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★名前を口にするのも汚らわしいが、橋下某なる下劣極まりない人物の相次ぐ野蛮な暴言に対して、内閣や政権与党や大手マスコミが俄に批判を開始した。恰も自分たちは汚物ではないと言わぬ許りに、澄まし顔で。笑止千万、片腹痛い。今まで散々もて囃して来た癖に、そして同じ穴の貉の癖に、よくもまあ、いけしゃあしゃあと。目糞鼻糞を笑うとはこのことだ。
★ワッと持ち上げて、囃し立てて、消費して、潮目が変わるや掌を返し、一気に引き摺り下ろして、叩きのめして、そして忘れ去って。毎度お馴染みの光景。マスコミも世論もひたすら食い散らすのみ。日本社会には口と肛門しかない。
★橋下某なる人物も亦、マスコミとこの社会とにとって賞味期限切れ、即ち用済みになったということである。メディアを利用して伸し上がった人間はメディアによって亡ぼされる。
併し、気を付けねばならぬ。マスコミならびに世論が足並を揃える時は要注意である。むろん橋下某に弁護の餘地は皆無だが、目下進行中の橋下叩き、その快感と陶酔とには罠がある。橋下某の自滅によって溜飲を下げたらそれこそ真の邪悪の思う壺。「橋下的」なるものは私らの社会に無数に存在する。自分の中にも「橋下的」なるものが潜んでいるかも知れない。橋下某は、姿見に映る私らの自画像である。
★橋下某なる人物は、或る種のスケープゴート、或る種の人身御供なのであろう。「問題」の所在と責任とをこの浅ましい男の一身に背負わせ、社会一丸となって断罪することで、この男と本質的に同質の他の無数の為政者、それからマスコミ、そしてこの社会そのもの、詰り私らが体よく「免罪」されることを企図しているのだとすれば(そうに違いない)、それは卑劣極まりないことであり、その罪は極大である。この国の人々は、常にこのようにして、銘々の罪深さにどこまでも無自覚である。
★ヒトラーの邪悪さはドイツ社会の「外部」から発生したのでは無しに「内部」から沁み出て来た。ひとびとの日常の気息がヒトラーを生んだという点で、ひとびとは皆ヒトラーであった。同じことは橋下某にも言える。
★「ひかりごけ」である。首筋の金緑の光が、見えるか、見えないか。
★12年前の「NHK番組政治介入問題」なぞ、この社会は疾うに忘れ去っているのに違いない。政治介入の張本人が、いま、わが世の春を謳歌している。向っ腹が立つではないか。
★このところ、美輪明宏の『祖国と女達(従軍慰安婦の唄)』がツイッター上で話題になっている。確かに、すぐれた歌であるし、それが注目されるのは悦ばしい。だが、私はこの歌を初めて聴いた時からずっと、可なり強い疑問を懐いて来た。より率直に言うならば、不信感とさえ言い得るかも知れない。
『祖国と女達』の歌詞に「北は青森から 南は沖縄」とあるけれども、「売られ買われ」たのはむろん日本人だけでなく、寧ろ中国、朝鮮半島、台湾、フィリピン、インドネシア、ヴェトナム、マレーシアその他アジア各地の厖大な女性たちこそが、日本帝国主義に連れ去られ陵辱され虐殺された。日本に暮らす朝鮮人や中国人も連れ去られた。そして彼女たちアジア各地の被害者は、日本人「慰安婦」とは異なり、金銭と引換えの「身売り」ではなかった。強制そのものであった。その厳然たる事実、最も照射す可き暗部を、この歌は残念ながら示していないのだ。否、巧妙に摩り替えて隠蔽しているのだ。それゆえアジア各国に対する日本の極大な罪過から私たちの眼を逸らす役割さえ果しているのだ。有り体に言えば、「身勝手な歌」とも言える。すると矢張り、この歌の題名を『祖国と女達』としたところから既に認識の出発は誤っていた。『祖国と女達』という題名に、「売られ買われて」という歌詞に、深い陥穽がある。悪質さへの無自覚の加担がある。「捕虜の女囚も 同じ仲間さ」との歌詞に「若しや?」と思いはするが、だとしても、日本の罪を告発するには餘りにも弱い。
★わたしらの父や、伯父・叔父や、祖父や、曾祖父が、アジア各地の「慰安所」で女性を辱めたわけである。そのことを深く考えなければならない。自分自身の問題である。
★「沖縄“返還”の日」と「五・一五事件(犬養毅暗殺)」とが同じ日であるということに、なぜだろう、わたしは戦慄する。両者の奥底にひとつの樋があって、そこを同じ「昏い水」が伝い流れているような気がするのだ。
★日に日に鮮明になってゆく自覚。それは、生存を続ければ続けるほど汚物にまみれる世界に私は生きているということである。呼吸するだけで否応なく汚物を飲み込んでしまう。情報収集に励んだりすれば猶のこと汚物を飲み込む。もはや浴びるのではなく、飲み込む。身体中が汚物と化す。
無数の監視カメラが四六時中隈なく見守り、社会の多数にとって「不都合な存在」「好ましからざる事物」はどんどん排除・抹消され、エコとクリーンと癒しとが盛んに謳われ、人々は粧し込み、体臭・個性・意見・異議その他をきれいに消臭・消音し、そして麗しい諧調を皆で支え、詰りは清浄・清潔なファシズムの史上稀なる完成期に達しつつあるというのに、どうしたことか、私は来る日も来る日も汚物を感じ、到るところに感じ取り、強烈無比の腐敗臭に悩まされている。
★生活保護の支給件数をどれだけ少なく抑え込めるか、というノルマが各自治体に現に存在する。それこそが担当職員の才覚・手腕の見せ所なのだという。恐る可きことが、至極当然のこととして罷り通っている。要するに、どれだけ餓死させられるか、どれだけ自殺に追い込めるか、どれだけ殺せるか、ということが日本中で競われている。役所が、役所の職員が、酷薄なのだろうか?断じてそうではあるまい。かれらの冷血無残はわたしらの冷血無残である。生活困窮者を殺戮するように皆で盛り上げている。全員参加のジェノサイドである。自分だけは殺されないと固く信じて、今日も誰かを殺している。
★唾棄す可き凡庸さ。吐き気のする愚昧さ。紛うことなき排泄物にぞっこん惚れ込む人らの群れ。社会の九割方若しくはそれ以上を占める汚物愛好者たち。
★日本国は正真正銘の便壺となった。汚物で溢れ返っている。
★潜伏期は了った。爆発的感染、邪悪の圧倒。邪悪でないものはひとつとして無し。
★私らの生存する世界には、今や悖理と瞞着しか無い。そして、人が人を平然と喰らう地獄。自分が生者であるのか死者であるのかも判らずに、私らは血の空無を漂流するのみである。
★あらゆるものが加速している。ひとびとも洩れなく加速している。むふふふふ。ほうら見えてきた。いいぞ。狂いなし。そのまま、まっすぐに。
★見るも汚らわしい日本国の腐爛情況は今後も益々剥き出しになるであろう。街路という街路に腐臭が立ち籠めるであろう。そして人々はそれに麻痺してゆくであろう。自分自身の腐臭に永劫気付かないであろう。
★ファシズムは細胞分裂を繰り返す。無限に増殖する。
http://prnnkdsi.exblog.jp/19390541/
「狂気沸騰、われら空無の亡霊として」より
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