05. 2013年5月09日 15:51:36
: Kse53zYp5s
ちょうど十年前に川口順子は小泉内閣の外務大臣で 太平洋の島々をイラク侵略戦争に引きずり込んだ戦犯である。戦犯川口をギロチンにかけよ! ------------------------------------------------------------ 】解任された川口氏 「野党の劣化を示す象徴的事件だ。政治家なら何が国益かを考えて行動すべき」 beチェック 1 名前: ジャパニーズボブテイル(栃木県) 2013/05/09(木) 15:23:03.03 ID:ejyZCGIq0 PLT(12791) ポイント特典 参院は9日午前の本会議で、民主党など野党7党が共同提出した川口順子よりこ 参院環境委員長(自民)の解任決議を賛成多数で可決し、川口氏は解任された。 国会法に基づく常任委員長の解任は衆参両院を通じて初めて。採決は記名投票で行われ、 賛成123票、反対107票だった。川口氏の後任は自民党から選ばれる見通しだ。 川口氏は4月23、24日の予定で中国を訪問したが、楊潔チヤンジエチー(よう・けつち) 国務委員らとの会談が設定されたことから25日まで滞在を延長した。しかし、事前に延長の 許可を得ておらず、25日の環境委員会は流会となった。これに反発した民主、みんな、生活、 共産、みどりの風、社民、日本維新の会の各党は7日、解任決議案を提出した。採決では新党改革も賛成した。 9日の本会議では、民主党の松井孝治氏が決議案の趣旨について「自ら招集した委員会を 流会にした。委員長として不適格のそしりを免れない」と述べた。自民党の中原八一氏は、 滞在の延長について「国益に貢献する十分な、大きな意義があった」と指摘し、決議に反対する意見を表明した。 解任決議の可決後、川口氏は国会内で記者会見し、「野党の劣化を示す象徴的事件だ。 政治家は、何が我が国の国益かということを念頭に置いて、物事を判断して行動すべきだ」と述べ、野党を批判した。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130509-OYT1T00501.htm?from=main1 ------------------------------------------------------------ 十年前の戦犯極悪女・川口順子 ↓ ------------------------------------------------------------ http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/scramble/scramble2003/20030311.html 2003年3月11日(火) 東奥日報 特集 ■ 対イラクに湾岸トラウマも/米国支持急ぐ川口外相ら 一九九一年一月の湾岸戦争から十二年。米国のイラク攻撃が不可避との見方が強まっているが、当時ワシントンの日本大使館で勤務していた川口順子外相をはじめ、今回イラク対応の最前線に立つ政府の主要スタッフが、実は湾岸戦争と「浅からぬ縁」を持っている。 湾岸戦争では多国籍軍に百三十億ドルに上る支援を行いながら「顔が見えない」と国際社会で評価されなかった。今回、欧州などが反対する中で、いち早く米国支持の立場を打ち出してきた背景には「二度と出遅れは許されない」という「湾岸トラウマ(心的外傷)」もありそうだ。 民間人閣僚の川口外相だが、もともとは旧通産官僚。湾岸戦争開戦時に商務担当公使としてワシントンにいた。 このほか外務省でイラク問題を仕切る西田恒夫総合外交政策局長、首相官邸で総合調整に当たる外務担当の谷内正太郎内閣官房副長官補も当時、ともに参事官として大使館に勤務。加藤良三駐米大使はイラクのクウェート侵攻時、駐米公使。小泉純一郎首相の別所浩郎首相秘書官も大使館組の一人だ。さらに、北米一課長だった岡本行夫氏が小泉首相を補佐する内閣官房参与、中近東一課長だった海老原紳氏が北米局長としてイラク問題の最前線に立つという巡り合わせだ。 「あれだけの貢献をしたのになぜ、という思いがありましたね」。クウェート解放に寄与した国名リストを掲載した、クウェート政府の新聞広告に「日本」の名がなかったと知ったときの思いを、川口外相はこう振り返る。「官邸のお手伝いをしているが、当時の情景の一コマ一コマが目に浮かぶ」と言うのは岡本氏。「二度とあんな思いはしたくない」(外務省幹部)との声も漏れる。 しかし「あれからずいぶん変わった」(外相)と言うように、十二年前とは状況は大きく異なっている。国連平和維持活動(PKO)協力法や周辺事態法、テロ特措法と法整備が進み、自衛隊による後方支援、「人的」貢献の実績を重ねてきた。何よりも「国民の意識が変わった」(外務省幹部)と強調し、「『傷口をなめながら』みたいな思いはない」とも言い切る。 “湾岸の反省”から「カネ」だけでなく「人」による貢献という選択肢もできた。今回ばかりは「ツーレイト」のそしりは免れそうだが、十二年前にはなかった「反戦」の大きな国際世論があるのも、また事実だ。 ------------------------------------------------------------ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://www.marino.ne.jp/~rendaico/2003seihendrama/kawaguthico.htm 【川口外務大臣演説「共通の挑戦:米国と日本、現在の日本の見方」】 (2002年9月16日 戦略国際問題研究所(CSIS) ワシントン D. C. ) ご列席の皆様、 CSISにおいてこのような著名な方々を前にしてお話する機会をいただき大変光栄です。御招待いただいたことに感謝します。 私は日本の外務大臣としてはユニークな経歴を有しています。私は、アメリカ人の両親とアメリカ生まれの息子を持つ外相は、いずれの国にもかつて無かったのではないかと思います。私は、16歳のとき、ペンシルヴァニア州のスワスモア高校で一年を過ごしました。私は私を真に家族の一員として受け入れてくれた米国人の家族と暮らしました。私が日本に帰国した後でさえも、「母さん」と「父さん」は亡くなるまで私の両親であり続けました。米国で大学院に通っている私の息子は、ワシントンD. C. のワシントン市長による署名がある出生証明書を持ってしています。ですから米国は私の第二の故郷なのです。 私は70年代の初めにイェール大学で経済学を学ぶために米国に戻りました。70年代後期には、私は世銀での勤務のためワシントンD. C. に来ました。90年代の初めには、日本大使館の通商担当公使として再度ここに戻りました。本当に、これまで何度もこの地を訪れたものです。そして、9月11日の二日前、私は環境大臣として米国を訪問していました。 それから一年が過ぎました。私は、米国の人々の勇気に感銘を受けています。そしてテロリズムとの闘いに向けて国際社会を一致団結させたのは、米国のリーダーシップでした。 米国のアプローチについてあれこれ言われることがしばしばあります。リーダーがそのような代償を払わなければならないのは自然なことです。しかしながら、米国の長きに亘る友人そして観察者として、私は、米国が危機的状況下においてリーダーに求められるイニシアティブと責任を常に果たす国であると信じる者の一人です。これが私が貴国を本当に尊敬する理由です。 (中略) 9・11以降のテロリズムとの闘いは、疑いもない成功でした。この闘いの中で米国はめざましいリーダーシップを発揮しました。そして、日本は最初からこの努力に参加してきました。日本は直ちに法律を制定し、我々の自衛隊艦船及び航空機を派遣することを可能にしました。 (中略) 大量破壊兵器に関し、我々にとっての現在最大の焦点はもちろんイラクです。イラクは全ての関連する国連安保理決議を履行しなければなりません。イラクによる国連査察の拒否は、まったく受け入れられません。小泉総理大臣とブッシュ大統領が先週木曜日に再確認したように、この挑戦に対処するためには国際協調が決定的に重要です。米国はこの挑戦に対処するために国連と共に努力し、必要な安保理決議の採択をめざすとの、先週行われたブッシュ大統領の国連演説を我々は歓迎します。我々はイラクに対し、即時かつ無条件に国連査察を受け入れ、全ての大量破壊兵器を廃棄するよう要求し続けなければなりません。私は、二日前にニュー・ヨークでイラクの外相と会談した際、この点を先方にはっきりと述べました。 NPT(核兵器不拡散条約)を含む国際的枠組みを強化することは、大量破壊兵器が世界中に拡散することを防止するために不可欠です。この関連で、日本は引き続き、CTBT(包括的核実験禁止条約)が核不拡散を確保するための現実的かつ具体的な方途を国際社会に提供しうると信じます。 (中略) 私はいつもアメリカに異なる肩書きを持って帰ってきています。最初は高校生として、次はイェール大学の学生として、世銀職員として、大使館の通商担当公使として、環境大臣として、そして今回は外務大臣として。これは両国の間に既に広範な交流があることを象徴するものでしょう。次はどのような肩書きをもって来ることになるのかはわかりませんが、必ず、私は第二の故郷に帰ることになるでしょう。 ご静聴ありがとうございました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ スカボン暴走族のレディース隊あばずれ乙www |