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脱原発の決断ができなかった菅元首相の責任
http://www.amakiblog.com/archives/2013/05/14/
2013年05月14日 天木直人のブログ
きょう5月14日の毎日新聞「メルケルの闘い 第一回」を読んで、あらためてメルケル首相の決断の見事さを知った。
彼女は格好よく決断したのではない。 迷い、パニックになり、反対される中で、それでも「フクシマから学び私は従来の意見を変えた」のである。 それが格好いいのだ。
そこで思い出されるのがわが国の菅首相である。
彼は福島原発事故を起こした日本の首相だった。もしあの時彼が脱原発に舵を切り、それに向かってあらゆる政策を決断していたなら、誰もそれに反対はできなかったはずだ。
今頃は脱原発が国是となり、被ばく者救済も、放射線封じ込めも、廃炉も、新エネルギー開発も、東電の解体も、何もかも統一的に進められていたに違いない。
政権が自民党に変わっても、もはやその流れは止められなかっただろう。そんな事をすれば国民から袋叩きにあう。
私が菅首相を評価しない理由は多々ある。
民主党を分裂させ、下野させた張本人
自分が首相になりたいような顔をしてはしゃいだ夫人との二人三脚
政治稼業を息子に世襲させようとする卑しさ
米国の事など何もわからないまま対米従属に走った素人外交などなど
しかしその中でも最大のものは、やはり脱原発を決断できなかったことだ。
彼は福島原発事故を起こした日本の首相だった。
もしあの時彼が脱原発に舵を切り、それに向かってあらゆる政策を決断していたなら、誰もそれに反対はできなかったはずだ。
今頃は脱原発が国是となり、被ばく者救済も、放射線封じ込めも、廃炉も、新エネルギー開発も、東電の解体も、何もかも統一的に進められていたに違いない。
政権が自民党に変わっても、もはやその流れは止められなかっただろう。
そんな事をすれば国民から袋叩きにあうに違いない。
もう一度言おう。
菅直人首相の最大の責任は、原発事故当時の首相として脱原発の政治決断を下さなかったことである。
そして今になって脱原発を自己宣伝の具にして恥じない。
メルケル首相の決断がなおさら輝いて見えるの毎日新聞の記事である(了)。
◇
メルケルの闘い:/1 「フクシマから学んだ」 脱原発派に急変 合理的発想で「解」導く
http://mainichi.jp/select/news/20130514ddm007030038000c.html
毎日新聞 2013年05月14日 東京朝刊
2011年3月11日、ブリュッセルで欧州理事会に出席していたドイツのアンゲラ・メルケル首相(58)の携帯電話に1本のSMS(ショートメッセージサービス)が入った。ベルリンの首相府からだ。「日本で大地震発生」。関係者によると、首相はその後、周囲が声をかけても気付かないほど夢中でインターネットにかじりつき、情報を集め続けた。
翌12日、福島第1原発1号機の水素爆発を受け、原発維持派だった首相はあわてた。夕方、急きょ政権幹部を首相府に集めて対応を協議したが、ここでウェスターウェレ外相は明確に「性急な反応は必要ない」と原発停止案に反対。迷う首相はその後、電力業界トップにも電話して意見を聞いたが、業界側は回答を避けた。与党筋によると、その後は今後の選挙への影響を気にする閣僚から「原発を止めないと、ツナミが今度はわが与党を襲う」などと感情的な発言も相次いだという。
15日、首相は決断する。「国内17基のうち老朽原発7基を停止」。独誌シュピーゲルはこの決定を「考え抜かれた計画のように見えて、実はひどくあわてた構想だった」と評した。6月には、22年までの全原発停止が連邦議会で承認された。
ドイツの脱原発は福島事故以前から決まっており、02年にはシュレーダー前政権が「20年ごろまでの脱原発」を法制化している。だが原子力業界への配慮などから、10年9月に「40年ごろまで稼働延長」に変更したのが、メルケル首相自身だった。このため再度の方針転換には困惑の声もあった。「急な脱原発は産業界へのダメージも大きいと訴えたが、私は孤立した。フクシマ事故直後は議員も皆パニックで、自由に議論できる雰囲気はゼロだった」。与党にいながら下院採決で脱原発に最後まで反対票を投じた自由民主党のフランク・シェフラー連邦議会議員は振り返る。
11年5月、首相は会見で「あり得ないことがあり得る。それをフクシマから学び、私は従来の意見を変えた。(事故の)映像が脳裏から離れない」と当時の心境を明かした。
首相の決断は、原発におびえる国民の支持を得た。世論調査機関フォルザのマンフレート・ギュルナー代表は「2期目の政権運営で、首相は国民の不安回避に一定の成功を収めた。欧州債務危機でも、ユーロ崩壊を防ごうと努力する姿が国民に安心を与えた。派手な政治家ではないが、不安だらけの時代にはかえって彼女の実務的な特質がプラスに映った」と分析する。
物理学者でもある首相のギムナジウム(日本の中高一貫校に相当)時代の恩師で、数学と物理の担任だったハンスウルリヒ・ビースコウさん(74)は語る。「あの子の発想は、今も合理的な物理学者のまま。状況や前提が変われば、『解』も変えるんです」
◇ ◇ ◇
9月のドイツ連邦議会選(総選挙)まで半年を切った。堅調な経済力を背景にドイツの国際的な存在感が高まる中、脱原発やユーロ危機に対処した2期目(09〜13年)のメルケル政権を振り返る。【ベルリン篠田航一】=つづく
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