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自民党の高市早苗政調会長に聞いてみたい――小平義雄、中国で強かん殺人やり放題で表彰、同じことを日本でやり死刑。彼は「女」にとって、加害者ですか?日本の「女」にとってどうですか?
次に、ゴロツキ悪徳弁護士=橋下徹の発言――「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる。」は、以下で強かん軍隊、皇軍の参謀長の思考と一緒。
かような人権無視で歴史修正主義者たちの右翼のゴロツキ政治屋が跋扈する日本低国、わたしたちはどこで民主主義を間違えたのだろう?
▼『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』
吉見義明、川田文子・編著/大月書店1997年
頁52――
・・・翌年6月、北支那方面軍参謀長岡部直三郎は「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒」を各部隊に発した。
・・・・・・各所に於ける日本軍人の強姦事件が全般に伝播し実に予想外の深刻なる反日感情を醸成せるに在りという・・・・・・右の如く軍人個人の行為を厳重取締ると共に一面成るべく速に性的慰安の設備を整え設備の無きため不本意乍ら禁を犯す者無からしむるを緊要とす
南京占領後、日本軍の慰安所設置は一挙に拡大するが、その時期にだされたこの通牒は、反日感情抑止のための強姦防止策として、軍が慰安所を必要と考えたことをよく示している。
頁54――
・・・「軍人の性欲は抑えることは可能だ」として慰安所制度をうちたてた日本軍の性暴力を肯定する体質が、強姦を防止するどころか、むしろ強姦を助長する結果となったのである。
▼三笠宮崇仁『古代オリエント史と私』学生社より――
「また彼ら(八路軍)の対民衆、ことに婦人にたいする軍紀はおどろ
くほど厳粛でありました。当時、日本軍人で婦女子に暴行する者がいる
ことに頭を悩ましていた某参謀は、「八路軍の兵士は、男性としての機
能が日本人とすこしちがうのではなかろうか」と、まじめに話していま
した。
▼英霊たちのやったこと、帰還兵たちがやったこと
私たちはあの侵略戦争でアジアの人々を2000万人以上殺しました。もちろん、強盗・強かん・放火などは日常茶飯事でした。戦後10件以上の婦女暴行殺人で逮捕された小平義雄は、中国大陸で妊婦の腹を切り裂き赤ん坊の首をはねたなどの「功績」をたたえられて勲章をもらっています。言い換えれば戦後生まれたどんな極悪犯罪人も戦前の日本兵士の蛮行にはかなわないのです。
「英霊」なんてチャンチャラおかしいし、「犬死」にも当たりません。犬は強盗も、放火も、強かんもしませんから。どこかの大臣は太平洋の日本の行為は侵略戦争ではないと思っているようですが、その小さな島々に住んでいる多くの人々には思いが及ばないようです。その侵略の成れの果ての飢餓の中、ある戦線では、上官の命令で新兵や上官の気に入らぬ兵士から順番に殺されて食われる事態もあったのですから、大臣のごとく無知であることは幸せなのかもしれません。
魯迅の言葉(血債は同一物で償還、延滞利子をつけて)にかえれば、あの戦争を侵略戦争でないと言い張る輩は、果たして延滞利子分を含め日本人3000万人の命の重さを背負って喋っているのかということになります。石原慎太郎(「南京大虐殺は無かった」と、アメリカで発言。小説家・政治屋)というゴロツキがいますが、その信念は中国や韓国へ行って同じことを喋れるほどでもないようですから、安全地帯にいて吠えまくる駄犬の類なのでしょう。
(注:{小平義雄は、中国大陸で妊婦の腹を切り裂き赤ん坊の首をはねたなどの「功績」をたたえられて勲章をもらっています。}正確にはこの事件前にもう勲章をもらっているみたいですが(?)、しかし中国での彼の蛮行を讃えての顕彰の意味は同様でしょうから、その意味を読みとるように・・・)
▼「戦後史の発見」いいだもも、武谷祐三(産報)より
<連続暴行殺人犯・小平義雄>
戦後2年(46年)8月20日、行司・式守伊三郎(本名・緑川義一郎)の三女柳子に対する殺人容疑でつかまった小平義雄は、それまで未解決であった一連の暴行殺人事件をつぎつぎに自供、世間の若い娘たちをふるえあがらせました。事件の模様を大雑把に列挙してみましょう。
1 宮崎光子(21)
戦後元年5月25日ごろ、品川の大井海岸町249号、第一海軍衣糧廠第一寄宿舎で、強姦、身元を知られているため証拠隠滅をはかって絞殺、防空壕に投げ入れる。
2 石井より子(30)
同年6月22日、「米を安く売ってくれる知り合いの農家があるから案内しよう」と、栃木県上都賀郡真名子村の山林につれ込み、強姦、絞殺。
3 中村光子(22)
同年7月12日、「日帰りで食糧の買い出しのできる農家があるから一緒に行かないか」とさそい、栃木県上都賀郡清川村の山林で、強姦、絞殺。
4 紺藤和子(23)
同年7月15日、「一緒に買い出しに行こう」と、北多摩郡清瀬村の雑木林にさそい込み、強姦、絞殺。白骨死体で発見される。
5 松下よしえ(21)
同年9月28日、「米を安く売ってくれる知り合いの農家があるから案内しよう」とだまし、同じ清瀬村の雑木林で絞殺、そののちに姦淫。
6 篠川達江(17)
同年10月31日、渋谷の東横地下室で、強姦、絞殺。
7 馬場寛子(19)
同年12月30日、「米を安く買える農家があるから案内しよう」といって、栃木県上都賀郡西方村の山道で、強姦、絞殺。
8 阿部よし子(15)
戦後2年6月9日ごろ、「パンをやるから一緒においで」とさそい、江戸川区本井町の運送会社廃品自動車置場で絞殺。
9 身元不明の少女(17か18)
戦後2年7月22日ごろ、「東京見物をさせてやる」あるいは「食べ物をあげます」といって、芝公園の西向観音裏山の山道につれていき、絞殺。白骨死体で発見。
10 緑川柳子(17)
戦後2年8月6日、まえもって就職を世話する約束があって、進駐軍の採用試験をうけに行こうとだまし、芝公園の西向観音裏山の山道につれ込んで、強姦、絞殺。身元を知られているため全裸にする。
以上、検事の公訴事実をもとに取りあげた事件を記しましたが、小平自身は、6・8・9の3件は否認しており、実際のところ調書など調べてみると、どうやら確かなのは残りの7件だけのようです。
よくもまあヤッたものです。世間では「鬼」といわれ「色魔」といわれました。
「鬼」の小平は予審調書のなかでつぎのように陳述しています。「上海事変当時、太沾では強姦のちょっとすごいことをやりました。(中略)強盗強姦は日本軍隊のつきものですよ。銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で突き刺して子供を出したりしました。私も5,6人はやっています」ーここに戦後連続暴行殺人事件をおこす原質があります。
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