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2013.05.04 偽薬「アベノミックス」に麻痺する批判精神(リベラル21)
http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/264.html
投稿者 gataro 日時 2013 年 5 月 04 日 12:54:31: KbIx4LOvH6Ccw
 

2013.05.04 偽薬「アベノミックス」に麻痺する批判精神
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2367.html

 これが天皇元首化を目指す議員たちの姿なのか。4月28日の「主権回復」を祝う政府式典で、天皇陛下退席の際に、国会議員たちが「天皇万歳」を三唱し、檀上の安部首相や麻生副総理もそれに加わったという。主権在民国家の行事に、いったいこれは何なのだ。
軍事主権をアメリカに掌握されたままの日本が何をもって「主権回復」と考えるのか、この式典はいったい何を祝う行事だったのか。政府与党のたんなる示威行為だったのか。天皇の元首化で天皇制国家に戻ろうという自民党の憲法改定路線の行く末を示しているのだろうか。そうだとすれば、時代錯誤も甚だしいし、そもそも戦後憲法はこのような天皇の政治的利用を許していない。このような時代錯誤の醜態に日本のメディアも国民も反応が鈍い。メディアも国民も「アベノミックス」などという「偽薬」を嗅がされて、批判精神が麻痺しているのではないか。

「靖国集団参拝」は政治運動

 ニューヨークタイムズやワシントンポストが懸念を示し、「不必要な民族主義の誇示」と批判された大臣や国会議員の靖国神社参拝は、今に始まったことではない。そもそも政治家が集団で宗教的施設を訪れることが信仰行為であるはずがない。議員の「代理」が参加しているようだが、信仰に「秘書代理」などあろうはずもない。これこそ政治的な示威行動だということを雄弁に物語っている。アメリカのメディアの指摘を待つまでもなく、「靖国参拝運動」は偏狭な民族主義の示威行動である。
今どき集団で政治家が宗教施設や擬似的信仰施設に参拝する光景は、イスラム教が支配する国家か、個人崇拝で支配を図る独裁国家でしかみられないものだ。私的な団体ではなく、政権政党が率先して行う行為ではない。これでは「将軍様」を崇拝する民族を嘲笑する資格などない。同じ穴の狢(むじな)というものだろう。
 「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」。一人で靖国に行けないから集団で行く。なぜ一人でいけないのか。後ろめたいことがなければ、一人で静かに参拝したらよい。他意があるから、後ろめたいのだろう。はっきり言いたいが、公言できない。「大日本帝国は中国や韓国を侵略したのではない、アジア民族を欧米の支配から解放する聖戦だった。お国のために聖戦で命を失った同胞の御霊を鎮魂することのどこが悪い」、と。戦前の帝国主義的侵略にはすでに歴史の審判が下っている。それに真正面から異を唱えることができない。だから、いじましくも、これ見よがしに、「みんなで靖国に参拝して」、日本の戦争行為が正当性を主張したいのだ。安倍政権の再登場で、天皇制国家への回帰を日本の伝統と考えるアナクロニストが勢いを得ている。
 日本の侵略戦争という歴史的事実をどうしても認めたくない安倍首相は、「侵略の定義は学界でも定まっていないし、国によって異なる」と本音を暴露した。この非常識で天皇制国家を復活させようという時代錯誤は、いったいどういう思考構造から生まれているのか。大方、政治家安倍晋三の思考はそれほど複雑なものではなく、「侵略や従軍慰安婦などの負のイメージは、日本民族を末代まで傷つける言いがかりだ」、「日本民族の歴史に泥を塗るような自虐史観からは脱却しなければならない」という程度のものだろう。負の歴史から学ぶことなく、負の歴史を否定することに、「政治家安倍晋三」の真骨頂があると信じ込んでいるようだ。
今の政治状況が危ういのは、このアナクロ主観主義的歴史観を「素晴らしい歴史認識をお持ち」(橋下維新代表)と高く評価し、安倍政権をアシストする「野党」がいることだ。政権与党と一緒に改憲に突っ走る翼賛政治が始まりつつある。

自民党が目指す天皇制国家


 自民党の憲法改正草案を読むと、憲法前文の構造に根本的な変更が加えられている。現在の前文は、戦前の天皇主権国家からの決別を明確にするために、なによりもまず主権が国民にあることを謳っている。しかも、主権在民を明確にするために、前文には「天皇」への言及が一切ない。きわめて明瞭な規定だ。
 これにたいして、自民党の改正案はまず冒頭の文言で、「日本国は…….天皇を頂く国家であって、国民主権の下……三権分立に基づいて統治される」と規定する。さすがに国民主権に触れざるを得ないが、この文言では「国民主権」は従の位置を占め、「天皇制が日本の伝統的な国家形態である」が主たる規定になっている。しかも、三権の長が一緒になって「天皇陛下万歳」を三唱している姿を見ると、三権分立もまた天皇制に従属するもののようだ。まさに憲法前文の書き換えは、自民党政治家の天皇制への懐古意識を明瞭に表現している。
 民族意識の高揚のために。日本に残されている唯一の手段が天皇制である。中国は共産党、北朝鮮「将軍様」を「国民支配(統合)」の手段としているのに対抗して、天皇制こそが国民を統合する力にしなければならないと考えているようだ。自民党の政治家たちが本当にこのようなことを信じているのか、あるいは中国や北朝鮮のイデオロギー政治への対抗イデオロギーとして利用しようとしているだけなのか。その真意は政治家によって異なるだろうが、天皇制国家を正当化するために、日本は古代から天皇制国家だったということ強調して、天皇の権威の復位を狙っているようだ。
「ネット右翼」の応援に気を良くして憲法改正に意欲を示ししている安倍首相の最近の言動や、「靖国参拝」や「天皇陛下万歳」などの動きを見ると、これらの政治家のかなりの部分は本当に天皇制国家への回帰を望んでいるように見える。しかも、安倍首相を始め、戦後教育を受けた若い政治家も天皇制国家を主張しているようだから、自民党が批判する「戦後教育の弊害」などなかったのではないか。

天皇の権威の復位

 憲法改正案「第一章 天皇」は、「天皇は、日本国の元首」という規定で始まる。現在の憲法規定でも国家の法的形態から言えば「立憲君主制」であり、国際的慣行からも天皇は「元首」として扱われている。しかし、現行憲法は天皇をことさら「元首」と規定せずに、「象徴」とだけ規定している。「元首」と「象徴」の違いは何か。後者が純粋に形式的な存在であることを強調するのにたいし、前者は実質的な統治の可能性を内包した規定である。「元首」として規定することによって「天皇の権威」を高め、「天皇」への忠誠心を高めることが要請されている。だから、第一章第三条で「国旗及び国歌」規定を新設することによって、天皇崇拝の要件が明記される。
 日章旗と「君が代」が法律で定められてから教育現場で混乱が起きているが、自民党は「国旗国歌法」を憲法にまで引き上げることによって、その強制力を高めようとしている。「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」。この憲法改正案が成立すると、「君が代」を謳わない人はたんなる職務違反では済まない。憲法違反に問われる。私などは物心がつき、「君が代」の歌詞の意味を知ってからは、「君が代」を歌ったことがないが、「君が代」を歌わないことが憲法違反になるような息苦しい社会に戻りたくない。日本村の密告社会を想像すると、この憲法規定が及ぼす影響はきわめて甚大だ。

「お上」に忠実な人々

 欧米社会では法律や憲法の具体的運用にかなりの許容度がある。とくに思想信条にかかわるものへの権力的規制は抑制されている。日本では事が思想信条にかかわる問題となると、途端に窮屈になる。先進国の中でもとくに日本社会は相互監視の習慣が根強く残っており、些細なことでも新聞の社会面に掲載されるほどだ。欧州では絶対に記事にならないことが、日本の全国紙の社会面の記事になっている。
「駅のコンセントを使って携帯電話の充電をしている人がいる」と交番に「告げ口」して、警官が駅に駆けつけたという信じられない記事も新聞に掲載されていた。線路沿いを通りかかった人が「貨物列車の運転士がパンを食べながら運転している」とJRに伝え、運転士が特定されたという記事にも驚いた。日本人の勤勉さや仕事の繊細さは褒められることだが、権力に従順であることを善として、物事の軽重をわきまえずに何でも告げ口すれば、社会の息が詰まってしまう。
 大阪の終業式で、口パクで「君が代」を歌っている教師を摘発したという記事が、最近の全国新聞に掲載されていた。こういう摘発を専門にやる人がいるらしい。まるで北朝鮮の人民監視のようだ。摘発係も管理職もご苦労なことだと思うが、自分たちのやっていることの無意味さや馬鹿さ加減に気付かず、教育長や首長の命令を一生懸命に果たそうとする姿は恐ろしい。無批判に「お上」の命令を実行する姿こそ、「聖戦」の名のもとに、軍国主義に突っ走った戦前の日本の姿ではないか。
 今のところ、「君が代」の強制力はまだ公立学校に限定されているが、これが憲法規定となれば、公立学校だけの規制に留まらなくなる。今の自民党政権が続く限り、「君が代」を歌わない人は、「憲法違反の非国民」として断罪されることは目に見えている。その摘発に精を出す日本人は幾らでも出てくる。中国や北朝鮮だけが人民監視の独裁政権なのではない。自民党が狙う「天皇制国家」は同じアジア的専制主義と同族だ。目くそ鼻くその類だ。
 天皇が元首ともなれば、「君が代」監視だけでは済まない。少なくとも公立学校には日章旗とともに、天皇陛下の「御真影」が飾られよう。今では公式行事で日章旗に頭を下げるのが一般化しているが、少なくとも公立学校へは元首となる天皇の御真影が配られ、行事ごとに御真影への敬礼が強制されよう。御真影への敬礼を欠くのは憲法違反になるから、より強い監視の目が光る。天皇制を実感させるためには、こうやって天皇の権威を誇示する以外に方法がない。安倍自民党ならやりかねない時代錯誤の企みである。
 昭和天皇の死去の際、日本は一瞬、戦前国家に戻ったようだった。当時、私は在外大使館に調査員として勤務していた。天皇の死に至るまで数カ月、大使は毎日2度にわたって館員を集め、ほとんど無内容な天皇の病状の説明を繰り返し報告した。館員はみな聞き流していたが、「万が一の時には、心構えをしっかり持つように」というのが、大使の口癖だった。弔意受付が終わった後、公邸の「御真影」にお参りするよう、大使から通達があった。公使に「私は行きません」と伝えたが、大使に直接言ってくれないかというので、「思想信条により、天皇の写真に頭を下げることはできません」と大使に直接伝えた。その時は何も言わずにきょとんとしていたが、後で「あれはアカだ」と言いふらしていたようだ。「私がアカなら、貴方は何ですか」と聞くのも大人げないが、私の場合は嘱託だったから大使も強制させることはできなかった。だが、ふつうの外務公務員は大使の意向に逆らうことはできない。逆らえば、帰国命令を出される可能性があるからだ。「敬礼」一つで、人の人生も左右される。

 象徴天皇制下ですらこれだ。もし天皇がたんなる象徴ではなく、「元首」ということになれば、元首にたいする不敬は公務員と非公務員とを問わず、一律に憲法に違反する「不敬罪」になるだろう。こんなことにならないように、日本に住んでいる人にはもっと頑張っていただきたい。


 

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コメント
 
01. 2013年5月04日 13:21:36 : plsk27d8TE
下痢ゾウの狙いは
長州下痢ゾウ幕府の創設だろう
佐藤岸家の世襲を狙っていいるのだ
昭和の妖怪岸の孫として
総理になれなかったおやじを超えて
爺さんの岸信介以上の地位になりたい
民主主義は下痢ゾウにとって一番嫌いなのだ
危機感をもった有識者が立ち上がらなければ
今度の参院選が最後の選挙になりそうだ
ナチスや共産独裁政権は一度の選挙で
過半数を握るとその後民主的選挙を一切しなかった
下痢ゾウのような国家主義者はやりそうに思える

02. 2013年5月04日 14:12:57 : jQgF20NQ5g
尖閣諸島は竹やり女子挺身隊に守ってもらいましょう。

03. 2013年5月04日 15:04:43 : 2CkocU81La
北朝鮮と変わらないだろ。

どこが北朝鮮と違うというのか?

それどころか北朝鮮以上に酷くなる可能性大。


04. 2013年5月04日 15:10:24 : vgQVMWdybs
 小学生の漢字も書けない低能・安倍晋三を党首にした今の自民党の政治屋は、芸能タレントに無中な馬鹿な子供のレベル。
政治家と呼べる類いの人間では無く「烏合の衆」だな。

05. 2013年5月04日 16:05:32 : LE7gnVrWZE
こんな幼稚な真似をしたところで、所詮は、幾らでも、世界中から安倍総理なんか馬鹿にされても当然のことだし、むしろ、喜んで、「どうぞ日本の安倍総理を幾らでも馬鹿にしてやって下さい」とでも煽ってあげたいし、こんなところにしがみつくことしか出来ない日本の権力者というのも、極めて強欲で、幼稚で傲慢な、自分達の面子のことばかりしか考えないだけの、臆病なボス猿に過ぎないし、これに従うことしか出来ない右翼連中というのも、使い物にならない間抜けな猿に過ぎないという真実に辿りつけば、検閲的野党に過ぎないとは言え、共産党からしても、相手にしないどころか、幾らでも馬鹿にされても当然のことだし、それこそ、日本から逃げていかれたとしても、もう生きて行けなくなっても構わないのだし、だが、さすがに、叩き潰す様なことはしたくは無いし、だからと言って邪魔されるようなことをされれば、もう何も言いたくは無いし、議論なんかしたくも無いし、一切相手にしたくも無いし、それこそ、中国を見倣って、上手く騙されたふりをして、そっと静かに離れて行く様にすることで、「どうぞ、安倍総理と運命を共にしてくれるお友達と共に、何処か人目のつかないところで、そっと静かに幸せに暮らして下さい」という程度に言ってあげることで、幾らでも泣き崩して堕落させ、次第に雲散無消させて行く様にして参りましょう。

06. 2013年5月07日 07:21:57 : EA1aIGBIa2
わたしも自民党小泉→安倍の憲法改憲の精神的資質を著しく欠く草案には
絶句していますが。国民主権、基本的人権、国民が政府に対し守らせるべきこと
の法の上の法を改ざんしようとするアベコベ憲法で
バカの真骨頂です。片山さつきがなぜ憲法を論議するのか、
下記の最後の
小野寺光一氏の解説も見ものです。
ですが!★
アジア解放、侵略(全否定は出来ないにしても)
、東京裁判、サンフランシスコ講和条約で
すべては無いと総括された。
など20世紀の歴史家、思想家、2番目のバール判事の
判決文など
占領国民によって抹消消去された
日本という国の正しい履歴を掘り起こすべき
時が来ていますよ。
戦後知識人の日本原罪史観は日本の子どもたちに
日本を後ろめたく思考させ、国に誇りを持てず
アイデンティティを失わせます。
それ以下でもそれ以上でもない真実を探す必要が
あります。
紹介者の方は筆者にも以下を是非伝えていただき
レトロな日本史観を考えなおしてもらってください。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/daitoasensoco/neozionismnotainithisenryakuco/gunzisaibanco/tokyosaibanco/paaruhanjinoronrico.htmhttp://nandakorea.sakura.ne.jp/html/daitoua.html http://www.google.co.jp/search?q=%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%80%80fake+%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E7%89%88&hl=ja

http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/281.html


07. 2013年5月07日 15:05:07 : aHFznFyPMc
引用先リンク不調のため
一部引用

パール判事の判決文も検索して下さい


H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた 短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人 が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜな ら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西 洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)

ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英 と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示して くれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )

バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像 し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはそ の生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を 受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大 の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所)

ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)
日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本 には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れてい た。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)

ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))
ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的 を達成させた。

ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続け ている。

日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。 今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は、日本占領 期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返 せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略) さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南 アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房 、256〜7ページ)

ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)
すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというよう な思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したので ある。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政 教社、147,151頁)

ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略) インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独 立戦争を戦う際の基盤となった。日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。

ラグ・クリシュナン(インド、大統領)
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東 洋人でもやれるという気持ちが起きた。(昭和44年「日本経済新聞」)

ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3〜2 0年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた 。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわ かるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実 の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけには ゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)

グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)
このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は 日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。 インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ 東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。 インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。(1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関 長に対する挨拶)

ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代インド首相)
チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった・ ・・・彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。(貝塚茂樹編『民族解放の星』講談 社、253〜4頁)

アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦 争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運 動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに 、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのであ る。(「魂を失った日本」未央社、57〜65ページ)

ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、 日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は 決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ること ができた。

ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)
日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あ の大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。 大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」

さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。 「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押され ぬアジアの経済大国ではありませんか。『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、 アジアの国々のこれは本音なんですよ。かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、ア ジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。この尊い戦争の遺産を否定する ことは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)


朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に 断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組 んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待 つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東 亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても 強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。 戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝った のであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死 者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

朱 耀翰 {韓国 元国会議員 ゴーマニズム宣言第六巻p232}
「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの 国だ?黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二 千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」

ニミッツ元帥(アメリカ 太平洋艦隊司令長官)
この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!

スリム中将(イギリス第十四軍司令官)
たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろ う。(「敗北から勝利へ」)

かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何な る陸軍も知らない。(同書)

蒋介石
ラモウ・騰越を死守しある日本軍人精神は、東洋民族の誇りたるを学び、範として我が国軍の名誉を失墜せざらんことを望む

ベルナール・ミロー(フランス ジャーナリスト)
これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてし まったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。(『神風』)

引用・参考文献 『「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編、展転社』
おまけ・終戦直後の新聞記事より

「国体を護持し得るか否かは、片々たる敵の保証(ポツダム宣言)にかかるのではなく、実に日本国民の魂の持ち方如何にかかる。特攻魂に端的に現れた七生報国の烈々たる気魄 は、我々がこれを祖先よりうけついだものであるが、これは永劫に子孫に伝えねばならぬ。日本国民が果たしていつの日に再生し得るかは、一に日本国民の魂がこの試によってい かに鍛えられるかによってきまるのである」

アジアの自尊心を守った日本
ある収容所でのお話を参照。(日本人経験談より)
イギリス人は糞をしてる最中に黄色人種が入ってきても平気。
落としたタバコを拾わすのにも、言葉を使わず、アゴで拾えの合図。
女性が全裸で部屋に居る時に、黄色人種が入ってきても平気。
(白人男性が入ってきたら大騒ぎ)
つまり、黄色人種は猿だったのです。

インドより東の国では、白人は何をしても許されると言う考えがあった。
東洋人に対する白人の対応は自然な物だったのです。
絶対的な差別主義。
東洋人は、人では無かった。

この絶対差別主義の世界を塗り替えたのが日本だった。
今でも、ビルマの建国記念日には、日本の「軍艦マーチ」「日本陸軍の歩兵の歌」が流れる。

フィリピンの独立記念のポスターにも、日本軍のポスターが貼られる。
インドのオールドデリー市街のチャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像がある。

アジア人の自尊心を守ったのは、日本だった。

インド、オールドデリー市街のチャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像
日の丸に注目。インドネシアの独立広場と独立戦争の作戦参謀、古閑政義氏

1995年にフィリピン、マニラ市内に張られたフィリピン共和国独立記念日のポスター
悪の枢軸と、欧米以外では日本は有色人種を解放したヒーローと学校で教育している。
アラブや、アフリカを旅すると、なぜ日本はアラブや、アフリカを解放してくれなかったのだ?
と、真顔で説教される。
が、日本の発展によって、有色人種差別は無くなった。
単一民族国家で世界最大の大国が日本である。
有色人種が愚かならば、EU諸国が日本より遙かに小国なのは説明がつかない。
そして、有色人種差別は無くなった。
もし日本がなければ朝鮮人は現在も奴隷であろう。
いや、有色人種は今でも奴隷だろう。

欧米で有色人種差別は無くなったが、日本人以外への有色人種差別はまだ根深い。。。。

たとえば、下記の写真や、ノーベル賞の授賞式を見ればいい。。。

日本以外の有色人種が、伝統的な民族衣装を着ることを許されるだろうか?
いや、許されない。

ビルマ独立の功績で日本陸軍工作機関のメンバーが授与されたビルマ最高の賞「オンサン(ビルマ独立運動闘士)の旗勲章」

日本はアジア解放の英雄として、アジア各国で勲章をもらっている。

パラオの日本軍

>>NAVERにて・・

パラオのKB-Bridge

【 KBブリッジ(パラオ)解説】
韓国の建築会社が製作したが1996年9月に崩壊しパラオを大混乱に陥れた。水道管とコロール島の半分に供給するための電線が通っていたため国民生活は危機に陥り,ナカム ラ大統領は国家非常事態宣言を発する事態となった。その後日本の無償援助でKBブリッジの再建が行われた。


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