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2013-05-07 文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ「毒蛇山荘日記」!!!
孫崎は重光葵を対米自主外交の「ヒーロー」として、つまり 米国の日本植民地支配の「犠牲者」として描いている。では重光葵という政治家は、孫崎が描くような、米国の日本支配と正々堂々と闘った、独立自尊の立派な政治家だったのか?重光葵も米国占領軍の顔色をうかがう「植民地政治家」だったが、政治的才能、政治的資質の「欠如」の故に、政治的に迷走孤立した挙句、「自滅」したのではないのか?そんな「政治家失格」の重光葵を絶賛する孫崎享も、「戦略家失格」「政治ジャーナリスト失格」というほかはない。(写真は台湾の「淡水」という街にある中華料理店「紅楼」前で。)
有馬哲夫の『CIAと戦後日本』の第二章に「重光葵は なぜ日ソ交渉で失脚したのか」という文章がある。それを読むと、孫崎享が『戦後史の正体』で描く「対米自主外交のヒーロー」という姿とは違う、もう一人の重光葵の姿が、つまり「対米自主外交のヒーロー」どころか、主義主張はともかくとして、政治家としてまったく無能な、右往左往するしかない、哀れな姿が描かれている。はたしてどちらが正しいのか。たとえば、有馬哲夫は書いている。
《CIAの人物評によれば、重光は政治家というより官僚気質だった。自分の信念を断固貫くタイプではないが、かといってひとびとの意見の対立を調整してうまくまとめていくタイプでもなかった。むしろ偏狭で頑固で党派心が強く、人に好かれないタイプだった。CIAだけではなく日本人にもそう思われていた。》
この重光葵に対する人物評はCIAの側のものである。従ってそのまま鵜呑みにするわけにはいかないだろう。しかし、参考にならないということにはならない。CIAは、かなり早い時期から、重光葵という人物に関心を持ち、重光葵の言動を調査・収集していたからである。このことを、有馬哲夫は次のように書いている。
《G-2(占領軍参謀二部)とCIAは重光が巣鴨プリズンに入ったときから日ソ国交回復交渉に臨むまで、彼の活動を監視し、記録に残していた。この記録には、重光と右翼の大物である児玉誉士夫の関係や、彼らと疑獄事件を起こした保全経済会とのスキャンダラスな関係など、表の政治とその舞台裏に蠢く黒子との関係も書かれていた。(『CIAと戦後日本』p32)》
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