http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/461.html
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■ [日本のアキレス腱] 日本会議&神政連の『伝統神道と本居宣長』曲解が安倍自民の主権制限「改憲」と戦前型「国民モルモット化」なる暴政の元凶(5/n)
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130507
・・・なお、当記事のテーマと関連する内容として、下のブログ記事★の参照をお勧めしたい。つまり、政治がファシズム化のプロセスへ入った時の“歴史的通例”として観察されるのが、直球ストレートの言論批判は効果を失う状態(一種の“ウソ吐きクレタ人のパラドクス状態”)に嵌ることだ。その悪しきパラドクスから抜け出るためには、深層ないしは俯瞰というメタ次元からの腑分けが必要となる。
★「安倍晋三を批判する言論が絶え果てた」という言葉の意味(kojitakenの日記)、http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130508/1367940348
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(6)本居宣長以前の時代において、神道学者プロパー(神職・神官系の神道学者)のなかで「天皇を現人神と説いた者」は一人もいなかった
以上で取り上げた主要な国学者の流れとは異なり、伝統的な神道学者(神職・神官系の神道学者)の世界を見ると全く異なる光景が見えてくる。つまり、神道学者プロパーのなかにも神代から続く国柄や皇統の正統を説く人々はいたが、それは、国学者である本居宣長らの如く、一方的に<他国に対する優越性の観点>で説くのではなく、<日本という国と民族の素姓を明らかにすることに重点を置くもの(日本人自身のアイデンティティーの探求)>であった。
そのうえ、宣長以前の時代において、神道学者プロパー(神官系の神道学者)のなかで「天皇を現人神と説いた者」は一人もいなかった(山崎闇斎はその意味で例外的存在だが、彼は神職・神官ではなく儒学者である)。それどころか、例えば、「皇室との結びつきが強く最も伝統的な神宮(伊勢神宮)」の中で育った神道学者(神職)である出口延佳(でぐちのぶよし/1615- 1690)は、後述のとおり日本伝統の神道を正しく伝える者としての誇りから「天皇・人民平等論」をさえ説いているのである。
<注記>皇室との結びつきが強く最も伝統的な宗主である伊勢神宮の誕生史(概観)については、下記★を参照乞う。
★[日本のアキレス腱]アベノミクスへの応援で国民の文化マインドコントロールを謀る神政連のトンデモ「原発必要論」(祖型伊勢神道比較/正統保守試論)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130207
<注記>以上、(1)〜(6)の論拠は、主に下記資料◆を参照し、解釈を加えて纏めたものである。
◆小山悳子(神道学者、比較宗教学者)『日本人の求めた元神(カミ)』‐日本図書センター‐
◆平野孝國(神道学者)『神道世界の構造』‐ぺりかん社‐
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(7)日本人が正しく理解するべき現実、それは「キリスト教が本居宣長と出口延佳へ“全く相反する”正反対の形で大きな影響を与えたこと」と「本居宣長の天皇『現人神』論は決定的誤りであること」の二つ
実は、これら国学と神道論の発展経緯で、主に16〜17世紀頃に伝来したキリスト教(ローマン・カトリック)が大きな影響を与えていたことが近年になり、次第に明らかとなっている。本居宣長らの後を引き継ぎ、水戸学と共に幕末の尊皇攘夷の支えとなる思想を提供した秋田(出羽)出身の国学者・平田篤胤が「現人神の天皇観」を深く論じたことは良く知られるが、キリスト教に通じていた篤胤はこの「現人神の天皇観」をローマ法王の存在から着想した可能性が高い。そして、それは篤胤の師である本居宣長から引き継がれたと見るべきである。
つまり、本居宣長は、当時におけるキリスト教(ローマン・カトリック)の根本的性質(15〜16世紀のイエズス会に代表される戦闘的な側面、あるいは古く13〜15世紀に過激なポーランド植民に明け暮れたドイツ(チュートン)騎士団的な軍事侵略的本質)をズバリ見抜いており、そのことへの危機感から、あえて日本伝統の神道を世界の中心となるべき正義だと強弁し、それをローマ法王に敗けぬ武断的で神聖な権威だと主張するため天皇を排外的・排他的な国家権力の頂点に立つ軍神性を帯びた「現人神(あらひとがみ)の地位」へ押し上げた。
しかし、同じキリスト教の影響でも、天皇家の精神基盤である神宮(伊勢神宮)の神道学者(神職)・出口延佳の場合は宣長と全く正反対で、神の前での平等な恩寵というキリスト教思想の側面から大きな影響を受けている。このため、それまでの神道学者より更に前へ一歩進んだ形での新しい観念、つまり日本古来の伝統神道を正しく伝える者としての誇りから「天皇・人民平等論」を説くようになった。
そして、このことは、元来、伝統神道には排他性よりも他宗教に対する包容力と寛容性があることから、当然の帰結であったとも考えられる。従って、古代から続く日本の精神史にほぼ重なる<神仏習合の歴史>が其の典型といえる。このため、天皇の恣意的利用による日本近代化の実現を謀った『君側の奸』から成る明治維新政府は、この古来から続く日本伝統の神道の宗教的寛容性(古来の神道精神と、その影響を深く受け続けてきた日本国民一般の心性)を日本の本格的近代化にとって有害と見なし<廃仏毀釈の蛮行>と<キリスト教の排除>に走ったが、特に後者は明らかに失敗した。
ともかくも、本居宣長は世界に誇るべき日本学(国学)の大学者であるが、唯一、「古伝説」研究に淵源する「他国に優越する現人神たる天皇を世界万国の宗主と見立てる皇国史観と国家神道論」を高く内外へ向けて掲げたこと(ローマン・カトリック、ローマ教皇体制の剽窃)だけは決定的誤りであったという現実を一般の日本国民(日本会議の影響下で日本の取戻しを謀る安倍晋三・総理大臣(兼・神道政治連盟国会議員懇談会会長)らは無論のこと!)は、今こそシッカリと真正面から理解し正しく受け止めるべきである。
しかも、日本政府が「他国に優越する現人神(あらひとがみ)たる天皇を世界万国の宗主と見立てる皇国史観と国家神道論/太平洋戦争への突入を準備した大日本帝国の国家的神話論理(ナショナル・ミソロジー)」を声高に内外へ向けて再び公言することは、日本が世界に向けて胸を張るべき偉大な「日本学者(国学者)」である本居宣長の真の学問的業績評価を決定的に貶めることでもあり、そればかりか源氏物語、雨月物語などが象徴する日本の物語文化と、それこそ世界に誇るべき日本の伝統美(茶道・花道・能楽・和歌・俳諧等の幽玄美学)をも激しく傷つけ貶めることに繋がるという意味で、きわめて“反愛国的”で、それこそ“自虐的”な極めて愚かしく恥ずべき行為であることを自覚すべきだ。
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