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2013年5月 5日 神州の泉
前回エントリー「昨年12月19日の衆院選SP番組(動画)で傾聴に値する論者は佐藤ゆかり氏だけ」の続きである。これは大田弘子氏、中島厚志氏、佐藤ゆかり氏、金子洋一氏、松田公太氏などが出て、政権運営や政策などの問題点を語る討論会の動画だが、内容だけを抽出すれば、有識者らしい各論を展開できたのは佐藤ゆかり氏だけであった。
神州の泉がとくに興味を持ったのは、佐藤ゆかり氏が語った“規制改革”と“TPP”に関する部分だった。出演者の一人である中島厚志(経済産業研究所理事長)氏は確信犯的なTPP推進論派である。
討論会と少し離れるが、中島厚志氏は、「TPPは消費者の強力な味方 供給者目線だけでTPPを見てはならない」という記事で、エンゲル係数(家計消費支出のうち飲食費に回る割合)が高い日本では、輸入関税が撤廃されたTPPに参加すると、家計に占める食品の値段が下がり、現在23%近くあるエンゲル係数が欧米並みの16%くらいになるからと、消費者利得のプラス面を強調する。
しかし皆さんもご存じのように、この論法には致命的な欠陥がある。日々の命を養う食品が安ければいいのか?ということと、本当に安くなるのかという話なのであるが、中国の有害食品の事例でも分かるように、例えばポストハーベストや現地生産時の農薬過剰問題、不衛生な食品など、国を問わず、輸入食品には税関検査の間隙を縫(ぬ)って、危険な食品が入ってくるリスクが常に付きまとう。
TPPが解禁されると、モンサントに由来する人類生物学的に危険な遺伝子組み換え食品(野菜やフルーツ、加工食品等のGMフード)が大量に入ってきて、日本国民はそれを恒久的に食べ続けるという悪夢が到来する。しかも安いのは初期だけであり、国内では外資比率が半分以上になった食品会社や流通会社によって食品の寡占状態が価格を吊り上げ、われわれは恒常的に値段の高い有害食品を毎日食卓に供せざるを得なくなる。ほとんどの納豆や豆腐が遺伝子操作されたGM(genetically-modified)大豆で作られる。加工食品や調味料などもGM加工されたトウモロコシなどで作られることは盲点である。
中島厚志氏は、「政府試算では、TPPに参加することでの最大の受益者は輸出企業ではなく、消費者となっている。TPPがもたらす経済効果は、消費(GDPを0.61%押し上げ)が輸出(同0.55%押し上げ)を超えて最も大きいとの結果だ。」とも言っている。
このように、参加した場合の消費者受益を謳っているのだが、これは推進派の近視眼的なごまかしである。圧倒的な受益効果を受けるのは輸出入を扱う大型外資系企業だけである。消費者は産地表示の撤廃などによって、安全や健康の側面から食品を選択する自由が奪われ、アメリカによる安全基準の引き下げによって、毒物を慢性的に摂取する食生活を強いられる。
この食の地獄から解放される日本人は、わずか数パーセントの金持ち階級だけだろう。中島厚志氏も語り口は紳士的で一見論理的に見えるが、言っていることは太田弘子氏と同様に、外資系企業の国内参入を加速すれば、国内雇用率が上がり、日本の産業競争力が磨かれ、今までの低成長がプラスに転じて行くという、新自由主義者特有の恥知らず論法である。
雇用に関しても、グローバル資本に都合の良いように日本の社会制度が根っこから改変されるために、格差社会が急拡大し、数パーセントと九十数パーセントの二極分化社会が固定化される。アメリカが日本の第一共通言語を英語にすると考えているのは本気だ。井尻千男氏が言うように、言語はその国の文化の集大成というべき、国家及び国民のアイデンティティであるから、これを英語に切り替えることはわれわれ日本人が自己同一性を喪失することである。
TPPは日本人が日本人でなくなる日本改造を含む破壊的な条約もどきであるが、これは60数年前の占領期を想起する。この形は正統な大日本帝国憲法から欺瞞の日本国憲法に強制的に変えられたことと同じ位相を持っていて、TPPはアメリカによる第二の日本占領統治の意味合いがある。ただ、当時と本質的に異なるのは、統治主体がGHQではなくアメリカ・コーポラティズムを主導するグローバル資本だということだ。
統治主体がダグラス・マッカーサーという人間ではなく、多国籍企業という企業論理だけで動くキャピタリズムのモンスターである。この問題の基本部分を言うなら巨大資本という怪物には生命への畏敬が抜け落ちていることがあげられる。まさにTPPは日本にSF的な世界状況を現出させるのだ。TPPの危険性を知ってか知らずか、佐藤ゆかり氏以外の論客はあまりにも低レベルで能天気な言動に終始していた。
もしかしたら、この討論会は多勢に無勢で佐藤ゆかり氏の論鋒(ろんぽう=議論の勢いのこと)をやりこめるために設えたのではないかと思えてくる。司会者女性の偏向采配にそれを感じたが、結果的には佐藤ゆかり氏の独壇場であり、彼らの陰険な思惑は外れている。
これらのいい加減な新自由主義論陣に対し、佐藤ゆかり氏は孤軍奮闘して、唯一まっとうな論旨を展開していた。
佐藤ゆかり氏は、規制緩和の議論において、電力の自由化について話が及んだ時、原発、水力、風力など電源のベストミックスなどを提起していたが、電力は交通網と似て、基本インフラだから需要が一千倍、二千倍と増える規制緩和とは性質が違う、全体のパイを考えた時、規制緩和には需要が増えるものと需要が値下げに対して追いつかないものがあるので、その部分を峻別して議論する必要があると、言わば経済論的な規制緩和峻別論を述べた。
佐藤ゆかり氏はもう一つの重要な峻別論を提起している。それは国家安全保障上の規制緩和峻別論であった。規制改革(規制緩和)についての佐藤ゆかり氏の認識は、小泉政権時代から神州の泉が考えていたこととまったく同じだ。規制そのものは国家構造論と不可分の繋がりがあって、国民や弱小企業を守る国家の責務として出てきたものだ。これは「修正資本主義国家論」とも関わっているが、今回はそれを説明しない。
したがって、規制とは少数者国民を守る憲法理念とフラクタルな自己相似性を持つ。これが政治行政に反映したものが数々の規制なのである。憲法改正には極度の慎重さを要するのと同様に、規制緩和は国民の安全と生活受益の観点から極度の注意を要するのである。この点を無視した規制緩和は、企業受益者と政治の癒着によって緩和方向が企業寄りになる。それはとりもなおさず国民や中小企業を危険にさらすことになる。このことは小泉政権で実証されたことではないか。
ところが、小泉・竹中・(太田弘子!?)政治路線は、国民の安全を考えた国家構造における「スタビライザーとしての制度と規制」を徹底的に粉砕した。民主党が政権交代に移る直前、小泉政権を糾弾していた経済学者の植草一秀氏を国家権力は敢えて投獄している。最高裁事務総局が植草一秀氏の収監をわざわざこの時期に選定した意味がお分かりだろうか。
それは米国に魂を売った国家権力が、民主党新政権による小泉・竹中構造改革の見直し、全体を総括することを最も恐れていたからである。植草一秀氏は小泉政権を総括し検証し直す作業に最も相応しい有識者である。米官業の権力支配者たちが政権交代局面で最も恐れたことは、小沢一郎氏が内閣総理大臣に就任し、その下で植草一秀氏が小泉政権の総括作業を行うイメージだった。
彼らにとっては、小沢総理大臣と植草一秀氏の組み合わせによって新政権の属性が決定されることを何としても回避したかったのである。だからこそ、検察とマスコミは政権交代前から小沢一郎氏の人物破壊を行って総理大臣の芽を摘み取り、植草氏を投獄することによって新政権始動時の勢いを削ぎ落したのである。
最も彼らが恐れたことの一つであった小沢総理の実現は阻んだが、小泉政権総括の最適任者である植草氏の力が新政権から除外されたのは、小沢・鳩山勢力を潰した議員たちの意志でもあった。神州の泉は当時、ある議員筋からその情報を得ていた。その情報の結論だけを言えば、「民主党内の総意として植草氏を入れないことが決められた」であるが、これは党内暗闘で反小沢派が勝ったことを意味し、結果的には鳩山−小沢ラインが駆逐される予表となっていた。これを知らされたとき、神州の泉は暗澹たる思いに駆られていた。
国民の生活を守ることを政治行政的に表現するなら、それはセーフティネットの構築・保持である。ここで佐藤ゆかり氏の話に戻るが、佐藤ゆかり氏は規制改革のジャンルにおいては、規制緩和には破壊的な方向性と経済活性を招く方向性の二種類があり、これを峻別しなければならないという考えを持つ。
政治家として至当な考え方である。政治家は国民の生活と安全を守ることがその職責の枢要部分を占める。ならば規制改革に手を付けるときは、慎重にも慎重の上に行う必要がある。小泉政権にアメリカ型コーポラティズムの思想が鮮明に出ていたのは、「規制改革・民間開放推進会議」を主導した宮内義彦氏らの手腕であった。
ここで行われた規制緩和が、国民ではなく己の企業と多国籍企業の受益だけに向いたことは間違いないだろう。だからこそ、こういうものや政策一般、りそな問題も含めて植草一秀氏が総括的にそれらの問題点を詳細に分析し、国民受益の方向性を明らかにする手順が必要なのである。このことは今後も同じである。
構造改革や規制改革の言葉だけが厳密な定義のないままに独り歩きし、竹中平蔵氏や安倍晋三氏のような新自由主義者に利用される方向性が常態化してしまった今、佐藤ゆかり氏が語った規制緩和の「正悪2分説」の絶対検証が有効なのである。このような重要なことを佐藤氏が語りだしたとたん、頭の悪い連中が品のない吼え声を上げている.
さて、最後に本記事の標題『佐藤ゆかり氏はエクソンフロリオ条項の話を寸止めした!?(寸止めされた!?)』の意味を説明するが、佐藤ゆかり氏は規制改革の話題の中で、ある方向性の規制緩和は外資の危険性を招来すると言った。彼女は米国オレゴン州の風力発電を中国が買収しそうになったとき、オバマ大統領の一喝がこれを阻止したことを挙げ、規制緩和と国家の安全保障が不可分の関係を持つことを強調した。そしてこのことはTPPとも関連すると言い始めていた。
佐藤ゆかり氏が展開し始めた極めて重要なこの論点を、馬鹿な女性司会者が話題を財政再建に強引に変えて貴重な展開が阻害されている。佐藤ゆかり氏は安全保障の問題とからめて、2012年9月28日に米国オバマ大統領が中国による米国の風力発電の買収を大統領権限でストップをかけた事実を引用しているが、これは紛れもなく「エクソン・フロリオ条項の発動」そのものである。
佐藤ゆかり氏は非常に賢明な女性なので、当時、完全対米隷属に進み、TPP大推進の可能性を予測できた安倍政権下で、エクソン・フロリオ条項を直接口にすれば、中川昭一氏と同様な運命に落とされることを知っていたと思われる。TPPの本質を思えば、小泉政権時代よりもおそらく今現在の方が、エクソンフロリオ条項を口にする政治家が、命もろともその政治生命を絶たれる可能性が高くなっている。
今の政治家にとって「エクソンフロリオ条項」を公的な場所で言挙げすることは間違いなく「秒殺案件」なのである。だからこそ佐藤女史は極めて注意深くその言葉を寸止めしたのか、あるいは馬鹿な女性司会者(コントロールされているのか!?)が、その話題を強引に打ち止めしたのか分からないが、少なくとも規制改革の話題がエクソン・フロリオ条項まで進むことが遮断されたことは確かだ。
多分、これは番組側プロデューサーの打ち止め意志だろう。なぜならこの女性司会者は、佐藤ゆかり氏がオバマ大統領の件がTPPとも関わってくると言っているにもかかわらず、一旦規制改革のテーマを打ち切り、すぐにTPPの話題に移っているのである。各論テーマを強引に切り替えることによって出したくない論説を潰したのである。この番組を企画した連中が止めたと考えるのは的を射ているかもしれない。
エクソン・フロリオ条項に興味がある本ブログの読者さんは、すでにお気づきだと確信するが、日本の視点から眺めれば、日本版エクソン・フロリオ条項は、TPPの心臓部であるISDS条項と正反対の概念なのである。この文脈から佐藤ゆかり女史が中川昭一氏と同様に本物の国家防衛観を持つ希少な議員さんであることが見えてくる。
安倍首相がニセモノの愛国者であるのは、TPPとエクソンフロリオ条項の対比関係を無視してTPPに突っ走っていることにある。それにしても佐藤女史を囲む連中の低レベルさには辟易する。ダブルバインド思想の売国安倍政権に佐藤ゆかり女史や城内実議員が在籍していることは問題がある。平沼赳夫議員や西村眞悟議員が「日本維新の会」に所属することも同じである。これらの方々が対米隷属を強化する政党に属しているのは悪い冗談というか、神州の泉は悲しい。
衆院選SP動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1961750
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