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http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11521025238.html
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130430-00000010-pseven-soci
週刊ポスト2013年5月17日号 頁40 :大友涼介です。
欧米ではメディアを「ウォッチドッグ」(番犬)と呼ぶ。権力者が市民の権利を脅かそうとすれば、ワンワンと吠えて威嚇する役割を担うからだ。しかし、我が国では、安倍政権に一番吠えていたはずの朝日新聞が声を失い、いつの間にか「権力者の飼い犬」に変わってしまったかのようだ。クオリティペーパーを標榜する大新聞社の”変節”は、人気絶頂の政権への”降伏”を意味するか。
◇えっ、これが同じ新聞?!
この4月1日から朝日新聞朝刊の紙面に”異変”が起きた。20年以上続く、いしいひさいち氏の名物4コマ漫画『ののちゃん』の掲載場所が、社会面の左端から右端へと移動したのだ。
「ついに朝日も右寄りになったか」
そんな印象を抱いた読者は少なくないのではないか。
これだけなら笑い話であるが、朝日の面舵(右旋回)は漫画の位置だけではない。社説を時系列で読み比べると、安倍政権に対する批判姿勢を180度大きく変えていることがはっきりわかる。
かつて朝日新聞といえば、厳しい安倍批判が売りだった。
象徴的なのが、7年前に安倍氏が52歳の若さで自民党総裁に就任した際の、「安倍新総裁、不安いっぱいの船出」と題する社説(2006年9月21日付)だろう。
<これから新時代の政治が始まるという新鮮さがあまり湧き上がってこないのはなぜだろうか。安倍氏が前面に掲げたのは「戦後体制からの脱却」であり、祖父である岸信介元首相譲りの憲法改正だった。戦後生まれが戦後の歩みを否定するかのようなレトリックを駆使する。そのちぐはぐさに復古色が滲むからかもしれない>
そう疑問を呈し
<首相という大きな衣に体が合わないという違和感は続くだろう>
と、まるで”首相の器ではない”といわんばかりの書き方だった。
これが読者に馴染みが深い朝日の”安倍史観”ではないか。戦前の日本の他国への侵略と戦争責任を追及する論陣を張り、「自虐史観」とさえ揶揄されることがある朝日にとって、憲法改正や国防軍創設を持論とする安倍氏は”不倶戴天”の存在だった。
その後も、第1次安倍内閣の発足から半年後には、
<安倍政権半年 これが美しい国なのか>(2007年3月27日付)
そして安倍首相が政権を投げ出すと、
<安倍内閣に幕 右派政権の成果と挫折>(同9月25日付)
と”凱歌”をあげるなど、これでもかと安倍政権に批判的な姿勢を取った。
今回の安倍再登板に対しても、朝日は当初、スタンスを変えていなかった。安倍氏が戦争責任に関する河野談話や村山談話の見直しを掲げて昨年9月に総裁返り咲きを決めると、
<総選挙後にもし安部政権ができて、これを実行に移すとなればどうなるか。大きな不安を禁じ得ない>(2012年9月27日社説)と警鐘を鳴らしていた。
ところが、ここにきてその朝日の論調が一変した。これを読んでいただきたい。
安倍首相が、「強い日本。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です」と国民に呼び掛けた施政方針演説に対して、朝日は社説で、「施政方針演説 さあ、仕事をしよう」(2013年3月1日付)とエールを送り、4月5日には、「政権100日 難所はこれからだ」という社説でこう持ち上げているのだ。
<安倍首相が「経済再生でロケットスタートを」と宣言した通り、大規模な財政出動と金融緩和の「アベノミクス」を打ち出し、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加に道を開くなど、次々と手を繰り出した。首相の持論である「戦後レジームからの脱却」をひとまず封印し、最大の懸案だった経済再生に集中的に取り組んできた姿勢は評価できる>
べた褒めといっていい。
朝日はまるで安倍首相の方がタカ派の持論を封印したように書いている。しかし、安倍首相は、「7月の参院選は憲法改正を掲げて戦う」と国会で答弁し、連立を組む改憲慎重派の公明党の山口那津男代表から、「少し前のめりの感じがする」と苦言を呈されるほど意気軒昂なのだ。
明らかに、封印したのは朝日の安倍批判の方だ。
社説のアベノミクス礼讃ぶりも前言撤回が甚だしい。
読者は忘れてはいない。
朝日は昨年11月20日付の「金融緩和 安倍発言の危うさ」と題する社説で
<公共投資で財政を拡大し、その財源となる国債を日銀に引き受けさせていこうという感覚は理解できない>
とアベノミクスをこき下ろしていた。
これが憲法改正を社論にする読売新聞や産経新聞であれば、安倍政権をいくらヨイショしても違和感を持たない。
しかし、朝日新聞は『記者行動基準』に、「記者は真実を追究し、あらゆる権力を監視て不正と闘う」という基本姿勢を掲げている。「権力の監視」はメディアの重要な役割とされるが、3大紙で社の綱領や記者の行動規範にそれを明記しているのは日本のクオリティペーパーを自任する朝日だけである。
だからこそ、大メディアがこぞって安倍礼讃へとなびく中で、自民党政権に一貫して批判的な姿勢をとってきた朝日まで変質したことは、権力監視機構としての大新聞の終わりを意味しているようにも思えてくる。
ジャーナリズム論が専門の田島泰彦・上智大学新聞学科教授はこう指摘する。
「朝日は民主党政権誕生の時は明らかに応援の紙面を作っていたが、民主党政権がマニフェスト通りにやっているかの検証もしっかりやっていた。一方、今回の安倍政権に対しては、憲法改正、マイナンバーなど個別の政策に議論すべきテーマがたくさんあるのに、問題視しようとはしない。7年前の安倍内閣の批判姿勢とも、民主党への報道姿勢とも明らかに違う。安倍政権を応援するならそれでもいいが、報道姿勢を変えた理由を朝日は読者に説明するべきです」
なぜ、朝日は権力に擦り寄るような論調になったのだろうか。
◇安倍インタビュー”一番乗り”
安倍首相と朝日には因縁がある。NHK番組改編事件だ。「朝日にとってそれが”トラウマ”になっている」(同紙政治部記者)のだという。
この事件は、朝日新聞が2005年1月に、「NHK『慰安婦』番組改編 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」との見出しで報じた。NHKの従軍慰安婦問題番組の放映前、安倍氏が、「公平ではない」として番組内容を変えるように政治圧力をかけたという報道だ。
当時、自民党幹事長代理だった安倍氏は報道を否定して朝日の取材を拒否する抗議の姿勢を取り、両者の関係は決定的に悪化した。
その1年半後、安倍氏は首相に就任する。朝日のトラウマはそこから生まれた。
同紙の政治部記者が”苦悩の安倍政権時代”を振り返る。
「当時は安倍総理だけでなく、秘書官や官房副長官ら官邸まるごと我が社の取材に協力してくれない状況だった。安倍総理に食い込んでいた社がスクープを抜く中で、うちは記者が情報をつかんでも、裏が取れないから書けない。特オチもひどかった。事務所費問題で辞任した佐田玄一郎・行革担当相の後任に渡辺喜美氏が起用されたときは、完全に他紙に抜かれた」
記者クラブメディアにとって政権から情報を遮断されるのは死活問題だ。追い込まれた朝日は”相打ち”に持ち込もうとした。
「こっちも”だったら政権を潰してやろう”という気になる。当時、安倍さんは公務員改革で官僚の反発を浴びていたから、政権批判の材料なら官僚からどんどんリークがくる。官僚と仲良くなって、追い落としを掛けたら政権が本当に潰れてしまった」(同前)
第1次安倍内閣では閣僚のスキャンダルが相次ぎ、「官邸崩壊」と報じられて支持率が急降下した。その背景に官邸情報から干し上げられた朝日と、公務員改革を骨抜きにしたい霞が関の共同戦線があったことを物語る証言だ。
そんな朝日にすれば、6年後に安倍氏が再登板する情勢になったとき、”悪夢の再来”と背筋が寒くなったことは十分に想像できる。社説で安倍氏の自民党総裁返り咲きに「大きな不安を禁じ得ない」と書いたのは、自分たちへの”報復の恐怖”だったのではないか。
そこで朝日は先手を打って、安倍氏が総理になる前に手打ちに動いた。
昨年10月3日、朝日新聞に驚くべき記事が掲載された。就任したばかりの安倍総裁のインタビューが他紙に先駆けて載ったのである。「なぜあの朝日に」と他紙の記者たちを慌てさせたほどの”事件”だった。
その裏では極秘会談がもたれたという。安倍側近の一人が明かす。
「なんの挨拶もないまま安倍さんが朝日のインタビューに応じる理由がない。総裁選後に朝日の木村伊量・社長が安倍さんと会談した。安倍さんにとっても、総選挙を控えて朝日を敵に回したままではマイナスが大きい。言ってみれば朝日の詫びを受け入れたということだ」
この会談は、朝日の政治部記者の間にも伝わった。
「政治部は総裁選の前から、安倍さんに番記者を付けて関係修復を図ってきた。その集大成がトップ会談。そこで関係修復できたから、安倍さんが一番に我が社のインタビューに応じてくれた。おかげで他紙を出し抜けたし、7年前のような取材拒否にあわなくて済む」
手打ちの光景は朝日のインタビュー記事にも滲み出ている。記者の「安倍さんはメディアと対立することもありましたが、今後はメディアとどう向き合いますか」というわざとらしい質問に、安倍氏はどう答えたか。
「かなり画期的に変わったんじゃないですか。ハハハ。直接国民に訴える機会は、演説会なら多くても数千人。多くの人はマスコミを通して私の意見を知る。だから、それが正しく伝わるように努力をしなければいけないと思いますね」
朝日を手なずけた満足感かどうかはわからないが、そう高笑いしたのである。
それをきっかけに朝日と安倍氏は急接近していく。
ただし、完全な関係修復には”障害”も残っていた。安倍批判の急先鋒として知られる若宮敬文・朝日新聞前主筆の存在だ。
若宮氏は自民党と安倍氏に鋭く筆鋒を向け、自民党が下野する直前には、「泣いている自民党、だかた言ったじゃないの」というコラム(2009年7月16日付)で、
<お友達を集めた人事で失敗を露呈。続発する閣僚の不祥事や「消えた年金」の処理もままならずに参院選で惨敗(中略)だから退陣かと思えば、安倍氏は居直った末に体を壊して投げ出した。国民の多くが、「言わんこっちゃない」と思った>
と、安倍氏をおちょくり倒していたほどだ。
折りしも、その若宮氏は2013年1月16日に65歳の定年で退職した。朝日の論調がガラリと変わるのはそこからである。
他紙の幹部はこう見る。
「若宮さんの前任の船橋洋一さんは66歳まで主筆を務めた。朝日も若宮さんを残す選択はあったはずだが、安倍政権への手前、置いておくわけにはいかない。今や朝日政治部には若宮さんの影響力はない。若宮さんの定年は偶然のタイミングだったにしても、朝日の首脳部は”若宮を早期退職させた”とアピールできる。それで安倍政権の批判はしないという恭順の意を表したわけでしょう」
ちなみに「反安倍記者」の”受難”という意味では、NHK番組改編事件を報じた記者も、第1次安倍政権発足前に社会部から外れ、その後現在も地方局に飛ばされたままである。
同紙の首相動静によると、若宮氏の退職後の2013年2月7日、朝日の木村社長は帝国ホテルの中華レストランで安倍首相と会食、曽我豪・政治部長もその後1回、総理と会食している。同社広報室は、「社長をはじめ幹部の会談内容は公表していない。木村社長が安倍氏に会食費用を負担していただいたことは一切ない」と会食の費用は朝日が負担したという回答だった。いつから、この新聞社は社長や政治部長が総理大臣を接待するようになったのか。
朝日の変化でもうひとつ見落とせないのが、かつてリクルート事件報道で竹下内閣を退陣に追い込むなど、「反権力の調査報道」に定評があった社会部の弱体化だ。この数年、政治家の構造汚職など大型スキャンダル報道が紙面から消えた。
社会部のベテラン記者はこう嘆く。
「”政治家とトラブルを起こすばかりの社会部はいらない”と上層部から批判され、2012年10月に調査報道専門の特別報道部を独立させたのが原因です。結局、社会部の士気は下がり、せっかくつくった特別報道部は原発事故検証の連載『プロメテウスの罠』にかかりきり、政治スキャンダルを発掘する力がなくなった」
政治家にとっては朝日社会部も”牙を抜かれて恐くない存在”になっているのである。
◇読者は”変節”を見抜いている
安倍首相のメディア攻勢は朝日だけに限ったことではない。首相就任以来、朝日、読売、毎日、日経、産経のトップと会談し、テレビも民放キー局の会長や社長を総なめしている。
しかし、英国ではメディアの経営者が首相と会うことはタブーとされ、日本でもこれまでメディア側が権力との接近を自制する節度を持っていた。それが今や猫も杓子も安倍詣でということ自体、異常なのだ。
ジャーナリズム論が専門の門奈直樹・立教大学名誉教授はこう語る。
「メディアのトップが権力者の総理と会食するなど言語道断。メディアは権力と一定の距離を保つべきというのは市民革命以来定着している考え方です。それでも会食するのは、裏取引の可能性がある。というのも、新聞各社は軒並み部数を落とし、経営は下り坂。そこで新聞協会は政府に新聞への消費税軽減税率を陳情し、なんとしても勝ち取りたい。そのために政権に心地良い報道を心掛けるという取り引きをしたとみられても仕方ないでしょう」「クオリティペーパー」を標榜する朝日の政治部もそうした”業界の陳情団”の仲間入りをして、いまや政権に心地良い報道に務めている。
果たして朝日に危機感はないのか。
社会部OBで『新聞があぶない』の著書がある本郷美則氏は”変節万々歳”の立場だ。
「私は前回の安倍政権の時から、朝日の安倍イジメには辟易してOBとして恥ずかしいと思っていた。だから安倍首相が再び政権の座に就いた時は大喜びしたくらいです。社長が今頃になって安倍詣でをしているのも、遅過ぎるくらいでちゃんちゃらおかしい」
さすがにそうした意見は少数派だ。別の政治部OBは、「メディアが時の政権に協力的になり過ぎて批判を忘れるのは問題。それは小泉政権で懲りたはずなのに、教訓が今回も全く活かされていない」と危うさを感じている。
政治部次長、編集委員を歴任した政治評論家の国正武重氏は読者の視線が気になるとこう言う。
「朝日をはじめ、大手メディアの経営陣や政治部長が安倍首相と個別に会食しているという。これは権力側の作戦でしょう。それに乗るかどうかは個々の経営者の判断。首相と会えば、会ったことが報じられる。それを承知で社長は踏み込んでいるのだから、その是非や評価は、いずれ読者に判断を仰ぐことになる」
その読者は朝日の”変節”をしっかり見抜いている。東京都内の朝日の販売店(ASA)経営者はそれをひしひしと感じ取っている。
「最近、購読者から『記事がつまらなくなった』『以前は紙面がとんがっていたが、今は戦っている感じがしない』といった声が非常に増えている。昔からずっと読んでいる人ほど、そう感じるようです。私から見ても、一体、右を向いているのか左を向いているのかわからないお茶を濁すような書き方ばかりで、朝日らしさが減った。これが部数に響かないかと心配ですね」
そうなったとき、最後に笑うのは誰か。
かつで「朝日新聞は読まない」と公言していた安倍首相は、最近よく読むようになり、気に入った記事があると親しい朝日の記者に、「あの記事はよかった」と電話してくるという。情けないのは、それを聞いた若い記者たちが、「総理もうちの記事を読んでくれている」と喜んでいることだ。
いまや社長から一線記者までも政治との距離の置き方も批判精神も忘れてしまったことが、朝日新聞の一番の危機ではないか。
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