http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/285.html
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■【経済には生活のプロセスが肝要なんだよ、アベちゃん!/安倍ら“擬装ウルトラ・ナショナリスト”の異常観念同時的な結果バカ(原発とあぶくゼニ・バカ)り急ぐ妄想の実相とは?要はガキ大将のアホな喧嘩みたいなものだね〜 w(∩●∩)w 】アベちゃん、日銀の財布へムリヤリ手を突っ込んで異次元の大緩和をゴリ推したのは誰だったの?⇒市場混乱、政権は警戒 首相=日銀(Mr.クロダ)へ対応求める/東京、朝日ほかhttp://urx.nu/47yn via ついっぷる/twipple2013.05.25 09:11
<注記>画像は、http://urx.nu/47yH ほか、より転載。
(関連情報)
・・・以下は、[2013-05-23 ・toxandoriaの日記/福島第一3.11原発事故に改憲条件緩和の『新構造災』が加わり『ぼったくりバー式低格付国家』の客引きと化すアベノミクス、http://urx.nu/47yJ]へのコメント&レスの転載・・・
草枕 2013/05/24 23:23
近代が進行して現代に近づくにつれ、すべては均衡に向かうというおめでたい経済学理論では太刀打ちできない現象や制度が、次から次へと生じてきたと思うんです。
測定不能な量、不完全な情報や歪曲された情報、残忍で野蛮な搾取の形態、法律や制度の変化、さらにはさまざまな社会的、政治的革命、ひと言でいえば危機という名でくくられる破局的現象が起き、均衡理論が経済学の一般的図式としては役に立たないこと、問題は不均衡をいかに制御すかであることが明らかになったと思うんです。
革命家はすでにこのことを主張していたし、学問の世界ではヴェブレンが自然界には尺度も均衡も一切存在しない、と指摘していたと思うんです。
20世紀に入って自然の尺度が崩壊したという認識のもと、再構築には伝統的経済学の均衡状態を回復することを目的とした調整の政治的戦術が伴うことになった。1929年の株式市場の大暴落後、富の生産、再生産、分配という社会的形象の統御と、それに関する知識の科学的な再構築を試みたのがケインズの理論です。
価値に関する自然的尺度がもはや無効だ、あるいは少なくとも、階級闘争の圧力の下では機能しない、とすると、たとえ危機のうちにあっても、政治的イデオロギーや生産者間の関係、および生産部門を考慮に入れつつ、発展に均衡をもたらすような測定機能を構築しなければならないというのがケインズの考えだったと思うんです。
これは政治経済学を、その支えである反動装着から解放する試みであるという点で画期的であったと思います。ですが、1970年代には、ケインズ主義はサミュエルソンによって、新古典派主流の古臭い説教まがいのものに矮小化され、次いでフリードマン率いるシカゴ学派によって徹底的に貶められた。そのさいシカゴ学派は、すべての調整能力を貨幣すなわち市場に委ねることによって一定の均衡を確立できると主張した。
言ってみれば、経済学という科学が息を吹き返した。たがなんて奇妙な科学なんだろう?いわゆる貨幣本質主義です。そこでは測定の基準はもはや生産と交換の現実世界とはいかなる関係もなく、中央銀座や連邦準備銀座が指示する規範のみに従うというのです。
マルクスに見られるように、常識的に見て貨幣は生産的な社会的現実性の前提という先天的なものではないはずです。それは統制的手段によって後天的に作り出される結果なはずです。
経済学が科学であろうとするなら家政の管理という古代ギリシャの語源により近いものに立ち戻り、あらゆる社会的生を考慮に入れて再構築し直さなければならない、と個人的には思います。
・・・
只野親父ことtoxandoria 2013/05/25 06:16
草枕さま、コメントありがとうございます。
ご指摘の内容についてほぼ同感です。特に、オリジナル・ケインズ主義がシカゴ学派によってバスタード(偽物)化し、マネタリズム方向へ異常傾斜してしまったという点についての理解は、現下のアホノミクスを根本から批判(*)するという意味でも重要だと思います。
<参考>*このアホノミクスを根本から批判する浜矩子の批判が明快です。↓
*「アホノミクス」が5つの悲劇を引き起こす! 浜矩子がアベノミクスに反対する理由 | 、「株は上がる」という掛け声に押され、投資に手を出した個人が損をするという悲劇が、なるべく小さくなることを祈るばかりです - 東洋経済 http://urx.nu/47uN
via Tweet Button2013.05.24 19:22
http://www.facebook.com/tadano.oyaji.7/posts/383010125149616
・・・
また、経済学がその語源であるオイコノミー(エコロジーと同根とされる家政術)へ立ち戻るべきであるとの点についても同感であり、重要なことと思います。この立場からすれば、マネタリズムへの過剰傾斜も、原発も不要ということが深くハッキリ理解できると思われます。
問題は、この二点についての理解が、国民の間で殆ど意識化されていないため原発推進とアホノミクスへの批判が中途半端なものになっていると思われます。
例えば、当記事内容に対し、別ルートで<安倍らウルトラ・ナショナリストの異常観念同時的な妄想>を強く支持する立場の方から厳しい批判を戴いたばかりなのですが、これら日本会議・創生日本あるいは神政連議員懇談会(安倍晋三会長)らの“偽装極右(あるいは偽装正統保守)の言説”に特徴的なことを観察すると、それが幕末期の尊王攘夷論(あるいは明治維新〜太平洋戦争期の君側の奸らの狭隘な観念)から一歩も外へ出ていないことにあることがわかり、この点に大いに驚かされます。
特に深刻なのは、これら“偽装極右(あるいは偽装正統保守)の言説”が、連綿と続いてきた日本の伝統神道(古代ギリシアのオイコノミーと同じく家政を基盤と見据えてきた古代日本の自然アニミズムを継受する伝統神道)に対する政治的支配と影響力を執拗に謀り続けていることです。
このため、今も日常生活・通過儀礼・生活習慣などの場面を介して自然アニミズムである伝統神道に大きな影響を受け続けている日本国民が(小生は、そのこと自体は決して悪いこととは思わない、つまり家政を基盤と見据えてきた古代日本の自然アニミズムを継受する伝統神道を支持する立場です)、殆ど無意識のままに<安倍らウルトラ・ナショナリストの異常観念同時的な妄想>の影響を強く受ける立場に嵌まっているという由々しき現実があり、このことが特に日本の脱原発を困難にしている元凶ではないかと思っています。
また、このような考え方も立派なイデオロギーであると思われますが、日本国民はそのような意味でイデオロギーを理解することができず、巷にあふれるのは相変わらずのウヨ、サヨの対立の構図で、日本国民の殆どは、そのような意味で、惰性的かつ未熟でドグマ化したイデオロギー論に囚われたままです。
いま、国政進出への希望に燃えて必死で準備に取り組まれている緑の党(一国的で狭隘なイデオロギー論を超えた世界市民の連帯を重視する立場)の関係者の方々も、この<元をただせば本居宣長の曲解に端を発する、日本に特異なイデオロギー環境の貧困さ>という難問と格闘せざるを得ないフェーズへ足を踏み入れつつあるようです。
そして、マスメディアは、この最も肝要な部分については一切黙して語らずです。
<参考>
この原子村の異常ぶり(日本列島、総フクシマ化の予兆)を報じて終わりか?国民へどうしろというのか?“国策原発戦争”が全国民を巻き込む玉砕戦である過酷な現実を無視する安倍政権の無責任だ、と断じるべきでないか!⇒原電 全原発停止でも経常黒字NHK http://urx.nu/47un
http://www.facebook.com/tadano.oyaji.7/posts/383267655123863
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