http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/706.html
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橋下氏の「従軍慰安婦」問題に関する発言は、これまで中身のないデタラメな内容で物議だけは醸してきた安倍政権に代わって自分が火の粉を浴びる役割を担い、安倍政権のメンバーが自分を非難することで“みそぎ”を済ませられるようにする“挺身隊”活動だと理解している。
安倍首相は、橋下氏のパフォーマンスにより、支持者から変節者と罵られることなく、「安倍首相に対する「不快感」を世界に晒したオバマ大統領:安倍自民党政権の誕生により民主党政権より悪化した日米関係」( http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/609.html )の締めくくりで予測した「おかしな話だが、安倍首相の歴史認識問題は徐々にリベラルなものに変わっていくと思う」という流れに切り替えることができるわけである。
そのようなパフォーマンスで、目的も見事に達成したと評価したうえでのコメントと承知していただきたいが、せっかくの機会なのだから、橋下氏には、いま少し人々の理解が得られる発言にして貰いたかったと思っている。
以前から言っているが、橋下氏の言動を見聞きしていると、実にカワイイと思う。そして、これも、以前から言っていることだが、橋下氏的人士を抑え込むスベは、怒りや罵倒ではなく、考えを理解した上で嘲笑することだと思っている。
今日午前中の橋下氏のツイッター投稿をまとめた「日本の慰安婦制度を正当化するつもりはないが、しかし、日本「だけ」が慰安婦制度を持ったレイプ国家だと言われるものではない」( http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/686.html )を読んだ感想を少し書きたい。
橋下氏の本日午前分ツイッターの内容を読むと、すぐ下に列挙した内容と同趣旨の文言があふれていることから、橋下氏の主張が、“日本「だけ」がなぜ非難を浴びなければならないのか!?”という一点に絞られているとわかる。
「日本国「だけ」がいわゆる慰安婦制度を持ったレイプ国家だと言う批判についてはきちんと反論しなければならない」
「日本国が慰安婦制度を抱えたレイプ国家なら当時の世界各国も全てレイプ国家だ。しかし当時の世界各国がレイプ国家だと言う見解はあまり耳にしない。そうであれば日本国もレイプ国家ではない」
「欧米も、戦時においては、慰安所や現地の私娼、民間業者を活用しておきながら、なぜ日本だけが非難されるのか。それは日本は、国を挙げて女性を暴行脅迫で拉致して、性奴隷にしたからと言う理由だ。この点は違う。これはしっかり主張しなければならない。日本に対する不当な侮辱だ。」
「慰安所は悲劇であり、二度と繰り返してならないのは当然だ。しかし戦時下においては、当時の必要性により慰安所が構えられ、世界各国もその必要性から慰安所や私娼、民間業者を活用していた。それが戦時下の戦場の性だ。欧米は自分たちがやったことは棚に上げ、日本だけを侮辱する。これはアンフェアだ」
このような橋下氏の言い分は誤りとは言えない。しかし、このような論立てでは、「日本の慰安婦制度を正当化するつもりはない」とか、「日韓基本条約がある中でも、意に反して慰安婦になった方へは配慮が必要」という別の重要な考え方は吹っ飛んでしまい、“橋下は、日本は悪くなかったと言いたいだけ”と思われるだけである。
※ 今日の記者会見の橋下氏は、非を認め謝罪もし賠償も別途必要としていることで、慰安婦問題に関する安倍首相との見解の違いを強く打ち出していた。
橋下氏の主張を聞いた人々のなかには、叱られた子どもが「悪かったとは思っているけど、僕だけが悪いんじゃない!Aだって、Bだって、ちょっとやり方が違うだけで同じようなことをやったんだ!僕が悪いんなら、AやBだって」とぐずる姿を思い起こす人も少なくないだろう。
建前だけでも人権の普遍的価値を唱える国々の人は、橋下発言を聞くと、心のなかでどう思っているかではなく、言葉にしたことで人格は判断されるものなのに、愚かなやつだと思うだろう。
また、小気味よくずばずば思ったことを言う大阪的ノリについていけない人は、テーマと身分をわきまえずに本音でじゃかじゃか語る橋下氏に子どもじみた軽薄さを感じるかもしれない。
それでも、2、3割の人が、「橋下よ、よお言った」、「日本は、言われっぱなしや謝りっぱなしじゃあいかん」、「日本の誇りを取り戻せる」と歓迎している可能性があると推測している。
いずれにしろ、あのような論法を使えば、橋下氏が、非は非として認め、謝罪や賠償をすべきと言っている部分は全部スルーされてしまい、ただ“悪くないんだ”と主張しているかのように受け止められたとしてもやむえない。
銃弾が雨嵐と降り注ぐ戦場の兵士に慰安所は必要な施設だとか、最近も沖縄の駐留軍司令官にわざわざ(合法的な)風俗を活用するよう進言したとか、現在なお軍事組織には慰安所的な施設が必要という認識に基づき、社会心理学者やポン引きまがいの発言していた橋下氏も、今日の段階では、「第二次世界大戦当時は」や「当時は必要とされ、これが戦場での性の現実だ。今後は同じことは許されないが、当時はそうだった」と、その“必要性”を歴史限定的なものに後退させている。
橋下氏は、今日のツイッターで、「朝日新聞が批判の急先鋒に立つのは分かるが、今回の報道はフェアじゃない。僕はフェアかアンフェアかを重んじる。朝日新聞は見出しで、僕が「現在も」慰安婦が必要だと言っているような書き方をしている。これは汚い。僕は「当時」は世界各国必要としていたのだろうと言ったのだ」と反駁している。
しかし、残念ながら、昨日の記者会見の橋下氏が、軍隊にとっての慰安所的施設の必要性に“時代限定性”を付けていたとは言い難い。
確かに「その時は」という形容を末尾に付けてはいたが、沖縄訪問で米軍司令官に風俗業の活用を進言したという事実を同時に披瀝しているのだから、“時代限定性”は雲散霧散してしまう。
さらに言えば、「当時は必要」で、「現在は必要ない」と言うのなら、その理由をきちんと説明しなければならない。
下手な説明をすると、当時の将兵は、現在の将兵と違って、道徳性で劣っており、下半身がだらしなかったと貶めてしまうことになる。
● 橋下氏の言い分の難点
“日本「だけ」がなぜ非難を浴びなければならないのか!?”と主張する橋下氏の気持ちはわからないではないが、事実認識と価値観や思いがごちゃまぜになった発言は、理解を得られにくいと思っている。
非を認め謝罪もする必要があると思っているのなら、まず、事実認識をはっきりさせ、それについて謝罪すべきで、正面切っての“でも〜”は加えるべきではない。
橋下氏には次の点を再確認して貰いたい。
まず、当時の軍向け「慰安所」が、現在も日本である地域からのみ女性を募集して営まれていた施設なら、現在のように問題視され、厳しく責められることもなかったであろうということである。
戦線が拡大するなかで不足する慰安婦を急ぎ集めるため、当時は日本であった朝鮮半島や100万人近い将兵が展開していた中国などでも“あやしげな手法”で女性を募集したという経緯がある。
そして、日本は敗れた。その結果、朝鮮半島は日本の領土ではなくなり外国になった。中国も連合国の一員として戦勝国になった。
このような歴史的経緯が、「従軍慰安婦問題」としてずっと尾を引いている理由の一つである。
現在も引き続き日本である地域でも、ウソの職種や勤務地(国内とか)を説明されて応募した女性がいたと思うが、その範囲であったなら、戦後の政府がひどい仕打ちでもしない限り、国際的に非難されることはなかったと思う。
もう一つは、日本の「従軍慰安所」ほど、国家権力がその運営に関与した施設はなかったという事実である。
おかしな論理だとは思うが、民間がカネ儲けのために「従軍慰安所」を経営したのなら“恥知らず”や“人でなし”という罵倒で終わるが、国家機構が、現地の秩序や安寧も含み戦争をできるだけスムーズに遂行するために「従軍慰安所」の必要性を認識し、その充実と保護に努めたとなると、国家にその“政治的責任”がつきまとうことは避けられないのである。
これこそが、本音と建て前の使い分けである。
諸外国の統治者も将兵に慰安所的施設が必要だと認識しているが、多くは、自らが表立ってその充実に動くようなことはせず、裏で現地の事業者を監視する方法を選んだ。
将兵の安全や衛生の面で関与しないわけにはいかないが、“政治的責任”がつきまとうようなレベルでの関与は極力避け、現地の民間人が経営する施設に自国の将兵が勝手に入って利用したに過ぎないと言い訳できるかたちにした。
民間の売春施設であれば、経営者が死ねば不問になる。会社組織であっても、廃業すれば消えてしまう。しかし、国家がその事業に関与していれば、革命が起きても継承しなければならない政治問題となる。
アジア太平洋戦争における「従軍慰安所」の位置付けを今風にたとえるなら、国策民営の「原子力発電所」といえるだろう。
福島第一の過酷事故について政府が責任を回避できないことと同じく、「従軍慰安所」問題も、日本国の政府は責任を回避できないのである。
日本政府は、他の国々のようにこそこそと後ろに隠れ現地の民間業者を活用するかたちではなく、国家機構が現地の治安や将兵の慰安のために前面に立って「慰安所」構築に励んだことを堂々と認めて、きっちり謝罪したほうが賢明だと考えている。
さらに、橋下氏は、“他の国もだ”と連呼しているが、他の国の問題は、関係する国々やその国の国民が考え判断すべきことであり、そのような事実をちらちら匂わせるのはかまわないが、声高に言い募るようなことではないと思っている。
● 橋下氏の言い分における政治的事実に関する認識の誤り
橋下氏は、「日本が国を挙げて女性を拉致したのかどうか。日本政府が2007年にそのような事実を裏付ける直接的な証拠はなかったとの閣議決定をした。僕はその閣議決定を基にしている。最近、新しい証拠が出てくる可能性があるとの閣議決定があった」と書いている。
しかし、閣議決定された答弁書をよく読めばわかることだが、安倍内閣が閣議決定した「衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書」の内容は、いわゆる強制連行を裏付ける直接的な証拠はなかったということに眼目があるのではなく、安倍内閣も「河野談話」を継承すると表明したことが眼目なのである。
答弁書の対象である辻元代議士(当時社民党所属)の質問主意書は、「米国議会下院で、「慰安婦」問題に関して日本政府に謝罪を求める決議案(以下決議案)が準備されている。これに対し安倍首相が総裁を務める自民党内部から「河野官房長官談話」見直しの動きがあり、また首相自ら「米決議があったから、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的な事実に基づいていない」「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と述べ、談話見直しの必要性については「定義が変わったということを前提に考えなければならないと思う」と述べたことから、米国内やアジア各国首脳から不快感を示す声があがっている」という」状況を踏まえて提出されたものである。
安倍内閣が閣議決定した答弁書で、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と説明している部分は、「「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と書かれているように、安倍内閣の独自調査ではなく、あくまでも、河野談話の前提もしくは基礎となった調査結果に依拠するものである。
そして、安倍氏らが目のカタキにしている「河野談話」については、「官房長官談話は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである」・「政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというもの」・「御指摘の件(注:謝罪済みという政府の立場のベース)については、官房長官談話においてお詫びと反省の気持ちを申し上げているとおりである」と、全面的に認め継承している。
誰がおかしな“説”を流布させたのかはわらからないが、第一次安倍政権における慰安婦問題に関する2007年の閣議決定は、「河野談話」を否定するものではなく、「河野談話」及びその基礎となった調査に依拠し、それらを追認・継承するものなのである。
※ 「安倍晋三内閣総理大臣による辻元清美議員の質問主意書に対する答弁書(2007年3月16日)」
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm
「最近、新しい証拠が出てくる可能性があるとの閣議決定があった」に該当する質問主意書と答弁書は別途投稿させていただく。
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