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2013年5月 6日 植草一秀の『知られざる真実』
ゴールデンウィークの休日も最終日になった。
全国的に好天に恵まれた今年のゴールデンウィークをそれぞれに有意義にすごされたことと思う。
ゴールデンウィークが終わると、いよいよ本格的に参院選の季節に入る。
こどもの日の昨日は元巨人軍の長嶋茂雄氏と松井秀樹氏に国民栄誉賞が授与された。
長嶋茂雄氏は始球式のバッターボックスに入って意欲満々でバットを振った。
肉声であいさつもした。
日本全国の脳梗塞を患った人たちにも大いなるエネルギーを付与しただろう。
松井氏のあいさつは松井氏の人柄をそのまま表すもので、多くの人を感動させるものだった。
長嶋氏と松井氏の姿そのものは国民に力を付与するものである。
しかし、このイベントがほぼ100%、政治的目的で企画、立案、実施されたことにすべての主権者が留意するべきだ。
日本のマスメディアは数が限られ、しかも、ごく少数の資本がテレビ、新聞、ラジオを系列で支配してしまっている。
この電波産業は寡占集中で、しかも行政権力の支配下に置かれている産業だ。そのため、基本的にその大半が御用メディアに堕落してしまっている。
主権者の情報入手経路がマスメディアに集中しているため、マスメディアが情報を操作すると、その影響が極めて大きくなる。
さらに問題なのは、日本の主権者がマスメディアの情報を鵜呑みにしてしまう傾向を強く持つことだ。
青山貞一氏がネットに公表しているマスコミ鵜呑み度の国際比較を見ると、日本人のマスコミ鵜呑み度が群を抜いて高い。
これは私たちの実感とマッチするものである。
メディアの発する情報を主体的に読み解き、その真贋(しんがん)を見分け、活用する能力のことをメディアリテラシーと呼ぶが、私たちはメディアリテラシーを涵養(かんよう)しなければならない。
メディアに踊らされてはならないのだ。
日本人のメディアリテラシーが低いとされる理由のひとつがメディア側の状況にある。
メディアの側が大政翼賛状態で、おしなべて権力迎合であるため、すべてのものごとに対する多種多様な意見が提示されていないことが最大の問題である。
メディアがそれぞれの立場から多種多様な見解を示し、政治権力に対して堂々とものを言う姿勢が示されていれば、ものごとに対して、多様な角度から批評し、認識する力が国民にも備わってくる。
ところが、日本ではほとんどのマスメディアが既得権益勢力に迎合し、礼賛の報道を展開するから、国民の多くがその多数意見に身を委ねてしまうのだ。
そして、日本の教育は個性を育てることよりも、個性を封殺することに重点を置いてきた。
学校の方針、上位に立つ者の方針を従順に受け入れ、これに従う人間をつくることが目指されてきた。
それでも、日本国憲法や旧教育基本法には個人の尊厳、ゆたかな個性の重要性が明記されてきた。
しかし、本当の意味での民主主義の推進は1947年で中止され、1947年以降は日本国憲法や教育基本法の規定とは裏腹に、個性を削ぐ教育が実行されてきたのである。
2006年に安倍政権が誕生して、教育基本法が大幅に書き換えられた。
名実ともに、個性を削ぐ方針が固められ、さらにいま、憲法までをも改正して、個人を国家が統制する方向に日本の基盤が変更されようとしている。
参院選を間近に控えて、安倍政権はますますメディアを活用した情報操作を強化することと思われる。
日本の主権者はその策略を見抜き、本当に大事なことは何であるのかをしっかり吟味しなければならない。
メディアリテラシーの問題を考察するための恰好の素材がいくつも存在する。これらの素材を改めて吟味してみることが大切だ。
三つの素材をあげておこう。
第一は、2010年の民主党代表選で本来圧倒的に優勢であったはずの小沢一郎氏が代表に選出されなかった事案
第二は、2012年12月総選挙で、未来の党の議席が激減させられた事案
第三は、昨年12月総選挙、本年7月参院選で、本来主要争点として掲げられるべきテーマが陰に隠されている事案
である。
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