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2013年05月07日 永田町異聞
長嶋はなつかしい。松井はすごい。二人の師弟愛に感動した。始球式も、スピーチもよかった。
だけど、なにか変だ。なぜ、安倍晋三がユニホーム着て始球式の審判なんかやってるんだろう。
「文句なしの国民栄誉賞、みなさんそう思いませんか!」。
どうして、満員の観衆に得意げに呼びかけるんだろう。賞を与えることを決めた権力者だからこそ、さりげなく表彰状を渡して、すっと消えればよかったのに。
そうすれば、多少なりとも、謙遜で控えめな「美しい国、日本」の心が、グラウンドに残っただろう。
「家族は、互いに助け合わなければならない」などと、教育勅語の「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ」を思い起こさせる憲法改正の草案をつくって、道徳を押しつけようとしなくとも、首相たる者、自らの言動で国民に模範を示すことができよう。
だいいち、憲法は国民が為政者に好き勝手させないよう縛るものだ。つまり為政者が守るべきもので、国民が守るべきものではない。国民が守らねばならないのは法律だ。
それなのに、「家族は助け合え」なんて憲法は、押しつけがましく、おせっかいもいいところだ。
マグナカルタだって、イングランド国王の権力を制限したゆえに意味があったのだし、だからこそいまでも英国の憲法を構成している。
今の憲法を考えたベアテ・シロタ・ゴードンらGHQの若手メンバーは日比谷図書館、東京大学など焼け残った図書館をまわって、マグナカルタやアメリカ憲法、ワイマール憲法、フランス憲法、スカンジナビア諸国の憲法などを短期間で調べ上げ、平和と人権を守るための憲法作成をめざした。
日本政府が出してきた憲法草案、いわゆる「松本試案」は、「天皇は君主にしてこの憲法の条規に依り統治権を行ふ」などとし、明治憲法の域を出る内容ではなかった。
よく「一方的に押しつけられた憲法」と安倍首相や石原慎太郎ら改憲論者は言うが、日本政府の憲法草案が採用されていたほうが良かったとでも思っているのだろうか。
参議院選が迫っている。安倍首相はクレムリンで政治ショーをし、東京ドームを埋めた観客に向け、偉大な二人の野球人を利用したパフォーマンスを演じた。
選挙に向けた人心操縦はうまくいってますかと、このところ鼻高々の安倍宣伝隊長、世耕弘成に聞いてみたい。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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