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2013年5月 2日 植草一秀の『知られざる真実』
4月9日付ブログ記事に
「シンデレラの運命をたどってきた日本国憲法」
のタイトルをつけながら、その理由を示す記述がブログ掲載部分に収録されていなかった。
深くお詫びを申し上げたい。
日本の対米隷属・対米従属を批判し、米国に対する批判を提示する人々が日本国憲法の改正に反対するのはおかしいのではないかとの意見を聞くことがある。
日本国憲法は日本がGHQの統治下にあるなかで、GHQ主導で編纂されたものであり、そのGHQの中核を担っていたのが米国だからである。
この主張は一見もっともらしいが、実は『戦後史の正体』のうち、もっとも重要な部分に対する認識が欠け落ちている見解なのだ。
それは、1945年の日本の敗戦から1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効まで、GHQによる日本占領時代が7年間続くのだが、その間のGHQの対日占領方針が不変ではなかったことだ。
敗戦から2年を経過していない1947年前半に、米国の外交基本方針は激変した。これに連動して対日占領政策の基本方針が大転換したのである。
これがいわゆる「逆コース」である。
「逆コース」前と「逆コース」後で、GHQの対日占領政策は劇的に転換した。それは一言で言えば、「民主化」から「非民主化」への転換であった。
日本国憲法は「逆コース」前のGHQが産み出したもので、まさに「戦後民主化政策」の集大成と言えるものである。
しかし、この憲法が施行された1947年5月3日には、すでにGHQの対日占領政策の基本方針は変わっていた。
日本国憲法はその出生の段階から、完全な矛盾に包まれていたのである。
「民主化」路線を捨てて、「非民主化」の道を歩み始めた新たな日本統治者にとって、日本国憲法は言わば鬼子の存在であった。
しかし、戦後民主化の路線を敬愛する日本国民にとって、日本国憲法はかけがえのない、敬愛すべき存在になったのである。
この「戦後史の巨大な矛盾」を踏まえるならば、対米隷属・対米従属を批判する人々が日本国憲法を守ろうとし、対米隷属・対米従属の人々が日本国憲法を改正しようと行動するのは、極めて順当なことであると判断できる。
このことを念頭に置いて私は
「シンデレラの運命をたどってきた日本国憲法」
と表現した。
「日本国憲法」は米国が日本に産み落とした嫡出子であったが、その後に不幸な運命に遭遇したのである。
「日本国憲法」の生みの親であるマッカーサー元帥が大胆に推進した「戦後民主化」の方針が米国の外交方針転換によって後ろ盾を失ったのである。
良家に生まれた美しく優しいシンデレラは、若くして両親を失い、意地の悪い継母と義姉に虐げられた。
マッカーサーの日本統治は、ある種の理想主義に基づくものであった。
大戦終了直後のGHQは、徹底した民主化と平和主義を戦後日本の統治の基本に置いた。
このなかで「日本国憲法」が編纂された。
しかし、この憲法が施行される1947年に米国の外交方針が大転換し、「日本国憲法」がその外交方針と相容れないものになった。
「日本国憲法」は米国が生み出したものであったが、施行された1947年5月にはすでに米国の新外交方針であるトルーマン・ドクトリンとは相容れぬものになったのである。
敗戦当初のGHQ統治において、主導権を担ったのはGHQのCS=民生局であった。マッカーサー、ケーディス、マッカートなどが主導権を握り、理想主義的とも言える日本の新しい国づくりが模索された。
GHQのなかではCS=民生局が主導権を握っていた。
日本国憲法はこのラインのなかから産み出されたものである。
ところが、1947年にトルーマン大統領が新外交方針を提示する。
「ソ連封じ込め」の戦略である。
米国は日本を反共の防波堤にする方針を固めた。
連動して対日占領政策の根本が転換されたのである。
この意思を受けて新たにGHQ内部で主導権を握ったのがG2と呼ばれる参謀2部であった。参謀2部のヘッドを務めたのがチャールズ・ウィロビー少将である。
GHQ内部ではCSとG2の対立が激化し、対日占領政策をめぐっては、マッカーサー総司令官とトルーマン大統領の主張が対立した。
結局、マッカーサーはトルーマン大統領に実質的に更迭されて日本を去る。
G2は対日占領政策を大転換するために、あらゆる謀略を実行したと見られる。
これを取りまとめたのが松本清張の『日本の黒い霧』(上・下)(文春文庫)
である。
このG2と結んで、日本の対米隷属=対米従属の道を確立したのが吉田茂なのだ。
だから、吉田茂が対米隷属の父なのである。
日本における種々の政治謀略と対米隷属勢力の跳梁跋扈の原点はすべて1947年に始まる「逆コース」にある。
この流れを正確に理解しておかないと、現在の改憲問題を理解することができない。
そして、もちろん、最後にシンデレラ=日本国憲法を守るのは日本の主権者である。
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