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「“エネルギー貧国”幻となった東京五輪 2020年に原発は何基…
産経新聞 4月29日(月)15時0分配信
2020年の夏季オリンピック招致に東京都が立候補している。トルコのイスタンブールとスペインのマドリードも名乗りを上げている。
今秋の決定に向けて気がかりな要素のひとつが電力だ。7年後、首都圏の電力をまかなう東京電力の原発が何基、復活しているかわからない。
再稼働の可否は住民感情や知事の意向にも左右されるし、原子力規制委員会の判断が大きくものを言う。そのいずれも今後を見通すことが難しい。
現在、東電の供給力は火力発電の総動員でかろうじて維持されている。だが、今後も可能かどうかは予断を許さない。
国は、福島事故の責任の一切合切を東電に押しつけてきた。東電ばかりを矢面に立たせていると責任を全うする能力さえ危うくなり得る。原発を擁する他の電力会社の経営状況についても同様だ。
20世紀の後半以降、日本はエネルギー消費量を増やし続けてきた。敗戦国から経済大国への急上昇は、原発による電力供給なしにはあり得なかったはずである。それが福島事故で一転、マイナス面ばかりが強調されて四面楚歌の状態だ。
◆筏で炭を首都に輸送
東京には1940年のオリンピック開催を逸した過去がある。このときは「鉄の不足」で断念している。
戦局が厳しさを増していただけでなく、競技場の観覧席を造るための鉄が用意できなかったのだ。わずか600トンの鉄が思うにまかせなかった。
60トンという説もあるのだが、陸軍大将で文部大臣を務めていた荒木貞夫が東京市に開催中止を命じている。昭和13(1938)年のことだった。
このときの東京オリンピック開催は1936年の時点で固まっていた。東京市の係長、磯村英一がドイツに行き、ヒトラー総統と会見するなどして招致を成功に導いている。
磯村の回顧録によると、ヒトラーは「実に温和な感じ」だったが、握手した手は驚くほど冷たかった。「これが生きている人間かと思われた」と書いている。このとき、首都ベルリンでは民族の祭典として第10回オリンピックが開催中だった。
幻となった東京オリンピックから2年後の昭和17年9月、磯村は東京市の戦時生活局配給部長に任ぜられる。
当時、東京市民が使う燃料の大部分は木炭だった。岩手県に依存していた。貨車輸送もトラック輸送も困難になっていた。だが、炭なしに東京市民は冬を越せない。切羽詰まった東京市は苦肉の一策を思いつく。
筏による宮古(釜石説も)から東京湾への海上輸送だ。磯村は、東京・深川の筏師の腕を借りて成功させている。
大量の炭を積んだ筏を、どのようにして太平洋沿岸を南下させたのか。詳細は不明だが、エネルギー確保の切実さを物語る逸話である。
◆キンダーブックの炭
日本はエネルギー貧国であるにもかかわらず、現代では危機意識が希薄だ。おそらく教育のせいだろう。エネルギーという観点から物事を考える習慣が育っていないのだ。
キンダーブックをご存じだろうか。出版社のフレーベル館が戦前から出し続けている保育絵本だ。その昭和27年12月号を見る機会があった。
「すみ」についての特集号だ。当時の日本は世界一の木炭国であったという。冬には30万基の炭窯で40万人の男女が製炭に従事していたそうだ。
薪を炭にすると総熱量は半分に減るが、重さは乾燥材の3分の1から4分の1になるので不便な山奥からでも薪より有利に消費地に出荷できたのだ。
絵本には、紅葉の始まった山道を徒歩で登っていく一家の後ろ姿や、炭焼き窯での仕事の様子、雪の積もった連峰を背景に一人一人が炭俵を背負って谷川沿いの細道をたどり、丸木橋を渡って麓の村に下りてくる光景が描かれている。
大人向けの後記がよい。「火鉢の炭は炭焼きさんの骨おりで作られるものです。私達の幸福が多くの働く人々の労働のお蔭であることを、幼い子供達にも分からせたいものですね」
現代人が電気に依存しながら発送電の苦労については一顧だにしようとしないのと対照的だ。日々の発電における「同時同量」の意味と重要性を承知している消費者は、皆無に近い。
資源赤貧国・日本の電力供給力は回復に向かえるのか。(論説委員・長辻象平)」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130429-00000542-san-soci
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