75. 事実... 2013年5月15日 23:07:43
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聖徳太子は仏に対物部戦勝を祈願した御礼として、部下の秦河勝に命じて四天王寺を建てた あの秦氏の一族である実は日本の最も古い神社や仏事の多くは秦氏によって建立されている 日本の神社は約8万社存在するとされ、そのうち3万社以上が稲荷社である 伏見稲荷大社は、秦氏(はたうじ)の一族により創建された、秦氏の氏神である 秦氏は、言わずと知れた、失われた10氏族の有力候補で、大月氏国から万人単位で渡来したとされる一大勢力である 日本書紀によれば、応神天皇の283年に弓月君が百済から127県の1万8670人を連れて、 日本に帰化し、日本の天皇のために献身的に尽くしたと記される。 秦氏は実は百済系ではない。
最近、かつての新羅(辰韓)の蔚珍(ウルチン)郡の発掘から、朝鮮における秦氏の本拠地と思われるところが判明したのである。 秦氏創建の広隆寺にある仏像も新羅系の造りである。 そして朝鮮語で彼等は「波旦氏」とよばれていた。 中国の秦でもなく、朝鮮民族でもない、西方に繋がる一族である 秦氏は景教=ネストリウス派キリスト教を信奉していたとされる
ネストリウス派は、431年、エフェソス公会議において異端として排斥されたが、ペルシャの庇護を受け東に伝播した 唐代の中国においては景教と呼ばれ皇帝の庇護を受ける。 大秦景教とも言い、唐の首都長安には大秦寺という景教の大寺院が建てられた 実は秦氏に関わりが深く、聖徳太子を祀る広隆寺も元は大秦寺と言った 京都最古級の寺である広隆寺は、603年または622年聖徳太子の命を受けて、秦河勝建立とされる 日本を代表する哲学者である.梅原 猛氏が、1972年:『隠された十字架 法隆寺論』でキリスト教の色濃さを指摘している しかもこの著作は第26回毎日出版文化賞を受賞している。 更にいえば、梅原 猛教授は、.ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授(学長)を歴任し、現在、東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)を務める人物である 1992年、文化功労者。1999年、文化勲章受章。 縄文時代から近代までを視野におさめ、文学・歴史・宗教等を包括して日本文化の深層を解明する幾多の論考は「梅原日本学」と呼ばれる また、景教(キリスト教ネストリウス派)研究の世界的権威・佐伯好郎教授はこの「太秦寺」に注目し、中国の唐にあった「大秦寺」と同じものがここにあり、広隆寺はもともと景教寺院であったと主張した。
佐伯教授は秦氏の首長に対して与えられた称号「太秦」をヘブライ語で「光の賜物」と解釈した 聖徳太子の重要なブレーンの一人であった秦河勝が、弓月の君に繋がる秦氏の人物であり、彼は蘇我・物部戦争以来、太子側近としてつかえた。 彼は推古11(603)年に制定された官位12階のうちで、第2位の小徳位に任ぜられたほどである。 千葉大学准教授で景教の研究家であるケンジョセフは、その秦河勝が原始キリスト教の導入をした中心的人物だとしている。 秦氏ゆかりの太秦には、秦氏創建の木島神社がある。 木島神社は「蚕の社」(かいこのやしろ)とよばれる神社で、世にも奇妙な三角鳥居がある。 三角鳥居はキリスト教の三位一体を意味していると主張する人達がいる。 さらに、この三角鳥居に隣接してイスラエルの洗礼式場を思わせる「元糺の池」とよばれる小さな池がある。 この「元糺の池」の「もとただす」は「罪を明らかに糺すこと」を意味している。 広隆寺に隣接した場所に秦酒公が創建した大酒神社がある 延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社(元名)大辟神社とあり、大酒明神ともいう。 「大辟」は景教ではダビデを意味している「大闢」とよく似ている。
大辟=大避=大酒であり、オオザケの当て字と思われる 因みに、大辟とは、ダビデ王の中国語表記である
広隆寺の大酒神社には、現在秦河勝も祀られているが秦酒公の孫であり、秦氏にとって氏神である事から、広隆寺・大酒神社は、秦氏にとって重要な意味を持つことが伺える 因みにイエス・キリストは血統のうえでは「ダビデの子孫」としてベツレヘムで生まれ「ダビデの子」と人々によばれていた。 また秦氏に誘致されたといっても過言ではない新都の名称「平安京」は、イスラエルの首都「エルサレム」と同義である。 またエルサレムの近くに琵琶湖と大きさも形も似た湖ガリラヤ湖がある。
ガリラヤ湖は古代には「キテレネ湖」といい、キテレネは琵琶の意味である 一方、稲荷社には空海由来の仏教系も存在する 真言宗は平安時代、「弘法大師 空海」が中国(唐)に渡って「密教」を学び、それを日本に伝えた事が始まりである 真言宗の寺院の脇には稲荷社が建てられ、密教の荼枳尼天(だきにてん)を祀った 荼枳尼天は元々インドの魔神であり、白狐にまたがる。 白狐は恵比寿(戎、エビス)の化身である 荼枳尼天(だきにてん)は、元々はインドのダキーニという魔神で日本では夜叉(やしゃ)系とされる。 稲荷は、恵比須の化身であり、恵比須・稲荷の化身・神使は狐である。 恵比須は戎であり、イザナミ・イザナギの最初の子で、足腰が立たぬため、船で海に流され、西宮に漂着して育った子である (が、元々腐肉を食らうジャッカルではないかという説もある) 荼枳尼天は、かつて死者の心臓を食らう夜叉として恐れられていた神だが、大日如来によって調伏され、その霊力に心服し、善神となった。 だが大日如来が化身した大黒天によって調伏され、死者の心臓であれば食べることを許可されたという説話もある。 自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食らったという 稲荷はこの2系統があるが、徳川家康が己の野望、天下統一を果たすために、その力を借りた神、それが荼枳尼天である 徳川家康は、天下統一の恩に報いるため、江戸の各所に荼枳尼天をまつった。 しかし、荼枳尼天はあまりにもその魔力が凄いため、稲荷神社としてまつったとされる。 かの有名な豊川稲荷神社の祭神は荼枳尼天である。 また空海自体、唐に渡って大秦寺で、景教=ネストリウス派キリスト教の洗礼を受けたとも言われている 当時唐では、景教を「真宗」と読んでいた 空海が開いたのは「真言宗」である 空海は、景教の漢字の教典を持ち帰っており、東寺に保管されている 真言宗は、十字を切る動作をすることで有名な教派である 「稲荷」はもともと「伊奈利」とかき、漢字が使われる以前から「イナリ」であったとされる 稲荷神社の「いなり」には、INRI(INARI)/JNRIが転化したという説がある 千葉大学准教授で景教の研究家であるケンジョセフなどが唱えている INRI は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。 これは「キリストの磔刑」において十字架の上に掲げられた罪状書きの文であり,札や銘文とされている JNRIとする場合はJesus Nazarenus、Rex Iudaeorm 一方、稲荷神社といえば朱の鳥居がつきもの。 ふつう、神社の鳥居は朱も朱でないものもあるが、稲荷はほぼ例外なく朱の鳥居でしかも複数ある場合が多い その中でも、総本社、伏見稲荷の千本鳥居は有名で....全体では数千本の朱の鳥居がある 一体鳥居は、何を表すのか...........?
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これは、東京のキリスト教会である なぜ両側の壁が紅いのか? 牧師は語った 「出エジプト記の神の禍を避けるため、モーセはヘブライ人に、家の入り口の2本の柱と鴨居に子羊の血を塗るよう神の言葉を伝えたからです。」
「それは、キリストの犠牲の血をも表しているからです」 旧約聖書 出エジプト記 12章21〜23(口語訳) そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、 「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。 また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、かもいと入口の二つの柱につけなければならない。 主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。 入り口の2つの柱と鴨居に羊の血を塗る印が、神の禍の過ぎ越しの印
正に朱の鳥居そのもの
キリスト教では、これを十字架に架けられたイエスの犠牲の血潮の予形とする 稲荷神社において朱の鳥居が複数あり大きな特徴となっている事実は、朱の鳥居が強調したいオブジェであるという事であろう 過ぎ越しの印にしてイエスの犠牲の血潮だからだとすれば、良く理解できる 更に旧約聖書:出エジプト記12章 ----------- 12:1〜2 主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、 この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。 12:13〜 その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。 わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。 この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。 七日の間あなたがたは種入れぬパンを食べなければならない。 その初めの日に家からパン種を取り除かなければならない。 第一日から第七日までに、種を入れたパンを食べる人はみなイスラエルから断たれるであろう。 かつ、あなたがたは第一日に聖会を、また第七日に聖会を開かなければならない。
これらの日には、なんの仕事もしてはならない。 ただ、おのおのの食べものだけは作ることができる。 あなたがたは、種入れぬパンの祭を守らなければならない。 ちょうど、この日、わたしがあなたがたの軍勢をエジプトの国から導き出したからである。 それゆえ、あなたがたは代々、永久の定めとして、その日を守らなければならない。 正月に、その月の十四日の夕方に、あなたがたは種入れぬパンを食べ、その月の二十一日の夕方まで続けなければならない。
------------- この過ぎ越しの祭りに出される、種を入れないパンを、マッツオという。
正月の餅(もち)の元になったという説があり、日本では多くない小麦粉からもち米に転化したというものである 稲荷社はどう転んでも日本古来のものではない
古代キリスト教(若しくはユダヤ教)、または密教、または新羅由来である 神道が日本独自で古来からの物だとは、現代において通用しない考え方である |