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http://ameblo.jp/shimarny/entry-11539293556.html
2013-05-27 21:05:58NEW ! Shimarnyのブログ
日本の広島と長崎に落ちた原子力爆弾を「神の懲罰であり人間の復讐」と明記して主張しながら、「趣旨と異なるから遺憾の意」だけで許されるだろうか。
この暴論コラムは、中央日報が掲載を許可したから掲載されたことは事実である。
当然ながら日本では、菅官房長官が「誠に不見識。断じて容認できない」、岸田外務大臣が「驚きと憤り感じる」、広島・長崎両市長も批判声明を出された。
これに対して韓国では、申駐日大使が「編集者の意見で韓国人の見解ではない」、韓国外務省が「筆者個人の意見で韓国政府の見解ではない」と対応した。
そして、当事者である中央日報も「コラムは執筆した論説委員の個人的な主張に基づくコラムで、中央日報の立場ではない」と広報を通じて主張した。
しかも、暴論コラムを執筆したキム・ジン論説委員も「趣旨と異なり、日本の原爆犠牲者と遺族を含め、心に傷を負われた方々に遺憾の意を表します」という釈明する文章を掲載するだけで幕引きを図ろうとしている。
このまま日本は、広島と長崎に落ちた原爆を「神の懲罰であり人間の復讐」と主張した暴論コラムの日本語訳だけ削除して、責任者からの謝罪もなく撤回もせずに、執筆者の遺憾の意という釈明だけで許すのだろうか。
これまでの韓国の侮辱発言も、日本の対応が手緩かったために韓国がつけあがり、その後の発言をエスカレートさせた結果をもたらしたのではなかったのか。
日本の天皇陛下に向けて、韓国の国家元首が「日王は韓国に来るならひざまずいて謝罪しろ」との侮辱発言に対して、どのような対応をしただろうか。
参考記事:朝鮮日報が「天皇は膝をついて謝罪すべき」の偏見報道、韓国の李大統領の「日王はひざまずけ」が真実か
http://ameblo.jp/shimarny/entry-11333416117.html
日本の歴史に向けて、韓国の国家元首が「加害者と被害者は千年の歴史が流れても変わらない」との侮辱発言に対して、どのような対応をしただろうか。
参考記事:韓国の朴大統領が千年経ても加害者と被害者の立場は不変、天皇侮辱発言以来の一線越え
http://ameblo.jp/shimarny/entry-11481310138.html
おそらく、今回の中央日報の暴論コラムに対して日本が謝罪も撤回もさせずに終えれば、今後確実に同様の主張をするコラムの掲載が必至であろう。
もし、中央日報が暴論コラムの謝罪も撤回もしないのであれば、少なくとも日本の時事通信ビルに置く日本総局の締め出しくらいのことは必要であろう。
過去の韓国の態度を鑑みれば、日本でどの発言が一線を越えるのか、日本でどの行動が一線を越えるのか、全く理解できていないことは間違いないだろう。
つまり、日本が韓国に教育的指導を行うことでしつけなければならないのである。
謝罪と撤回を知らない国に謝罪と撤回を教え込むには、非情に徹するべきである。
下記コラムが暴論であると韓国国民が認識しないことが、反日教育の結果である。
韓国が国民に反日教育するのであれば、日本が韓国にしつけするしかないだろう。
[5月20日 中央日報日本語版]安倍、丸太の復讐を忘れたか
神は人間の手を借りて人間の悪行を懲罰したりする。最も苛酷な刑罰が大規模空襲だ。歴史には代表的な神の懲罰が2つある。第2次世界大戦が終結に向かった1945年2月、ドイツのドレスデンが火に焼けた。6カ月後に日本の広島と長崎に原子爆弾が落ちた。これらの爆撃は神の懲罰であり人間の復讐だった。ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。特に731部隊の生体実験に動員された丸太の復讐であった。同じ復讐だったが結果は違う。ドイツは精神を変え新しい国に生まれた。だが、日本はまともに変わらずにいる。
2006年に私はポーランドのアウシュビッツ収容所遺跡を訪問したことがある。ここでユダヤ人100万人余りがガス室で処刑された。どれもがぞっとしたが、最も衝撃的な記憶が2つある。ひとつはガス室壁面に残された爪跡だ。毒ガスが広がるとユダヤ人は家族の名前を呼んで死んでいった。苦痛の中で彼らは爪でセメントの壁をかいた。もうひとつは刑罰房だ。やっとひとり程度が横になれる部屋に4〜5人を閉じ込めた。ユダヤ人は互いに顔を見つめながら立ち続け死んでいった。彼らは爪で壁面に字を刻みつけた。最も多い単語が「god」(神)だ。
ナチとヒットラーの悪行が絶頂に達した時、英国と米国はドレスデン空襲を決めた。軍需工場があったがドレスデンは基本的に文化・芸術都市だった。ルネッサンス以後の自由奔放なバロック建築美術が花を咲かせたところだ。3日間に爆撃機5000機が爆弾60万個を投下した。炎と暴風が都市を飲み込んだ。市民は火に焼けた。大人は子ども、子どもはひよこのように縮んだ。合わせて3万5000人が死んだ。満州のハルビンには731部隊の遺跡がある。博物館には生体実験の場面が再現されている。実験対象は丸太と呼ばれた。真空の中でからだがよじれ、細菌注射を打たれて徐々に、縛られたまま爆弾で粉々になり丸太は死んでいった。少なくとも3000人が実験に動員された。中国・ロシア・モンゴル・韓国人だった。
丸太の悲鳴が天に届いたのか。45年8月に原子爆弾の爆風が広島と長崎を襲った。ガス室のユダヤ人のように、丸太のように、刀で頭を切られた南京の中国人のように、日本人も苦痛の中で死んでいった。放射能被爆まで合わせれば20万人余りが死んだ。神の懲罰は国を改造して歴史を変えた。ドレスデン空襲から25年後、西ドイツのブラント首相はポーランドのユダヤ人追悼碑の前でひざまずいた。しとしと雨が降る日だった。その後ドイツの大統領と首相は機会があるたびに謝罪し許しを請うた。過去に対する追跡はいまでも続いている。ドイツ検察は最近アウシュビッツで刑務官を務めた90歳の男性を逮捕した。
ところが日本は違う。ある指導者は侵略の歴史を否定し妄言でアジアの傷をうずかせる。新世代の政治の主役という人が慰安婦は必要なものだと堂々と話す。安倍は笑いながら731という数字が書かれた訓練機に乗った。その数字にどれだけ多くの血と涙があるのか彼はわからないのか。安倍の言動は人類の理性と良心に対する生体実験だ。いまや最初から人類が丸太になってしまった。安倍はいま幻覚に陥ったようだ。円安による好況と一部極右の熱気に目をふさがれ自身と日本が進むべき道を見られずにいる。自身の短い知識で人類の長く深い知性に挑戦することができると勘違いしている。彼の行動は彼の自由だ。だが、神にも自由がある。丸太の寃魂がまだ解けていなかったと、それで日本に対する懲罰が足りないと判断するのも神の自由だろう。キム・ジン論説委員・政治専門記者
この暴論コラムは、どのように曲解しても「ドイツのドレスデン空襲」と「日本の広島と長崎に原爆投下」が「神の懲罰であり人間の復讐」と読める。
しかも、これら2つを「ユダヤ人の復讐」と「アジア人の復讐」とも述べている。
日本とアジアは同義でないのか、空爆と原爆は規模が同じなのか、米国は神の使いなのかなど意味不明な暴論コラムなのであるが、その意図は明快である。
どうしても韓国の歴史を美化するため、無理にでも登場させたい一心なのである。
どれほど故事付けであり論理破綻であるかは、数字的に対比させれば解りやすい。
「ユダヤ人の復讐」と「アジア人の復讐」を比べれば、ユダヤ人の100万人余りに対して空爆によりドイツ人の3万5000人が亡くなり、アジア人3000人に対して原爆により日本人20万人余りが亡くなっている。
「復讐」とは、敵を討つことであり仕返しをすること執筆者も学んでいるだろう。
では、100万人余りに対して3万5000人の死者数は復讐と呼べるだろうか。3000人に対して20万人余りの死者数は復讐と呼べるだろうか。
「ドイツのドレスデン空襲」は復讐と呼ぶには余りに規模が少なすぎ、「日本の広島と長崎に原爆投下」は復讐と呼ぶには余りに規模が多すぎるのである。
もし、この世に神が存在したとしてもこのような無慈悲な懲罰を行うはずが無い。
論理破綻しても「復讐」を持ち出したのは、ドイツが「復讐」によって歴史を変えたからこそユダヤ人追悼碑でひざまずいたと主張したかったからである。
論理破綻しても「ドイツのドレスデン空襲」を持ち出したのは、原爆を「神の懲罰」とするためにドイツの大規模空爆がドレスデン空襲しか無いからである。
論理破綻しても「731部隊の生体実験」を持ち出したのは、戦争に不参加の韓国が犠牲者を出したとされるのが731部隊の生体実験しか無いからである。
つまり、執筆者のキム・ジン論説委員は戦争に不参加の韓国に日本が戦争の責任を取って謝罪と賠償をすべきと主張するために、「神」に縋ったのである。
執筆者は、1910年に大日本帝国の寺内統監と大韓帝国の李首相が韓国併合条約に調印をして、平和的に日韓併合した歴史的な事実を知らないのだろうか。
少なくとも韓国併合において、武力攻撃を行わず、朝鮮人の自主権もあり、朝鮮人に政治的な独立もあることから「侵略」という言葉は該当しないだろう。
つまり、韓国の大手紙の論説委員がこのような認識を持っている事実は、韓国の反日教育が歴史教育より優先されて間違った歴史教育を受けた結果であろう。
これは、これまで日本と韓国が謝罪と賠償で関係を構築した結果と言えるだろう。
何かにつけて日本は韓国に謝罪と賠償を繰り返してきた結果、韓国は日本が謝りさえすればお金を援助してくれるという固定概念が出来上がったのである。
その結果、韓国は日本に謝罪させることしか考えなくなり、日本を悪人に仕立て上げるために韓国の歴史まで捏造するようになってしまったのである。
おそらく日本が悪いと国民を洗脳すれば日本は謝罪するだろうと考えたのだろう。
そして、逆もまた真なりという言葉通り、韓国は日本に1回でも謝罪すればお金を援助してくれなくなると反射的に固定概念が出来上がっているのである。
むしろ、韓国は日本がこれまで行ってきたことと同様に、日本に1回でも謝罪すれば賠償しなければならないとまで反射的に思い込んでいるのかもしれない。
この悪しき伝統を断ち切るため、韓国を一度でも日本に謝罪させるべきであろう。
そのため、日本が韓国に教育的指導を行うことでしつけなければならないだろう。
今回の「原爆が神の懲罰」の暴言コラムについては、執筆者の釈明ではなく、掲載許可を下した中央日報に対して日本政府は謝罪と撤回を求めるべきである。
もし、中央日報が暴論コラムの謝罪も撤回もしないのであれば、日本での活動を停止するために日本の時事通信ビルの日本総局を締め出すべきである。
毎度毎度の其の場凌ぎの対応では、謝罪と賠償という悪しき伝統が断ち切れない。
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