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2013年04月25日 世相を斬る あいば達也
どうも日本国民はトンデモない男に、政権を握らせてしまったようだ。筆者は別に親中でも親韓、親露でもない。日本追放で、どこでも好きな国に送還してやると言われたら、ポルトガルとかスペイン辺りが良いかな?と思っている。中韓露も米も、まったく棲みたいとは思わない。そんな話はどうでも良い事だが、安倍自民党の政治の方向性は、あまりにもチグハグだ。今にも中国と国交断絶して戦火を交える寸前の大日本帝国の内閣総理大臣のようだ。どこかが狂っているとしか、解釈のしようがない。
本人は、さしたる自覚もなく強い言葉に酔っているだけなのだろうが、“やっちまえ!”と世論の噴き上がりに油を注いでいる。真正保守は戸惑い、似非右翼は興奮し、中道はハラハラドキドキ。左派は、唾を飛ばし悲鳴をあげ、愚民たちも、似非右翼並に精神が高揚している。安倍晋三は、自らの言葉に酔いしれ、考えてもいない状況を迎えるのかもしれない。誰が、この興奮を収拾することが出来るのだろう。アメリカのイニシアチブが作動するに違いない、と云う願望は、今では虚しいものだと云う現実も知るべきである。もう、米国は日中の仲裁に乗り出す気力も体力も残っていない。
アベノミクスの成果を吟味する前に、トンデモナイ偶発的事件が起きる可能性は、結構あるのではないのだろうか。中国の政権交代は、安定するまでに多くの場合まる丸一年かかると言われている。つまり一年間は、中国と云うアンバランスな国家は不安定の上に存在する。世界の警察を標榜したアメリカ自身が、今や自らの普遍的価値と位置づけた移民国家の様々な難題に直面し、かなり明確な軋みを見せているのだから、世界がカオスならいざ知らず、戦国時代に突入するリスクさえある状況なのである。そこで、ひとり声高に北朝鮮並の勇ましさを語ると云う事は、かなりのリスクである。WSJが重要なポイントを提示している。
≪ 米国は人種のるつぼでいられるか
先週、人種のるつぼが圧力鍋爆弾に見舞われた。
ボストン・マラソン爆破事件は、ロシア・チェチェン共和国生まれの兄弟が容疑者となっている。1人は米国市民権を持ち、もう1人は合法移民だった。この事件は、自国産テロに光を当てるだけにとどまらない。
兄弟は、米国はあらゆる人種、民族が集まったるつぼであるからこそ、偉大な国なのだという定理に疑問を投げ掛けた。
それでも人種・民族の多様性は米国にとってあまりにも基本的な思想であり、結局はそうした疑問を圧倒するだろう。だが、議会で画期的な移民規制改正法案が審議され、米国の人種構成が急激に変化している最中に、このテロ事件が起きたことで、人種のるつぼ論はいままさに「ストレステスト」を受けようとしている。だからこそ、それを信じる政治家は、るつぼとしての米国を擁護するため立ち上がらなければならない。
米国の多元主義の象徴であるオバマ大統領が、同事件の容疑者拘束を受けて19日夜に声明を読み上げた時に、胸中にあったのはそのことだった。声明は、米国は移民を歓迎する社会であるとのアイデンティティーが打ち勝つのかどうかとの疑問に真正面から答えるものだった。
「米国を最も偉大な国に、そしてボストンをこれほどすばらしい都市にしている理由の1つに、世界中からやって来る人々を歓迎していることがある。あらゆる場所から、あらゆる宗教、あらゆる人種を。だから、この悲劇がなぜ、どのようにして起きたのかを知る過程でも、この精神をなくさないようにしよう」
多元主義は世界各地で失われつつある。イラクやアフガニスタン、シリアはさまざまな人種、宗教勢力からなる国家として存続しようと必死にもがいている。 バルカン諸国はまさにバルカン化している。欧州でさえ、さらなる統合には経済的な問題が重しになっている。
米国勢局によれば、2000―10年の間に白人の人口比率は69%から64%に低下し、その間の人口増の半分以上はヒスパニックで占められた。ヒスパニック人口は同時期に43%増加している。
一方、大きな社会的変化を受けて、人々を束ねていたきずなの中に緩みが出てきた。例えば、第2次大戦や冷戦時代の初期の世代は徴兵を経験しており、それがあらゆる人種や社会階層の男性間に共通のきずなをつくり上げ、相互理解をもたらした。しかし現在は、軍役に就いている者はごくわずかで、しかも志願制になっている。退役軍人は1980年の2850万人から2150万人に減少している。
それほど遠くない昔に、3大テレビネットワークによってほとんどの米国人が文化的経験を共有する時代があった。いまでは、エンターテインメントとニュースの両方でニッチ化したメディアがあふれ、狭い領域の中で外と交流することなく満足できるようになった。
宗教も米国人を結束させるものではなくなっている。1990―2008年の間に自らをキリスト教徒とする人は15%増加した。これに対し、全体への比率としてはごくわずかだが、イスラム教徒は155%、仏教徒もほぼ3倍増加した。その一方で、世論調査機関ピュー・リサーチ・カウンシルによれば、特定の宗教を信仰していないとする米国人は、人口のほぼ20%を占めている。これら20%の人は必ずしも信仰心がないというわけではないが、宗教団体のコミュニ ティーの一員として結束する経験を持っていないことを意味している。
こうした社会的な変化は、特に今回のようなテロ事件が発生すると、多くの米国人を怯えさせる。重要なのは、これらの人々に多元主義社会のメリットを思い出してもらうことだ。 例えば、パートナーシップ・フォー・ア・ニュー・アメリカン・エコノミーによれば、2010年のフォーチュン500社番付入り企業のうち、移民ないしその子供が創業した会社が全体の40%超を占めた。また、1995―2005年に設立されたハイテク企業のうち創業者の少なくとも1人が移民である会社は25%に達した。
昨年の大統領選は、アフリカ系米国人とモルモン教徒との戦いになった。次回大統領選では、女性やヒスパニック、さらにはインド系の候補が出てきそうだ。
多様化がゴルファーのタイガー・ウッズや、歌手のリアーナ、チェリストのヨーヨーマを生んだ。米国のノーベル賞受賞者の3分の1近くは、米国外生まれだ。
他のどの国もこうした強みを誇示することはできない―現在のような時だからこそ思い起こすだけの価値がある。 ≫ (ウォー ル・ストリート・ジャーナル )
人種のるつぼ故の強さがアメリカにあった事は認めよう。ヨーロッパを中心とする民族がプロテスタントの信仰の下、アメリカを創り上げた。少々乱暴な認識だが、大筋では間違っていない。白人から、黒人、マイノリティ、東洋人と門戸を開き、今の人種のるつぼのような人工国家が生まれ、それなりの産みの苦しみを経て、現在のアメリカをつくりあげた事は賞賛に値する。しかし、20世紀において最期の覇者となったアメリカは不遜だった。21世紀に入っても、その自ら切り開いた人工国家の歴史ゆえに貴重であり、正当性と普遍性と持ち得る、という怖ろしい自負に満ちている。
それが、我々が目にしているアメリカだ。彼らの多くは、ゼロから創り上げた国家(人工国家)こそ価値があり、自然発生的に何の苦労も、思考錯誤もなく生まれた国家に普遍性を創造する能力はない、と決めつけている節がある。これこそが、筆者から見るところの、鼻持ちならない不愉快さなのである。彼らの高慢度と云うのは、世界中の国家の中でNO1だろう。彼らは知恵やテクノロジーを過信し、傲慢このうえないのである。何度となく彼ら米国人とビジネスをした人間なら経験する絶対的自信。それは驚異的と言えるのだが、筆者は太平洋を挟んだ彼方から、その歴史の落とし処がどのような過程を経るのか、興味深く見つめている。
しかし、この人種のるつぼ故に、強靭さ、多様性の経験を絶対視して、普遍的システムだくらいの感覚で、自然国家のフィールドに、土足で踏み込まれたのでは、堪ったものではない。しかし、この勢いだと、素手一本で、無能なリーダの下で、虚しい闘いを強いられそうな日本人が大多数であることは、第二、第三の敗戦を迎えるようで、気分が落ち込む。口喧嘩の段階でおさまる対立が続く限り、日本は益々人工移民国家の支配下に置かれるのだろう。世紀のアクシデント起きても困るが、ジワジワと人工移民国家同様の価値感で生きるのも同調し難い。しかし、政治に、この難問を解いて貰おうと考えるのも愚だと思う。さて果て、どうしたものだろう。
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