の如く神憑る「改憲条件の緩和」など行っていない/同じ戦後の歴史時間を歩んできたドイツと日本の「憲法」を巡る根本的違い
また、安倍・自民党政権あるいは橋下・維新らは、しばしば「欧米諸国は、簡単に改憲が何回でも行われてきているので、国家の決められる政治が実現して政治の経営効率が高いのだ」というような、一般国民層から受け易い虚偽のプロパガンダである「市場原理型政治の必要性」を、完膚なきまで御用機関化した主要メディアを介し垂れ流しているが、これは非常に悪質なドグマの刷り込みであり、真っ赤なウソであり、詭弁の塊りの国策詐欺である。まさに、現代日本は「メディアがファシズムをつくる」の実験場と化している。
それは、 “自称・改憲論者”の憲法学者である小林節・慶大教授も指摘されているが、例えば米国での改憲条件は「上下各院の2/3以上の賛成、3/4以上の州議会の承認」となっており、米国はこの非常に厳格でタイトな改憲条件をクリアして、漸く、度重なる「改憲」を実現してきたという現実があるからだ。
小林節氏は、安倍・自民党も本当に「改憲」する気なら、“裏口入学で憲法の根本を破壊する蛮行(改憲条件緩和を謀るようなメディア・プロパガンダを利用した国民騙しの卑怯な小細工)”はやめて、<全ての国民が支持し共有できる建前となる理念・イデオロギーを前提とする、国民が十分納得できる改憲内容>をシッカリ堂々と提示して、いま現在の硬性憲法である日本国憲法のフレームの中で、欧米のように広く、公正に議論したうえで立派な内容へ改憲すべきだと主張している。
また、日本と同じく敗戦国であるドイツでも再軍備実現のためなどで数多くの改憲が行われてきたことが指摘されるが、この言説にも大きな陥穽があるので注意を要する。
それは、ドイツは「改憲条件の緩和」などはせずに、硬性憲法のままの「改憲」で堂々と国民的な議論を交わしてドイツ自衛のための再軍備を実現してきたということがあるからだ。その一方で、ドイツは、憲法(ドイツ連邦共和国基本法)のなかで明快に過去の「侵略戦争」を反省して完璧な「平和主義」に徹している。
他方、日本の安倍政権は、日本の「侵略戦争」について歴史認識をウヤムヤにしつつ「改憲」条件の緩和で硬性憲法の放棄を謀るという、およそ戦争体験を深く反省する態度からはほど遠く、全世界に対して恥を感じないのか、と言いたくなる。
このように完全なイデオロギー(全ての世界市民が共有すべき公正についての実践道徳的次元の倫理的判断のための建前論を提供するという意味での理念)の最重要な役割を無視して、過酷な放射能汚染環境のリスクにもひるまず、ひたすらホンネ(フロイト精神分析風に言えば、天高く隆々と屹立したマッチョな男根ファスケスが暴れまわることを願望する野獣的ホンネ)のモロ出しだけでワン・ギャン・キャン・ウーッ!と吠えまくるのが「決められる政治の舞台」だと主張する安倍、橋下、石原ら日本の擬装極右集団(彼らは決して正統保守ならず!⇒下記<注>)が主張するのは精々でワルガキか、チンピラか、あるいはならず者の喧嘩状態(ファスケスが狂喜・乱舞して荒れ狂うホッブスの自然状態)への先祖返りを謀る非人間的・非人道的な蛮行に過ぎない。
<注記>例えば、『天皇家の伝統精神基盤である伊勢神宮の自然アニミズム』を継承する正統保守の立場であれば、安倍晋三(神社本庁・神道政治連盟国会議員懇談会)らの如く『原発(ウラニウム・放射能)アニミズム』論なる、まことに面妖な詭弁ミソロジーを根拠にして原発推進の必要性などを主張する訳がない。
また、ドイツが日本と根本的に違うのは「人道に対する罪の意識」を戦後のドイツ国民が、国民一人ひとりの分に応じる形でシッカリと共有することに見事に成功し、今もその状態が持続している点である。もちろん、これはドイツでの国際軍事裁判のために連合国側が規定した「平和に対する罪」、「戦争犯罪に対する罪」、「人道に対する罪」のなかの一つである。
しかし、ドイツの場合にはこれが単なる消極的な国民側での受身の意識に終わらず、この三つの罪について、それぞれの国民の分に応じた反省的思索を深めることに成功したということがあり、この点は、ドイツが「脱原発」の決定に成功したことにも関係していると考えられる。同じ敗戦国の日本とドイツの「政治文化と国民意識」の違いが何故にここまで大きく乖離してしまったのか?この論点については又の機会に更に深めたいと思う。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK148掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。