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あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?
ウィンザー通信 2013年05月02日 | 日本とわたし
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9?st=0
今朝一番に、このビデオと出会った。
50分の、長いものやけど、どうしても記録として残しておきとうて、家事や仕事の合間を縫って、ほぼ一日かかって字起こしした。
わたしは、この『焼き場に立つ少年』の写真を、先日、迷彩色の軍服を着て、うれしそうに戦車に乗ってた男に突きつけたい。
その男は権力者で、我々を権力(者)から守るために生まれ、権力者の上に立ち、権力者に歯止めをかける憲法を、いじりとうて必死になってる。
まず、96条をいじり、その後、自分らの都合のええように変えていくつもりでいる。
特に、平和憲法と呼ばれてる9条は、暴力の連鎖を断ち切り、人類の進むべき道を指し示す、世界にも誇れるもの。
それが、戦争がしとうてしとうてたまらん、あの男らのような輩には、邪魔でしゃあない。
わたしら主権者は、今ほどしっかりせなあかん時はない。
この今をうっかり過ごしてしもたら、過ちをまたくり返すことになる。
歴史の中には、往々にして、そういう繰り返しが存在してるけど、
くり返してええことと、絶対にくり返したらあかんことがある。
戦争に向かわされること。
知らんうちに巻き込まれてしまうこと。
もうそんな、世にも愚かな、悲しいことにならんよう、『焼き場に立つ少年』の写真を、心に血がにじむまで、刻み込んでほしい。
報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
ビデオは、残念なことに、この記事の画面に載せることができないので、以下の紫の文字をクリックしてください。
ぜひ、ビデオの中の現実を、みなさんの目で見てください。
お手間をかけてすみませんが、よろしくお願いします。
解かされた封印 〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI Dailymotion
(以下略)
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