http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/692.html
Tweet |
いずれ天木氏のブログにもUPされる内容だと思いますが、速報として転載します。
「沖縄住民は「戦後、1972年まで米国支配の”無法”状態だった。(天木直人メルマガから)
投稿者:松代理一郎 投稿日:2013年 4月23日(火)15時12分29秒
4月23日、「天木直人氏のメルマガ」で、掲記テーマのメールが届いた。天木氏も初めて知った事実と言う。
私も、支配者米国は、ここまで”悪どい”のかとびっくりしている。
メルマガの概要は以下である。
昨夜行われた「『オール沖縄』に連帯し、真の主権をとりもどす集い」に、ゲストスピーカーの一人として天木氏は、参加された。
同じゲストスピーカーとして参加された、琉球大学名誉教授の高嶋伸欣氏の話に衝撃を受けたという。
その話とは、
まず、以下のサンフランシスコ条約第三条の抜粋を紹介された。
「日本国は・・・北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島・・・を含む)・・・を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行なわれ且つ可決されるまで、合衆国は、これらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする・・・」
このサンフランシスコ条約のまやかしを高嶋教授は次のように解説してみせたと言う。
すなわちこの条項により米国は直ちに国連に沖縄を信託統治下におく提案を行い、そして国連はそれを可決すると誰もが考えていたに違いないと。
サンフランシスコ条約が4月発行だから、9月の国連総会で「米国の信託統治提案」があるまでの辛抱、半年足らずで「信託統治」手続きに入ると、誰もが思っていたと。
ところが、米国は”その「合衆国が信託統治提案を行うまで」と言う文言を逆手にとって、国連へ「沖縄の信託統治提案」を行わなかったのである。
そしてそれは、沖縄の日本への「返還」1972年5月15日まで、27年間、とうとう行わなかったのである。
と言うことは、その間、沖縄県民は日本の憲法にも、米国の憲法にも保護されることなく無権利状態に置かれていたと言うことである。
米権力に行政、立法。司法の全権を握られ半ば”無法状態”のまま、極端な言い方をすれば、”生殺与奪”の権利を、米軍に握られたままだったのである。
この間、日本政府から「信託統治提案」要請の動きもなかったと言う。
”それにしても米国の狡猾さと、それに対する日本政府の鈍感さにはあきれ返る。”
”沖縄がサンフランシスコ条約発効の日が屈辱の日であるというもう一つの理由がこんなところにもあったと教えてくれるエピソードである。”と天木氏は結んでいる。
本当に、どこが”沖縄を守る””日本を守る”米国だ。 この基本的な事実さえ、殆どの日本人が知らないと言うのが、またまた、根本問題なのだ。」
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/11404
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK146掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。